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越中屋と北海楼の楼主③

 和三郎が薄野に北海楼を開いた頃は、
まだまだ柾葺き屋根の家屋は少なく、
本願寺の向こうに藁小屋がたくさんあったそうです。

 この本願寺とは、当時から、南7条西8丁目にあった
東本願寺薄野別院を指しています。

この藁小屋は兎に角火の始末が悪かったそうで、
ボヤ騒ぎが多く、自宅を建てた和三郎は貰い火を恐れ
立ち退きをして欲しいと岩村判官に願いをだしていました。
ところが藁小屋の住人たちは、一向に立ち退く様子は
ありません。

 業を煮やした岩村判官は明治5年5月に
自らの手で藁小屋に火を着けていき強制的に
住宅の改善をするようにさせたのでした。

この火事は、「御用火事」と呼ばれています。
当時、副戸長の役を命じられていた和三郎は、
消防組の人々を連れ立ち、外に火が移らないように
「竜吐水」という今でいうとポンプのような物を担いで
火消しに回ったそうです。

 回顧録では、自分達から藁小屋をどうにかして欲しいと
願った事なので、致し方なかったのですが、
随分と乱暴な話しであったと記されています。

 こうした事があったからかどうかはわかりませんが、
薄野の人々の中では「ネズミを放つ」という隠語があります。

 これは、立ち退きをさせたい建物があった時などに、
生きたネズミにガソリンをかけて火を着け、
対象の建物に火ネズミを放ち強制的に立ち退かせてしまうといった、
これまた乱暴な話しでした。
 
 現在でも、日曜日に不審火が発生すると
「ネズミが出たぞ。」と囁く声が……。
なんとも、怖や怖や。


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