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暇空茜の言い分4|強者と弱者

引き続き、彼の過去の記述から、文章構成法を解明していきます。
※注目を集める人物が書いた文章を研究することが目的であり、
 誹謗中傷の意図はございません。間違いがあれば、ご指摘願います。

■「ルサンチマン」の誤用

ルサンチマンとは、哲学者ニーチェが考案した概念です。
ルサンチマン=貧乏人のひがみ というのが、よくある誤解です。
本来の意味は「権威に対する自己正当化のための正義」を指します。

ルサンチマンについて、誤解が生じる原因は、
社会的立場が、強者と弱者を分ける。
という前提に立った誤用が広まっているからです。
また、「強者を賛美し、弱者を蔑視する。」というのも誤解です。
ニーチェの目指すところは、ルサンチマンの克服だからです。

ルサンチマンについて、分かりやすく、まとめられた記事があります。

以下の解説も参考になります。


■強者と弱者のどっち?

彼の文章には、ニーチェの用語が引用され、ニーチェの文面をなぞる形で、
文章を構成していることから、多大な影響を見て取れます。

ルサンチマンを顕在化させ、対立させ、その扇動者となることを
目指しているのであれば、彼もまたルサンチマンに捕らわれた一部です。

司祭的性格の例としてニーチェが挙げるのが、「憎悪の天才」パウロである。彼をはじめとする弟子たちは、イエスの死がルサンチマンを超越していたことを理解せず、イエスを神の子へとまつり上げることで自分たちのルサンチマンを利用して高貴な者に対する反乱を起こしたとされる

ni-club.net ルサンチマン


■やられたらやり返す。ルサンチマンだ

元々は、SNS上の議論において、強者側と弱者側の両側面を持った状態で
論陣が分かれていた。

・自己責任 VS 被害者意識
自己責任(自分の立場、価値観には当てはまらないことを排除する人)
 →他者や社会に対して、無責任である。

被害者意識(被害に基づいて、被害回復を訴える人)
 →「被害」の定義が一意ではない。

・原則論者 VS 情報弱者
原則論者(何らかの論拠を以って説得を試みる人)
 →正確性が求められるので、情報発信に労力がかかる。
  新情報が少ないので、発信力に結びつかない。

情報弱者(伝聞の情報を元に、感情論で語る人)
 →話題に乗っかって、何か言いたいだけなので、矛盾が多い。
  憶測で意見を述べるので、発信力がある。

元々の議論の対立構図

被害者意識/原則論者
    VS
自己責任/情報弱者

彼の疑問の提起によって、本来、直接の対立軸にない
既存の論陣の「弱者と弱者」という両者の対立が生じた。
⇒ 被害者意識 VS 情報弱者

断定的には、物事を語ることができない者同士の対立である。
情報弱者は、確定した情報を持たない。
被害者意識は、客観的に認定された被害を示せない。

両者とも確信のないまま、双方が相手に「レッテルを貼る」ことで、
強者、弱者関係が鮮明になります。
相手を批判するために都合よく、強者か、弱者に仕立てるということです。
その結果、新たな論争が加熱した。というよりも
論点が嚙み合わないため、泥仕合へ発展した。

■そんなら自分でやってみれば?

・公金不正使用団体 VS 納税者
公の金を扱う者という意味で、立場が区別されています。
なので、カンパが募った時点で、この対立軸は崩れます。
福祉事業の会計に関心があり、お金も時間もあり、支援者もいる。
必要なものは揃っている。
当該の事業費は、年間1億ほどなので、適正な支出と会計を行い、
安心して業務を託せる団体を立ち上げて、行政から業務を請け負えば、
望み通りの環境が成立し、問題は解決します。

似たような発想をした仲間とも、対立しました。
戦線が変わってしまうと立場がありません。
問題点を解消することではなく、問題を指摘することが目的になってしまうと、ルサンチマンを克服することはできません。


・公正であるべき行政 VS 不正を見つけた住民
そもそも住民訴訟は、誰にとって得なのか。
行政が支払う裁判費用と、もし不正が認められた時の返金額が見合うのか。
政治を迂回して、政治に干渉するのは、ゲーム開発者に、ゲームで挑むようなもので、相手はチートし放題、プレイヤーに主導権がない。

行政の監督責任を負う知事、議員はノーダメージで、居座り続け、
責任論にもならない。
また、行政の内部では、すでに問題解決が図られて、論点がない。

代替の選択肢がないにもかかわらず、ネガティブキャンペーンだけ、
実施されるような状況では、最終的に誰も責任を取らないことになり、
論点の「公正さ」が担保される保証がありません。

ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[3]である。

wikipedia.org ルサンチマン

■まとめ

強者と弱者という対立を軸に見てきましたが、
第三者からは、当事者不在の代弁者による論争のように見えます。
ほとんどの住民は、住民訴訟に関心がないでしょうから、
できるだけ早期に終結することを望みます。

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