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完璧な一日、それはいつもシンプルで、

こんにちは。
松下です。

先日みたとある映画に、
とても心を動かされた。
それはとある男の、繰り返しのように思える毎日を、ただ平凡に、淡々と、美しく描いたものだった。
物語がすこしずつ進んでいくにつれて
自分のことを見ているように思えて
彼の感情が手に取るようにわかり、ラストシーンでは涙を流している自分がいた。(決してわかりやすく感動を誘うような場面はなかったのに)
映画をみたあと余韻に浸ることはよくある。
でも映画をみながら、心がなんとも言えない余韻に満たされるような感情を持ったのは、きっと初めての体験だった。

その映画は、最初から最後までスクエアのフォーマットで構成されていた。
私は息子が生まれる前、そして生まれてから一年間の間、中判カメラでその生活をおさめていた。
中判カメラは6:7、ほぼスクエアフォーマットなのもあって
今日は、未だ抜けない映画の余韻はそのままに、その当時撮った写真を数枚、振り返ってみたい。

息子がお腹のなかにいるとき、
妻と遠出をした日。
ふたりで遠出は、これからしばらく、少なくともそう気軽にはできなくなるねと、いつもよりすこし奮発して色んなところに足を運んだ。


生後数週間、里帰り。
なにもかもが新鮮で、愛おしい。

この日の空は忘れない。

息子が生まれてきてくれて、数ヶ月経ったころ
彼は小児性のてんかんを患った。
(いまでは症状は完治)
その頃私は毎日のように日記をつけていて
当時考えていたことや感情を綴っていた。
このことについては、いつか詳しく話してみようと思う。
窓越しの夜明けの空は、彼の入院生活最後の日、不安な日々を乗り越え、病院にいる妻と息子を迎えに行く朝の空。
あまりに美しく思わず窓を開け、ひんやりとした空気を感じながらシャッターを切ったこと、このとき考えていたことまでも鮮明に思い出す。

息子は日本にコロナが蔓延するすこし前に、この世に生を享けた。
オリンピックが開催される年だったはずが、異例の延期。
自粛期間に貴重な彼の成長のシーンをそばで見守れたこと、私たちにとっては幸せな時間だったことを思い出す。

そして生活はつづく。
完璧な一日、それは妻と私の間にいる彼、傍にあるカメラ、あたたかい食卓、寝る前のハグ。
そこにある小さな偶然、大きな奇跡に気づくこと。
とてもシンプルで、当たり前のように思える一日。


松下

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