見出し画像

「俺が代」上演にあたり、3つの変更点

12月、STスポットにて日本国憲法を用いた『俺が代』を上演するので稽古をしている。

https://www.facebook.com/events/3417944768530381/?ref=newsfeed

2017年の劇場版初演から数えたら5年、2015年のパイロット版から数えると7年間もやっている。

ルーマニア・ブカレストの劇場Replika

再演するたびに、以前見た人には「どこか変わるんですか?」と聞かれる。集客的には「すごく変わりましたよ!」と言ったほうが「じゃあ見に行こうか」という気持ちになる。でも、そもそも再演のたびに大幅に作り変えるのは私はあまり好きではないのと、こちらとしてはものすごく変わっているのだけど、その変化というのは作り手側のエゴだと思っているので「あんまり変わっていないですよ」と言う。そもそも、変わってないからレパートリーなのだし。

舞台美術には少し変更が加えられると思うが、構成などはあまり変わっていない。でも、本当に「あんまり変わっていない」ならば、散々やってきた作品を10月から2ヶ月も稽古しなくていい。ただの思い出し稽古ならば、1週間で事足りる。

今回、変わった部分は例えばこういう部分だ。

昨年、俺が代とともにレパートリーとして上演している『しあわせな日々』を沖縄で大幅に作り変えた。これまで我らが横さん(横居克則)のつくった鉄の円丘を舞台美術としてきたこの作品だが、沖縄ではこの鉄の丘を使わないという選択をした。トランポ的に莫大なお金がかかってしまうという実際的な事情がきっかけだったが、それよりも、コロナ禍を踏まえて「観客を圧倒する作品」に対してリアリティを感じられなくなってしまったのだ。

しあわせな日々 滞在制作発表会@わが町の小劇場

2017年に初めて国外での公演を行ってから、我々の間では「強く」「明確に」「圧倒的に」というのがひとつのテーマとなってきた。特に、これまで見てきたドイツを中心とするヨーロッパのプロダクションにおいては、それらのキーワードは必須のように思えたし、何よりも有象無象がうごめく舞台芸術業界で頭角を表すには不可欠だ。いまだに額縁舞台を中心にして「作品」が発想される演劇にあって、この額縁を乗り越えるためにそのようなキーワードを意識することが、この5年間の我々の創作を駆動してきた。

コロナ禍で変わったのは、そのような価値観だ。

「電話演劇」なるものを作ってきたのは、別に単純にコロナ禍を踏まえて変わった作品を作ろうということではなく、プロダクションの作品としての強度よりも観客とのコミュニケーションにこそ演劇を見出したからだった。特に「強く」と「圧倒的」を変質させ、「普通に」「親密に」を目指してきたんじゃないかと思う。そう言葉にするのは簡単だけど、実際には簡単にできるものではないから何年もかかったし、現在も進行中である。

沖縄での滞在制作では、鉄の丘の代わりに、大きなテーブルを作ってそれを囲むようにした。ハンナ・アーレントが『人間の条件』に書いていた「公共=テーブル」という言葉を、言葉通りそのままにリアライズしたのである。そうして、同じテーブルについた観客との親密な「おしゃべり」としての形に変更した。丘に埋まった女の不条理劇を親密な空間でやるなんてかつては考えられなかったが、やってみたところとてもよく作用した。そういえば、この作品、ベケットが新婚の頃につくった作品なのである。

それともうひとつ。今年8月に南京事件についてリサーチを行ったこともまた、今回の上演に大きな影響を与えている。

かもめマシーン劇場新作公演に向けたワークインプログレス@早稲田小劇場どらま館

10日間リサーチをしてわかったのは、すごく簡単に言えば、「日本人は加害者であった」ということだ。もちろんそれは知ってはいたけれども、内面化されていなかった。教科書的には侵略戦争であることは教えられているけれども、日本人は加害者としての集団的記憶を共有しておらず、被害者としてのナラティブばかりがアイデンティティとして内面化されている。私の親類は東京大空襲によって死んだ。しかし、私の親類が誰を殺したのかを、私は知らない(被害者と加害者という区分けは便宜上しているだけであり、適切ではない。誰もが被害者であり、加害者であった場合、この二元論は全く意味をなさない)。

我々は殺した。アメリカとの関係、軍国主義の”被害者”としての国民という側面からばかり語られる日本国憲法に対して、この”加害者”としての視点を導入する。具体的に言うと、シーンを追加した。そうすると、自分でも驚くほどこの憲法に対する視点が変わったのだ。

私たちはいま、この作品を東アジアで上演したいと思ってYPAMという見本市で上演する。日本国憲法を使った作品を日本人に見せることも重要だし、欧米圏に対して憲法をこのように扱う演劇があることを見せるのも、少なからずの価値があると思う。かつて知り合った尊敬に値するシアターメーカーがいるのでバンガロール(インド)とかカイロの実験演劇祭とか、テヘランとかでも上演したい(テヘランでこういう作品を上演できるのだろうか?)。南米も憧れる。アフリカも楽しいだろう。

でも、東アジアの人々に、つまり大日本帝国の旧植民地においてこの作品を上演したい。あの戦争を経て、この憲法ができた。それがどのように受け取られるのかは本当にわからない。意外と受け入れられるかもしれないし、怒鳴られるかもしれない。アフタートークで吊し上げにされるかもしれない。全く具体的な話があるわけではないけれども、この作品を東アジアの人々が見るかもしれないという緊張感。これが3つ目の大きな変化だ。

演劇に対する価値観が変わった。憲法に対する視点が変わった。そして想定する観客が変わった。きっと、12月の上演はこの3つの変化を踏まえた上演となるだろう。それは、「俺が代」という作品の根幹となる大きな変化だと思う。

けれども、まあ、あんまり変わっていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?