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変化すること、しないこと

これまでのわたしは、大なり小なりお付き合いしてきた人に「影響されるタイプ」だった。

それを「彼(彼女)に染まる」という表現をするそうだ。

影響を受けること、それ自体は、新しい世界への入り口として嬉々として受け入れてきた。その人がいなかったら、知ることのなかった、ギター、映画、本、お酒、たくさんのものをもらっていたから、それが悪いことだとか良いことだとかの認識はまるでなかった。

しかし、ふと、自分の趣味だけでなく、服装や態度までもが影響を受けていることに気付いた瞬間があった。

新しい世界を知ることはいいとしても、自分の大事にしたい価値観、発言、人との接し方、それを失ってはいけないと思い、パタリと恋愛をやめることにした。

それは、自分でも驚くほどに潔い決断だった。

どうしてすぐに影響を受けてしまうのか、自分のそのままを受け入れられないのはなぜか、無意識のうちに賛同してしまうのはどうしてなのか。

そんなことをつらりつらりと考えながら、今までの行動や思考を振り返る時間をつくった。数ヶ月間に及び、自分の心惹かれるものを取り戻すことに時間を費やした。これからは、絶対に影響を受けないでおこう、自分を強く持とうと心に決めた。

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それから出会った彼は、驚くほどこだわりも主張も激しいけれど、一切、流されるようなことはなかった。わたしはこう思う、これが嫌だ、これがうれしい、自分を見失わないように、急流の筏に掴まり、振り落とされないようにと肝に銘じていた。

しかし、同時に「そんなに頑なに、影響されることから距離を取らなくてもいいんじゃないかな?」という疑問が出てきた。

誰かといるということは、変わらない自分も大切だけれど、一緒にいることで変わってしまう部分を受け入れることも必要なのではないかと思い始めた。

例えば、一緒にいると辛いものが好きになったとか、表情が豊かになったとか、いつもとは違う本を読んでみたら案外好きになったとか、変わることを恐れず、そのなかで、ゆっくりと自分の価値観も観察すること、それらは決して相反するものではない。

誰かといること、それは、変わること。それでも尚、変わらないものを見つけること。

誰かに優しくすること、素直にうれしいと伝えること、ちょっと恥ずかしかったけれど、一緒にいたから変われたことだってたくさんある。

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生きていると「選べること」は限られている。日本人として生まれるのかを選んだ人は誰もいないし、女性として、男性として、生きることを強制されることも多くある。

影響を受けていないつもりでも、やっぱりいろんな環境、人との出会い、普段身につけているもの、住んでいる場所、様々なものに影響されている。

だからこそ、影響されることを前提に、どういう自分でいたいのかを想像しながら、どの色に染まっていくのかを選んで、染められて、変化して、「自分」と「誰か」がいたからできた、唯一無二の色を楽しみにできる、そんな人生を送っていきたい。

友人とシーシャに行きます。そして、また、noteを書きます。