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ポートレート的虚構世界

薄々気付いてはいたけれど、多分、わたしは人間をポートレート作品として撮ることが苦手だと思う。写真に写るその人なんかより、その人の鞄の中や、Spotifyのプレイリスト、本棚、小さい頃の思い出、好きな小説、苦手な食べ物、その人の外側に表出しているものに興味がある。

「人間の凄みを写してやったぜ」「人の弱い部分ってこんな感じ」みたいな表情をするような作品撮りは好きじゃない。そんなものは、無理やりに缶詰の蓋を開けて取り出す弱さなのではないか。

弱い部分、暗い部分、いいねのための全力笑顔、その直接的な人間表現よりも、外界にある物事の方が、人間をよく表すと思う。

フォトグラファーが女の子をレイプした話を聞いた。「そうだよ、それこそがお前なんだよ。それを撮れるか?」と問いたかった。

人は人を写したがる。それは、自分の投影なのだろうか。

「自分が見てる世界とファインダーを通した世界ってこんなに違うんだって感動した」。旅に付き合ってくれた友人が、ほろりとこぼしたその一言に、主客の在り方を改めて考えさせられた。

感情の表出じゃない。その人から漏れる様々をそのままに写したかった。自慰行為的ポートレートに終止符を。

友人とシーシャに行きます。そして、また、noteを書きます。