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「自分らしさ」と「個性」の話

「自分らしいって何だろう」「わたしにしかないものって何だろう」

自分の名前で活動することが増えて、どうしても、わたしらしさを考えざるを得ない場面が増えて、ずっと、ぐるぐると悩んでいた。わたしには、自分らしさなんてないんじゃないだろうかと頭を悩ませる日々が続いていた。

「自分らしさ」と「個性」は別物

自分らしいものを求められる時、個性を問われる時は、少し違うのではないかということに気付いた。コミュニケーションを振り返ってみると、「この映画どうだった?」「これ、好きそうだよね」と問われる場面では、あなたがどう思うのか知りたいというニュアンスを含んだコミュニケーションになる。一方で、選考やコンテストなどでは、「あなたの特技は何ですか」といったような他者と何が違うのかを求められる。

自分らしさというのは「わたしは、どんなものを大切にし、どういう判断基準を持っていて、どんなことに喜びを感じるのか」というような、自分自身の中にある価値判断や自分はこういう人間でありたいという基準のようなもの。個性というのは、他社との差異によって浮かび上がる個人の特徴なのではないか。

「あなたらしさを知りたい」の答え

友人に聞かれる「どう感じた?」「これ、どうだった?」「あなたの感想を聞かせて」という質問に対して、わたしは、平凡な人間で、特別秀でたこともないし、他人よりも優れている部分なんてないから、わたしの考えていることなんて聞かなくてもよい。感想なんて共有するのはおこがましいと考えていた。(なんて自分に優しくないんだろう)

でも、見方を変えて、質問する立場になって考えてみると「〇〇さんは何が好きなのか」「どんなことに感動するのか」「何に心躍るのか」を知りたいのであって、他人と比較したり、新しい意見を言ったりしてほしいわけじゃない。

今まで、そんなに考えすぎなくてもいいのに「このコーヒーどんな感じだった?」「旅行、どうだった?」というようなありふれた質問に対して、何か斬新な意見を言わなきゃいけないというような縛りを勝手にかけていた。

そうすると、チグハグな答えになったり、斬新だけど嘘みたいな感想になったりすることがあった。相手の知りたい「ベトナム旅行どうだった?(あなたは何に感動して、何が嫌で、どう好きだと思うんだろう)」という質問に「(ベトナムはフォーが有名で歴史も深いらしくて、それにLCCもあって安く行けるし、あ、これはもうガイドブックに載っている情報か)うん、よかった」みたいな答え方をしてしまっていた。

別に、自分らしさというのは、人より秀でているとか、その物事について誰よりも知識が多いかとかではない。むしろ、ありふれている感想でもいい。わたしがわたしの身体を通して、どう感じたのか、何が好きなのか、許せないのかということを開示することが、自分らしさに求められているものなのだと思う。

改めて、自分らしさってなんだろう

こう考えてみると、案外、自分らしさがない人なんていないんじゃないかと思えてきた。

コーヒーをおいしいと思う、都会より田舎が好き、靴下を履くのは嫌い、本がないと落ち着かない、着るものにはこだわりがない、冬の朝の湯気をきれいだと感じる、早起きは苦手、方向音痴だから運転は嫌い......

ここにあげたものは、決して珍しいものではなく、ごくあり触れた感覚や理由だと思う。だけど、全体を見ると間違いなく「自分らしさ」が立ち現れている。もしかすると、この自分らしさの項目の集合体が「個」性、わたしがこの世に存在しているという事象をつくりあげているのかもしれない。

だから、これからは、わたしが世界をどう捉えているのか、どう見えているのか、何を感じているのかを観察していくことで、すでにある自分らしさを発見していこうと思う。




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