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「ごめん」の代わりに伝えたかったこと

「運転してもらってごめんね」「今日は電話できなくてごめんね」

いつからだろう、何に対しても開口一番に謝罪をするようになったのは。いつからだろう、ごめんの気持ちが分からなくなったのは。

「そんなに簡単に謝らないでほしい」。付き合った当初、彼に気を遣って、嫌われたくなくて、無意識にごめんごめんと口を突いて出ていた。

そういえば、何かにつけて、私たちは「すみません、こちらでお間違いないですか?」「その日は予定があって、すみません」「申し訳ありません、メールをお送りしてもよろしいですか?」などなど、無意識に、へりくだるような気持ちで、日夜、謝罪の意を述べている

だけど、彼に一言そう言われてから、不意に出てきそうになる「ごめん」の代わりに「本当はなんて言いたいんだろう?」と一呼吸おいて立ち止まるようになっていた。

果たして、ごめんねと言われる気持ちはどうだろうか。「ご飯つくってもらってごめんね」「会いに来てもらってごめんね」……たしかに、全然うれしくない。

しかしながら、なんでもかんでもありがとうと言い換えるというやり方もあるけれど、それはそれで啓発的で嘘くさくて、おもしろくない、とも思うのだ。

単なるネガポジ変換のような、ごめん←→ありがとうのように表裏で置き換えられるものではないんじゃないか。

それはなぜだろうと考えてみるに、ありがとうのその先があるってことだ。「今日は電話できなくてごめんね」を観察すると、きっとそれは「いつも電話できてうれしい」みたいなことになる。

「ごめんね」をやめてみたら、何がうれしくて、何に感謝していて、何に対して本当にごめんと謝罪の意を感じるのかが、鮮明になる気がした。

簡単に「ごめん」を発してしまうことで、本来伝えたかったことを無かったことにしてしまう。そんなことが知らず知らずのうちに人生を覆っていってしまうのは嫌だから。

……だからこれからは、「疲れてるのに会いたいって言ってごめんね」じゃなくて「疲れてても会いたいと思える相手がいてよかった!ありがとう!大好き!」くらいの気持ちで、ごめんねに押しつぶされていた素直な気持ちをたくさん共有していたい。


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