映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」と私のドラクエV【ネタバレ有】

8月7日にドラゴンクエスト ユア・ストーリー(以下、ドラクエYSと略します)を観てきました。この記事ではネタバレ有りの感想を書きますので、ネタバレを避けたい方は読まないでください。また、自分で映画を観ていない方も既に大方のストーリーやネタバレをご存じかもしれませんが、改めて読んでくださいますと幸いです。

多分、この映画はその人がどんな年代でどの程度ドラクエVやその他のゲームコンテンツに触れてきたかで受ける印象が大きく変わると私は考えています。ですので、まずは私がこの映画を見るまでの経験について触れておきたいです。長い前置きになりますが、少しお付き合いくださいませ。

私のドラゴンクエストV

ドラクエVはSFC版の発売日に親に買ってもらい、ストーリーの重要なネタバレが他から回ってくる前に最後までクリアしました。当時は主人公が結婚することも子供と一緒に旅をすることも事前には全く知りませんでしたから、ゲーム内で結婚相手を選ぶことになったときはすごく悩みましたし、子供が育った姿で画面内に現れたときはとても感動した覚えがあります。
ドラクエVは現実の生活にもイベントを生み出しました。ずっとドラクエVをやってるものですから、親にソフトやSFC本体の電源コードを隠されたことがありました。でも隠し場所を程なく発見し、親のいないときに隠し場所から持ち出してこっそり進めていた思い出があります。また、私だけではなく、父もドラクエVを遊んでいました。ぼうけんのしょには私のデータと父のデータが並んでいました。
SFC版のドラクエVは2~3周くらい遊んだ覚えがあります。2回目以降も結婚相手を選ぶときはちょっと悩みつつも結局はビアンカを選んでいました。その後発売されたリメイク版も遊びましたが、やはり一番思い入れがあるのはSFC版です。

ちなみにドラクエシリーズ全体でまともに遊んだ順にタイトルを並べると、IV→III(借りた)→V→VIになります。その後はずっとドラクエのナンバリングタイトルからは離れています。一番好きなのはIVで、その次にV。それ以前のものは、話としては知っている程度。VII以降はほぼ全く知りません。

ユア・ストーリーを観に行くまで

ドラクエYSの制作が発表になってから劇場公開されるまで自分は全く興味が無かったのですが、その後この映画に関する様々な感想を目にするようになり、そのほとんどが悪い印象というか荒々しいものだったので「どうせ観ないだろうな」と思っていくつかネタバレのレビューを読み始めました。人によって指摘するところは様々でしたが、大きく「ラストの展開」と「ゲーム版からの改変」を挙げている方が多いという印象でした。特にラストの展開は理解しがたいものでしたが、一方で、ラストの展開に持っていくために行った改変や「自分がそのラストを実際に観たら何を思うのか」に興味を持ち始めました。
Vの記憶がわりと鮮明に残っている自分が何も考えずに観に行くと大ダメージを受けそうだというのは想像できたので、いくつかのレビューを読み、この映画は次のような内容であるとあらかじめ自分に言い聞かせてから映画館へ赴きました。

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これは決してドラクエVの映画化ではない
ドラクエVはあくまでラストを迎えるための「題材」であり、主題は「ユア・ストーリー」である
キャラクターデザインやストーリーの改変はラストの展開に持っていくためのものである
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ラストを迎えるまでの心持ち

あらかじめ心の整理をしておいたおかげで、「ユア・ストーリー」のために作り直された世界は予想外に楽しめました。自分の知っているドラクエVのキャラクター設定やストーリーは想像以上に改変されておりいくつかツッコミたいところもありましたが、大方は「へー、こうきたか」と納得しながら受け入れられました。ゲームのストーリーを限られた時間内にすべて織り込むのが無理なことは理解できるので、青年期以降のエピソードをただ半端にぶった切られるよりはこのやり方で良かったと思っています。少年時代のダイジェストもその理由がラストで明かされることを知っていましたので、とりあえずこれも納得しておきます。時折入る「この世界の正体を匂わせる発言」や、リュカが聖水を飲んだ後に見る「この世界からかけ離れた空間の表現」も、世界の正体を既に知っている自分は理解して受け入れました。「今見ているお話は自分の知っているドラクエVとは別のお話である」という意識を持ちながら、登場人物たちに親しみを持ち、様々なシーンで気持ちが盛り上がりました。

ラストの衝撃

ラストの展開も事前に大方を把握し、そして覚悟してそのシーンを迎えましたが、その感想は、一言でいうと想像していた以上にインパクトがありました。
ドラクエVのラスボスである"ミルドラース"と対決というところで世界が突然停止し、ミルドラースの代わりにウィルスを名乗る物体が現れます。ゲームのドラクエVやここまで観てきたドラクエYSの世界観とはかけ離れた姿は、違和感というよりも異物感と言うほうが合っています。
ウィルスはこの世界がVR空間であることをリュカに明かしますが、そのとき、ウィルスの手には私の現実と同じドラゴンクエストVのSFCカセットがありました。このとき、今まで私が「ドラクエVではなく再構成されたユア・ストーリーの世界だ」と言いきかせて観てきた世界はやっぱりゲームの「ドラクエV」であることを見せつけられた気がして、困惑した気持ちがにわかに沸き上がってきたのを感じました。
それ以後に観たものは違和感・異物感の塊でした。映画を観始める前は「観終わった後の観客の反応を観察しよう」などということも考えていましたが、実際は自分の中に発生した「つかえ」の処理を考えるのに頭がいっぱいで回りの様子を見る余裕もなく映画館を後にしたのでした。

私にとっての「つかえ」

ここからは、自分に発生した「つかえ」について記録しておきます。かなり個人的な感覚であることを先に言っておきます。

ウィルス、お前は何だ?
ミルドラースに代わり現れたウィルスはこの世界がVRであることをリュカに見せますが、その表現として「グラビティ」や「コリジョン」といったゲームやCG制作で実際に存在する用語を口にしながらその世界に施されていた処理を解除していきます。リュカが居たファンタジーでバーチャルな世界を現実的な言葉で剥がそうとするのは対比する表現として理解はできたのですが、それを口にした奴が「私はコンピューターウィルスです」と自称していることが、自分には何だか中途半端に見えてなりませんでした。

確かに「ウィルスは悪い奴」というイメージは大体の人が持っているので分かりやすい表現ではあるのですが、やっぱり、ウィルスという言葉は私にとって「とりあえず」であり、つかみどころの無い表現に聞こえます。リュカが「奴はウィルスだ」と認識したという話ならまぁ分かりますが、誰もが知っているわけではない専門用語を口にする得体のしれない奴が「私はコンピューターウィルスです」と言い切るところが滑稽に見えて仕方ありませんでした。
さらに、自称コンピューターウィルスに対してスラりんが突然「ぼくはアンチウィルスだ!」などと言い出しリュカに力を貸します。ウィルスとアンチウィルスとの関係はとても分かりやすいです。でも、極めて短い時間の中に自称ウィルス、自称アンチウィルスの登場で話がサクっと消化されていくのは、ここまでの前置きに対してあまりに唐突すぎました。話の展開に置いてけぼり感や薄っぺらさを感じたのは、彼らが自称することで済まされてしまったからかもしれません。

主人公≠勇者であってほしかった
私自身にとってのドラクエVは「勇者は自分(主人公)ではなく自分の子どもだった」ということが最大の要素でした。自分が勇者ではないことに落胆したり、自分の子どもが勇者となったことに対しその親の立場を意識したりしてドラクエVをプレイしていました。
自分の子どもが勇者になるという設定は、ドラクエYSの世界の中でも改変されずそのままストーリーに組み込まれています。しかし、最後の最後でその設定は、その世界の外で覆されました。
アンチウィルスプログラムはロトの剣となり、リュカはその剣を手にしてウィルスを打ち倒します。世界が元の形へ戻った後、ヘンリーから「お前(リュカ)も勇者だ」という声を掛けられ、リュカ自身もその言葉を受け入れてエンディングとなります。

ドラクエシリーズに登場する勇者の象徴のひとつとして「勇者にしか装備できない剣」があり、ドラクエVでは天空の剣がこれにあたります。アンチウィルスプログラムの実体化として出てきたロトの剣は、他のタイトルで登場する「勇者にしか装備できない剣」です。つまり、この剣を手にして振るったリュカもまた、勇者だったのです。自分が勇者であることをリュカが受け入れた瞬間に、私は彼を受け入れられなくなりました。ここまでリュカという人物にとってのドラクエVとして観ることができていたはずだったのに。

ウィルスによって剥がされた世界での出来事として考えるなら、別の世界の勇者だということで納得ができるかな、とも考えました。私もIIIやIVで勇者=主人公のドラクエをプレイしたことがありますし。でも、リュカのドラクエの世界が元に戻った後でヘンリーが言及したことでそれも難しくなりました。リュカは勇者になりましたが、やはり私は勇者ではなく、最後まで勇者アルスの親でありたい。

自分にとってのドラクエを知ることになった映画

私にとってこの映画は「出来が悪かった」というより「消化が難しかった」という印象を持っています。他の方々の感想を読むと、諸々の改変やラストの展開を受け入れ消化ができるか、そしてその内容に納得がいくかは、その人のここまでの経験によって大きく変わるのだろうと思っています。特にクリエイター側の視点が入った感想は私にとって新鮮で、消化の助けになりました。

やはり私にとっても観た直後は後味の悪さを感じたのですが、「つかえ」を消化していくにつれ、私がドラクエVで大切にしていたことをはっきりと意識することになりました。そして、またドラクエVを遊びたいと思いました。また、根本的なところは飲み込めましたが、主にリュカが体験したVRやフローラの振る舞いついてまだ考えたいところがあるのでもう一度映画を観たいとも思っています。8月後半にバリアフリー対応が始まるらしいのでそのあたりに行ってみようか。…まだやってるかな。

感想を書きはじめてから投稿するまでだいぶ日が経ち、まとめ上げた内容は良くも悪くも落ち着いた感がありますが、その間に考えが整理されたり様々なレビューを観たりできたのでまぁ良かったと思っています。でも、先に書いたとおりまだ未消化の部分があったり正直細かく突っつきたいところもあったりするのでまだ書き足りない気分。また書かせてくれますかね?

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