ラジオ体操に宗教を感じた朝6時

みなさんは宗教と聞いてどんなイメージを持たれるだろうか?わたしが思うに「怪しい」「変な人の集まり」「高い壺を売りつけられる」などネガティブなイメージが多いのではないだろうか。

これは日本人に無宗教の方が多く、日本で宗教といえば「新興宗教」のイメージが持たれやすいからだろう。わたしは特定の宗教は信仰していないが、宗教の持つ特性や文化的な背景が気になりいくつか書籍を漁ることがある。

わたしが知りたい宗教は「キリスト教」や「イスラム教」や「仏教」といった宗教でいわばせかい的に有名な宗教だ。これらの宗教は海外では生活の一部となっていることも多く親が教徒だから自分もそうである、といったように特に深い理由なく入信している人もいるのではないだろうか。

すなわちこれらの宗教は空気と同じようにそこにあって当たり前の存在であり、彼らの生活の一部となっている。イスラムは毎日お祈りをしている。聖書を知れば小説や映画のそこかしこに引用されている。また、宗教を通してその人の考え方や人格が作られている。

このように海外では宗教は日常の一部となり自然に溶け込んでいるのだが、日本ではそうはいかない。宗教といえば、先ほど言った「新興宗教」のイメージが強く、喉に引っかかった魚の骨のように違和感をもたれることの多いワードである。

というのも日本には日常的に宗教とつながりを持つ機会が少ないからだと思うのだ。神社と寺の違いが曖昧で、困った時のみ神に頼み、クリスマスを楽しんだ後に初詣に出かけるような我々が毎日宗教的な行為を行うとは考え難い。

ここでようやく本題に入る。と言っても言いたいことは一つだ。

「ラジオ体操」って宗教なんじゃない?

こう思ったきっかけは朝気まぐれに近くの公園をランニングした時のことだ。
その時わたしはテニスコートもあるような広めの公園のグラウンドをぐるぐる走っていた。すると、どこからともなくポツポツと爺婆たち(わたしは愛着を込めて言っていることをここに注釈しておく)が集まってきた。

何かイベントでも起こりそうな予感だ。爺婆たちは各々挨拶をしながらグラウンドを同心円状に囲っていく。たくさんの爺婆たちにみられながら走るのはなんだか居心地が悪くそろそろ帰ろうかと思っていた矢先、朝の澄んだ空気にラジオの音が響いた。

それは日本人なら一度は聞いたことがあるであろうメロディ。ラジオ体操の音であった。どうやら爺婆たちはここに毎日集まってラジオ体操を行なっているようだ。誰がどうと話し合ったわけでもなく自然発生的にできたそのサークルからわたしはすごすご抜けていった。

するとどうだろう。グラウンドの外でもラジオ体操をしている爺婆がいるではないか。これには驚いた。もはや示し合わせてきている爺婆だけでなく、たまたまそこにいた(と思われる)爺婆たちもグラウンドの中心に向かってラジオ体操をしているのだ。

なんだかわたしは訳が分からなくなり、気がつくと足を開いて胸の運動をしていた。これは蛇足であるが久しぶりにラジオ体操をすると結構疲れる。ここまで読んでくださっている方はぜひ挑戦していただきたい。

さて気がつけばラジオ体操第二までやり遂げてしまったわたしであるが、非常に清々しい気持ちで朝を過ごすことができた。爺婆たちはラジオ体操が終わるとゾロゾロとグラウンドを去っていった。この様子が以前モロッコを訪れた時のイスラムのお祈りのようであったのだ。

みんなで一斉に一つの方向を向き、同じことをする。終わったら一斉に動き出す。これを毎日、当たり前のようにこなす。これがなんとも宗教的だなあと思ったのだ。ラジオ体操に神は存在しない。信じようと思えば健康の神でも、朝日の神でも、グラウンドの神でもよろしいが。

ラジオ体操は小さい頃に一度は経験しているであろうし日本人が理解しやすい擬似宗教行為なのではないだろうか。これを読んでくださった方に識者がいればご意見お聞かせ願いたい。また日本の文化の一つとして外国人に体験していただきたいことの一つであると認識することができた。

わたしは久しぶりに走ったため、腿裏の筋肉がつりそうだ。筋肉の神がいるのならば後ひく筋肉痛にはしないでいただきたい。できれば長く走っても疲れない強靭な筋肉も求む。都合のいい時だけ祈って申し訳ない。パワー!!!!!!


これは誰にも知られていない私だけのライフハックですが、かわいい犬の画像を見ると元気が出ます!かわいい犬を見ると元気が出ます!