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四国とスペインの巡礼日記 <カミーノのエピローグ> 天国のシエスタ

星の巡礼道「カミーノ」エピローグ 2003年7月
「天国のシエスタ」「ボンゴ巡礼」「魂の家族達」

サンティアゴへのゴールが予定よりも三日も早まったので、その分サンティアゴに滞在し観光をかねて次々と到着する巡礼者を祝福することが出来た。

7月28日 サンティアゴ滞在一日目
朝起きて、まず巡礼オフィスに行った。巡礼を終えた人は飛行機のチケットを割引価格で買えると聞いていたのだ。アルベルゲに今夜のベッドを確保し、荷物を置いて町へ出る。こんなにゆっくりとコーヒーを飲むのは久しぶりだな~。三日間サンティアゴで観光しながら巡礼者達のゴールを祝おう。S山ファミリーのゴールも祝ってから帰りたい。

飛行場行きのバスの乗り場を確認しようと町を歩いていると、ベガで一緒に飲んだルイスとその母親のヘドウィックとバッタリ会ってカミーノの終わりを喜びあった。サンティアゴに着いたその足で電車に乗ってイタリアに帰るそうだ。こんな大きな町の外れで帰る直前に会うとは、なんていう偶然!
偶然じゃないか・・・。

ジャズマン・デ・コンポステーラという路上演奏のおっさんに話しかけると、ウルグアイ出身で、冬はギターの先生、夏は道で一日中ギターを弾いて過ごしているのだという。ボンゴで一曲参加させてもらった。

町をふらふらしていると、メリデで食事をしたカナダ人のデビッドとオランダ人ナビートと会う。「S山ファミリーは今日アルカに居るはずで、明日着くかもしれない」と言っていた。

夜、スロベニアからの巡礼者スザンナと会った。彼女は、元気な女の子のようであり、おばさんのようであり、男みたいで女性らしい。とっても不思議な雰囲気で年齢不詳。

スザンナはトールのことを知っていて、一緒に彼の携帯に電話をしてみようということになった。すると、トールは昨日サンティアゴに着いて、そのままガリシアにある実家に帰ったのだという。そして明日、またサンティアゴに戻ってくるという。朝11時、大聖堂の前でスザンナと三人で会うことにした。

7月29日 サンティアゴ滞在二日目
朝アルベルゲを出て、11時の待ち合わせの時間まで、大聖堂でお祈り。カミーノの一日一日を思い返しながら、お祈りした。そして11時、大聖堂の前の広場でトールとスザンナと再会(写真はその時のもの)。

カフェで幸せな一時を過ごした。トールは、完璧に「ありがとう」と「乾杯」の日本語単語を覚えていた。トールは僕達二人に実家から自家製ワインを持ってきてくれた。スザンナが赤、僕は白をもらった。スザンナはこれからスペインの最果ての地フェニステーラに歩く。ブエン・カミーノ!

何回も巡礼オフィスに行ったり、大聖堂の広場に行ったりしたけど、S山ファミリーには結局会えなかった。着いたんだろうか、どっかのホステルにいるんだろうか。結局サンティアゴでは会えないのかな~。

トールはサンティアゴの「ガリシア文化ミュージアム」の建設時、仕事に来ていたことがあるらしく、ちょっとこの町に詳しい。飯の後、そのミュージアムに向かった。まだ閉まっていたので、その裏の広い公園を歩いた。公園は高台になっていて、サンティアゴの大聖堂が見下ろせる。二人で芝生に寝転がり、近くの木陰でシエスタ(昼寝)をとっている水着の女の子達をボーっと見ながら話しをした。

「トール、天国ってさ~、こんな感じなんじゃね~の?風が通る木陰で青空とかわいい女の子の水着姿を見ながら昼寝をするような、さぁ」
「そりゃ、そうだろう」とトール。

本当はもう一つ言いたいことがあった。
「カミーノから帰ったら、俺達もう会えないかもしれないけど、魂になってからまたこんな場所見つけて一緒に昼寝しような」って。でも、こんな最高に面白い奴とまた会ってビールを飲まないのはあまりに惜しいから、言わないでおいた。

シエスタの後ミュージアムに入ると、受付の人がトールの事を覚えていて顔パスだった。そのミュージアムでは、ケルト文化を中心に模型、絵、音楽などを使ってガリシア地方の歴史と文化を伝えている。トールは妙に饒舌で、一生懸命知っていることを話してくれた。そのイキイキとしたトールを見ていて、自分の地方の文化に対する強い誇りを感じた。

そして裏付けはできないけど、直感的にヨーロッパの古層文化であるケルトと日本の縄文文化はとっても良く似た文化なんだろうと思った。カミーノも元々はケルト民族の古代遺跡跡を線で結んだレイライン*の上にあると言われる。そうなると僕達は知らず知らずのうちに古代ケルト民族の聖地を歩いて来たことになる。四国遍路も仏教的な意義付けをされる前からの聖地だったとされる。深い根っこでは四国遍路もカミーノも一つにつながっているんだろう。

【レイラインはイギリス人のワトキンスという人が1920年代に大規模な古代遺跡の直線配列に気づき、それらに光を表す「レイ」という言葉を当てたのが始まりで、現在もプロ・アマ入り乱れてのレイライン調査が続いているらしい。日本でも夏至や冬至の太陽の運行を基準にした直線上に聖地と呼ばれる場所や重要な神社・仏閣があったりする例は数え切れないくらいある。古代人類の深い自然界への知識と限りない信仰心には何かビビッと惹きつけられるものがあるなぁ。】

夕方からはトールと二人でサンティアゴの町を歩き、たくさんの巡礼仲間と会い祝福し合った。気がつけば11時半。トールは実家に帰るつもりだったようだが、完全に終電逃してる。

トールも僕も今日は一度もアルベルゲに行ってないのでベッドを確保していない。余っているベッドがあることを願いつつ、忍び込んでみることにした。まずは、二人とも忍び込むことに成功!そして、2階と3階に一つずつベッドを見つけた。やった~!

「じゃぁ、また明日な、Buenas Noches!(おやすみ)」とトールと別れて歯磨きをして寝ようとすると、下がうるさい。太鼓の音のように聞こえる。1階に下りてみても、もう入り口は閉まってるし、誰もいない。でも太鼓の音は聞こえる。そして地下に降りる階段を発見。降りてみると、たくさんの人が集まって話をしていた。そこにジャンベ(アフリカの太鼓)を叩いている奴がいた。これは、面白い夜になりそうだ。ワクワク。 

ベッドに戻り、自分のボンゴを持ってきた。ジャンベの持ち主は、ゲイリーというイギリス人でロンドンから三ヶ月かけて歩いたという筋金入り。ジャンベは昨日買ったのだという。カミーノを歩いていてどうしても太鼓が叩きたくなったんだそうだ。それにしても、かなりリズム感いいぞ~、こいつ。何人かで、ジャンベと、ボンゴと、裏返したゴミ箱二つを叩きながら叫びまくってたら良い子の皆さんはみんな寝た。

最後は僕とゲイリーの二人になった。結局、僕とゲイリーは午前0時から朝6時頃まで6時間近くも叩きまくってた。お互いどうかしている。ゲイリーは指がはれて曲がらなくなっても叩いてた。この日の為に、僕はボンゴを背負って歩いてきたんだと思った。

Camino de Bongo!

ゲイリーは自分がカミーノで得たエネルギーを反資本主義、反グローバリズムの活動に向けるのだという。この人、なんか笑顔が輝きまくってるぞ。

ゲイリーは人や物が発するエネルギーのバイブレーションが見えると言うので、「じゃあ、この太鼓の演奏はどう?」と聞くと、「とてもきれい。虹色だな」とゲイリー。そっか、虹色かぁ。いいね~。その時、サンティアゴを離れる前にもう一度大聖堂の前に行きたいと強く思った、そして世界中に感謝の祈りを送ろう、と。そして、まだS山ファミリーと会えるような気もしていた。

7月30日 サンティアゴ滞在最終日
朝6時過ぎに寝たけど、すぐにトールに起こされて準備をし、大聖堂前の広場に向かった。

8時40分、広場の中心にある石のコンチャ(ホタテ貝のシンボル)に着く。
9時にはバス停に行かなければならないから10分だけSファミリーを待ちながら、世界中へ祈りを送ろうと思った。自分自身から一筋の強い光が天に昇り世界に広がるイメージに、世界中から自分に光が集まっている感覚が重なっていた。とっても幸せだなぁ、と思った。

そしてこの三日間、待ち望んでいた瞬間が当然のように訪れた。

8時45分、遠くから僕を呼ぶ声が聞こえ、S山ファミリーの三人が大聖堂に到着した。束の間の喜び合い。やっぱり最後に会えたね~。

8時50分、僕は急いで広場を出てバス停に走った。

9時にバスが出発

空港までは少しカミーノの道を戻ってバスが走る。
窓の外を見ていたら、Leonで最後に会ったオーストリア人のベアンドがサンティアゴに向かって歩いているのが見えた。 

その時、頭の中には、ベアンドがサンティアゴに着いて巡礼仲間と再会し、飛び上がりながら喜び合っているイメージがくっきりと浮かんでいた。魂の家族達、みんなみんな本当におめでとう、そして、ありがとう、ありがとう。

最高の最高のカミーノでした。
また新しいスタートです。

頂いたサポートを誰かをサポートするエネルギーにして参ります。