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【小説・好追感謝御礼】不完全燃焼10

  昨日は少しショックなことがあった。非常勤コーチを3年間やっていましたが、小学校から知人のその高校監督から3月末で若い卒業生のコーチを雇いたいので4月以降はスポットでお願いしますという内容がLINEできた。同様のことを本業の忙しさとバランスのとれなさからこちらからそのようにお願いしようとしていたが自分から言おうと思っていたことを先にいわれて敗北感が漂った。決して続けようと思っていたわけではないが自分からという場合と言われた場合とではかなりの温度差と落胆感がある。しかもタメの監督から事務的にいわれたことが複雑な気持ちと同時にこのショックな気持ちを力に「見返してやる」という気持ちも湧いてきた。ただいま48歳、まだまだそんな感情が残っていたことに自分を褒めてやりたい。

高校時代も同じ中学校の同級生から公立高校サッカー部に入った俺と中学では同レベルの同級生から公立高校サッカー部は「楽勝だろ」と言わんばかりに馬鹿にされたことで反骨心に火がついた。やり方としては少しばかり無理があったが高3の先輩たちをコマのように口で使い、とにかく「自分が一番目立つ」という結果を高1の新人戦でベスト4という結果を残し、憧れの先輩と同じ舞台の県選抜メンバーに高2で入った。この結果には大満足だったし、中学の時に片思いであった彼女にも「俺を選ばなくて後悔しただろ」という反骨心であったかもしれない。そんなこともあり、高2のバレンタインデーは「男は人生で3回のモテ期がある」の1回目が到来した。まず、彼女から、隣のクラスのいつもいじめていた陸上部の女子、面識のない1年生などから本気のチョコをもらった。この絶好調があとからじわじわきいてきたことは間違いない。でもこの県選抜メンバーのおかげで同じ年代サッカーの同級と酒を飲むときには必ず「強豪校でなくて2年生で国体に入った」すごいやつとして紹介されることが恒例になり、いつも鼻の下が伸びることと酒盃が増えるパターンとなった。

 でも高3では体育祭の応援団になるサッカー部の同級生が部内をかき回し、監督がいないチームの試合メンバーを決定する俺が試合に勝つために応援団に入り練習に来ないメンバーを試合に出すことに不満をいだいたメンバーからサッカー部をやめろと言われる場面が頻発した。そして、高3でも県選抜メンバーの対象となったが高2で入った人が高3ではじかれるということが自分に降り掛かった。それからは転げ落ちるような高校生活になった。

 まず、大好きだった彼女が急によそよそしくなり、いつのまにか振られた。今でもなんなのか疑問だがやはりだめだったのだろう。チューもできない高校生に魅力はなかったのだろう。その頃から「いきおい」がなかった。サッカーも高3最後の大会は後輩のキャプテンに定位置のポジションをとられ、いつか自分がやっていたようにコマとして使われた。高校生のときにはその後紹介を受けて同じ学校の優等生と一度だけ地元では有名な遊園地にいってそれなりに楽しかったがチューするような感じの子ではなく、単純に楽しかったが勉強もできる子だったのでなにか違う気がした。絶好調の時の彼女は杉山清貴が好きだったのでまだCDがない時代にLPレコードを2枚ほど買って聞いていた。「さよならオーシャン」とか。遊園地行った彼女の好きな歌は思いだせない。

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