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物語を生きる

こんにちは!
訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみです。
突然ですが、今年は家族で沖縄に行く予定です。
ユニクロでそれっぽい夏服を眺めてイメージトレーニングしています。
(買わないんかーい)
現地で飲むオリオンビールが今から楽しみです。
(やっぱそっちかーい)

そんなことより、今回は中川さん(仮名)とlifeの物語です。
病とともにある人は孤立しやすい。
苦境のなかで孤立しやすい他者と共にいるために、lifeが日々実践していることについて文章にしたいと思います。


中川さんのこと
中川さんは70代女性。
緊急手術で小腸ストーマを持つことになりました。
栄養の消化吸収に課題があるので、中心静脈栄養という太い静脈から直接高カロリー輸液を流す方法で栄養管理をしています。
手術は成功したものの、術後も原因不明の腹痛が続き、何十日間水も固形物も喉を通らなかったと言います。
当時は少しの水を飲んでもお腹が痛くなり、七転八倒していたそうです。
絶飲食状態で点滴が外せません。
入院期間も長期化するばかり…なんとか自宅に退院するために鎮痛剤を調整。
最終的に貼付剤によって痛みを調整することができるようになりました。
医療的な処置についても家族に指導され、自宅に退院することに。
自宅退院と同時にlifeの看護が介入させていただくことになりました。

はじまり
退院当日、わたしが訪問しました。
念願の退院。
自宅に戻り、家族に囲まれ穏やかな表情を見せる中川さん。
入院中から長女さんと長男さんご夫婦がぴったりと寄り添っておられました。
訪問すると、「わたし桃が食べたいんだけど、いいかしら?」と質問を受けました。
「食べる=お腹が痛くなる」と思い込んでいたと思われる中川さんが「食べたい」と言っている。
これは回復の兆しだし、自分の居場所に戻ったことによる効用だと確信しました。
食べていけない理由はない。絶飲食の指示もない。
さまざまな理由から、結果、絶飲食を選んでいただけ。
中川さんやご家族にあるのは、食べることに対する恐怖心。
わたしはあまり間をおかずに「いいですよ」と答えたと思います。

「いいの?」「いいんですか?」(ほぼ同時に同じ内容を言葉にする中川家)

中川さんもご家族も花が咲いたみたいにぱぁっと目が開き、その瞳はキラキラしている。
「はい。でも、もしかしたらまたお腹が痛くなるかもしれません」と伝えました。
入院中からずっと、口からは何も食べていません。
少しだけ、味を感じるところから始めることを提案しました。

「そうね」「そうですね」(ほぼ同時に同意の意思を言葉にする中川家。息ぴったり)

小さく切った桃を口に含んで果汁だけ味わう、という方法を考案し、実践することになりました。
早速準備してくださるお嫁さん。
スプーンで口に運び、小さな桃を噛み噛み。
果汁を味わったところで吐き出します。
一連の動きを固唾を飲んで見守る中川家と看護師。
時が止まる。

「おいしい」
「わたし食べられた」

安堵を感じたと同時に時間が再び流れ出す。

「食べられたね」
「よかったねお母さん」

この時の感動。
改めて中川さんとご家族と出会った記念すべき瞬間。
ここから中川家とlifeの物語が始まりました。

はじまりから長くなっちゃった…
でも、こういうことってあるんです本当に。
入院中には考えられなかったようなことが、自宅に戻ったら実現する。
この不思議。
居場所の効用。
人間がもつ力の可能性。
いのちが輝く瞬間。
すべてが素晴らしすぎて。
立ち会うたびに感動し、心が震えます。
これだから訪問看護はやめられない。

中川さんとご家族とlifeの日々
食事は少しずつ食べられるようになったものの、不安定な日々が続きました。
痩せてしまって、体力がありません。
退院当時は全身の痒みにも苦しんでいました。
気分の浮き沈みが激しく、夜はなかなか眠れません。
24時間続く点滴。
自分の意思とは関係なく排泄が続くストーマ。
疲れているのに眠れない。
元気になりたいのに元気になれない。
極限まで落ちた体力で、中川さんは先が見えない不安と闘っていました。

退院当初、訪問時にしていたことは、医療的な処置と、日常的なケア。
体を拭いて保湿して、着替えをする。
ベッドを整える。
足浴をする。
洗髪もよくさせていただきました。
ケアをしながら色々おしゃべりしました。
特別ではない、シンプルなケアです。
「気持ちいい」
「さっぱりした。ありがとう」
この心地よさの積み重ねが、暮らしを支えるケアにとってとても大切。
身体的な心地よさは「ここにいていい」という、存在の肯定に直結しています。
自分を取り戻すためのエネルギーになります。
しかし、苦しみと共にある中川さんにとって、看護師とのやりとりが時に苦痛となることがありました。
ちょっとしたことがフックとなり、不安や不快感が増大し、ケアを拒否されることがありました。
わたしと同行訪問をして、伝達して、同じようにケアをしても、他のスタッフが行くと拒否される時期もありました。
「あなたで大丈夫なの?」
「もう今日は触らないで」
これで涙したスタッフが数名…
中川さんに直接拒否されることはもちろん辛かったと思う。
それに加えて、田代なら大丈夫なのに…ということにも苦しんだのではないかと思います。
こういうことってたまにあるよなぁ…
意図せず看護が属人化してしまう。
わたしもこの時期正直辛かった。
わたしの振る舞いによってスタッフを苦しめているのではないかと悩みました。
中川家で失敗できないという見えないプレッシャーも感じていました。
悩んでいても日々は続き、中川さんの暮らしを継続させるために訪問しなければなりません。
不安や恐れを感じるたびに自分に言い聞かせていたことがある。

「中川さんの幸せに集中する」
(NHKのプロフェッショナル風)

こういう時にわたしが恐れているのは、できない自分を目の当たりにすること。
プレッシャーの中身は、よくよく見てみると、自分に対する自己防衛。
力になれる看護師でありたい。頼りになる存在でありたい。
それって中川さんの幸せとは無関係なこと。
完全にわたしの問題です。
だから、とにかくケアに集中。
わたしにできることはそもそもほんの少し。
そのほんの少しのことを、目の前の方のために最大化するのが看護師であるわたしの使命です。
中川さんの体力の消耗を最小限にすることを心がけました。
弱っている時、人はとっても敏感です。
(何日も寝ていない、徹夜明けの状態。ナイチンゲールさんが言ってた)
わたしの気配が害にならないよう、声のトーンや足音、物品の取り扱いにもいつも以上に配慮しました。
わたしは油断するとすーぐ振る舞いがズボラになりますのよ。
真剣に、心を込めて体を拭きました。
「こんなに痩せちゃって」と変わり果てた自分の体を見て涙する中川さんのそばで、わたしはかける言葉がありません。
温かいよりも熱いに近いタオルで黙々と体を拭くことしかできない。
(痩せたのは)頑張った証ですね。と、言ってみたことがあった。
どこにも届かずすぐに消えてしまうような言葉だったなぁ。
ストーマケアをしていると、
「なんでこんなの(ストーマ)作っちゃったんだろう。こんなふうになるなら死にたかった」と悔しそうに俯く。
いのちの選択を迫られ、最善の選択をしただけのこと。
でも中川さんは、そんな答えが欲しいわけじゃない。
虚空に投げられた中川さんの答えのない問い。
「なんででしょうね…」と一緒に言葉を探し続けるしかありません。
「わたしは生きている中川さんと会えて嬉しいですけどね…」と独り言を言ってみたり、
「(ストーマが)憎たらしいですか?ピンクで可愛いですけどね」と感想を述べてみたり。
わたしの言葉はシャボン玉…ふわふわしているうちに消えてしまうのさ…
(ポエム的な表現に挑戦)
中川さんの問いには答えられないけれど、とにかく聞く。
そばにいる。
汗をかきながらケアするわたしを見て、娘のはるみさんがクーラーの設定温度を下げてくれてたな…
お湯が冷めないように、何度も交換し、「(温度は)このくらいで大丈夫ですか?」と調整してくれる。
中川さんのためにいつも一生懸命なご家族。
太陽のようにその場を明るく照らしてくれる娘のはるみさん。
母親である中川さんにどんな時もまっすぐ向き合う息子さん。
3人を優しく見守りサポートに徹するお嫁さん。
ご家族の立ち振る舞いによって、わたしもしっかりケアされていました。
直向きな姿は、まっすぐに人を励ましてくれる。

直接ケアを拒否されて、苦しんだスタッフにもケアが必要でした。
中川家で堪えきれず涙するスタッフもいれば、中川さんとご家族の前では我慢して、事務所に戻って涙するスタッフもいました。
そんなスタッフを見守り、話を聞いて、励ますスタッフがいました。
涙を流さずとも、それぞれに強い思いがありました。
以前から言っていますが、感情と価値観は繋がっています。
(熊平美香さん『リフレクション』参照)
感情が動いた時は、自分の大切にしたい価値観に気づくチャンスです。
(成長に貪欲な管理者ですまぬです)
自分はどんな看護師でありたいのか、考えるきっかけになります。
考え抜いて自分で答えを出した人は、必ず成長します。
苦しみ、それでも訪問を続けるスタッフと共にいて、「自分だったらどうする?」と、思考を巡らせるスタッフもいたでしょう。
管理者よ、なんとかしてくれ、と、ヤキモキするスタッフもいたでしょう。
木曜日の全体ミーティングでも話しました。
life全員で中川家のことを真剣に考えた。良い時間だった。
わたしは結果、何もしていなかったけど、何もしないに徹していた、ということにしておくれ。(これはこれで勇気がいる選択なのさ!) 
こういう日々を経て、今に至る。
今では全スタッフ、誰が訪問しても全く問題ありません。
ひとりひとりが、それぞれの形で関係を築いています。
それぞれがlifeの理念に沿って行動を選択していることが、日々の申し送りから伝わります。
わたしが訪問すると、
「田代さん、lifeのスタッフさんはみんな良い方ばっかりね。」と繰り返し褒めていただきます。
「はい。いつも助けられています。」と素直に答えています。
みんな、本当にありがとう。

中川さんの人生
中川さんは、20代でご主人と会社を設立。
一代でその会社を大きく成長させました。
楽しいことが大好きで、チャーミング。
人とのつながりをとっても大切にします。
「わたし昔から本当に人に恵まれるのよ」と話してくださったことがありました。
そんな中川さんなので、家族にも友人にもとても大切にされています。
なんでも自分で決断して、人生を思い切り楽しんできました。
病で苦しむ中川さんに、これまでの人生で躓いたり、苦しんだりした時はどんなふうに乗り越えたのですか?と尋ねたことがあります。
少しの沈黙のあと、真剣な顔で、
「そういう時がなかったのわたし…」と答えて下さいました。
わたしは、その答えを聞いて、そうだったのか…となりました。
人生がうまくいっている(ように見える)人が、実は見えないところで並々ならぬ努力をしていることを、わたしは知っています。
その努力を自ら望んでしている人が、きっとうまくいっている人なのだと思うのです。
多分、中川さんはそういう方なのだと思います。

中川さんが今まで、自ら望んだ努力を積み重ねて、思った通りの人生を送ってきたのだとしたら。
病によって自分の力ではどうすることもできない今の状況。
努力しても思うような結果が得られない。
どんなに苦しいだろう。
混乱するのは当然だと思います。
生きる意味について、今抱えている苦しにみついて、言葉にする作業が必要なのだろうと思います。

支える人こそ、支えが必要です。
lifeのスタッフがお互いに支え合うように、
中川さんを献身的に支え続けるご家族にも、支えが必要です。
そのためにlifeは存在しています。


中川さんのこころとlifeの看護
中川さんは、傷ついて弱り果て塞ぎ込む日もあれば、まるで何かに突き動かされるように意欲的になる日もあります。
そのこころ模様は1日の中でも浮いたり沈んだり、大変に忙しそうです。
はるみさんにあたりちらしたかと思うと、ごめんねと言って涙する。
「せんせ、(たまにわたしのことを田代ではなく先生と呼ぶことがある)わたし、このままlifeさんにお世話になるしかないのよね。死ぬまでよね。早く死にたい」と涙。「辛い…」と嗚咽するのでそのまま号泣するかと思ってそばにいると、
「ごめんねせんせ、こんなこと言って」と、気丈に振る舞う。
「中川さん、大きい声で泣いていいんですよ」と言ってみても、首を横にふり何とか持ち堪えようとする。
中川さんのこころの中に、中川さんが2人いる。
深く傷ついている中川さんと、メソメソしてはダメだと鼓舞する中川さん。
この2人のせめぎ合いによって、中川さんのこころはコロコロと変化する。
できることなら、傷ついた中川さんのままでいてほしいと願う。
弱いままでいいし、そんなに頑張らなくていいのに…と。
でも、鼓舞する中川さんはそれを許さない。
病を持つ前の、元気だった頃の自分であろうとする。
それが本来のわたしである、という主張をなかなか譲ってくれない。

だから私たちは、どちらの中川さんのことも大切にします。
どちらの中川さんにも声をかけ続けます。
中川さんの人生が途切れることなく継続できるように、努力します。
今日はどんな中川さんに会えるだろうかと楽しみながら。
どの中川さんも、中川さんという物語を生きている人であることに変わりはない。
中川さんらしく暮らせるように、物語が中断しないように、ケアを調整するのみです。
心地よさを提供するケアを徹底します。
清拭や着替えなどの日常的なケアを丁寧に。
痛みは限りなく小さくする努力をします。
自由を好む中川さんなので、点滴による行動制限を最小にできるように医師に交渉します。
楽しいことが大好きな中川さんなので、楽しい話題にはとことん付き合い、共に笑います。
塞ぎ込むに日には、そばにいて話を聞きます。
中川さんのために最善を尽くすご家族の話を聞いて、見守ります。
これを真剣に積み重ねる。
これが、lifeの看護です。
正解かどうかはわかりません。
でも、確かなことは、中川さんと中川さんのご家族とlifeで共につくる、世界に一つだけの看護の形である、ということ。
わたしはlifeの看護を誇りに思います。
そして、日々たくさんのことを教えてくれる中川さんとご家族に、心から感謝しています。
誰もがその人だけの物語を生きていること。
こころはとっても複雑で、弱さと強さが混在していること。
寄り添い続ける覚悟を持ってそばにいること。
苦境の中で孤立する人と繋がるために努力をし続けた先にある、看護師としての喜び。
中川さんとの出会いを通して、わたしを含めたlifeの看護師は確実に成長しました。
この感謝の思いを胸に、これからも変わらず伴走し続けることを誓います。


ケアとは何か
冒頭で、
病とともにある人は孤立しやすい
と書きました。
これは、わたしが最近読んで感銘を受けた本からの引用です。
この本の中で、看護の理論家の言葉が紹介されていました。

病むことは、孤独であるということであり、自分の孤独の中核にあるものを和らげられないこと、あるいは、他の人に伝えることさえできないことである。
(ジョイス・トラベルビー)

村上靖彦著「ケアとは何か 看護・福祉で大切なこと」より一部抜粋

また、

病や死、逆境の中で人は孤立する。
孤立とは、外からの声が届いていないことと対になる現象である。

同著より一部抜粋


この本の中で著者は、コミュニケーションを取ろうとすること自体がケアの本質的な行為であり、対象の存在を支える力になりうると言います。
だから、ケアする側の人間は声をかけ続けるのだと。
声をかけることが、ケアを必要としている人と出会う出発点なのです。

ケアとは何か。
いつも何気なく口にしている「ケア」という言葉。
改めて考えてみると、説明することは簡単じゃないなぁと思います。
最近は「ケアってなんだろう?」にアンテナが立っているので、あれこれ本を読んだり考えたりしています。
そのうちまたどこかで大発表できればと思います。

そして物語はつづく
ずいぶん長くなってしまった…時間がかかったよ。
顔にクマ2頭出没だよ。
ところがどっこい中川家についてはもっともっと書きたいことが山ほどありました。
今やわたしの物語にも中川家は欠かせません。
こころ打ち解けていたと思っていた中川さんに「何しに来たの。役に立たないなら帰ってよ」と言われ、中川家の玄関先で涙ちょちょぎれたこともあったわけで…
まだまだ看護師として伸び代があるようなので、これからも看護を楽しみたいと思います!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
わたしのnoteも、すべて田代さとみ物語です。
わたしという物語に触れてくれてありがとうございます。
やさしいあなたに幸あれ〜!

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