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未熟さについて


こんにちは。
わたしは郡山市久留米にある訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみです。
15歳まで速く走れました。(100m限定)

わたしは自分に対する信頼があまりなくて、何かことが起きるたびに
「わたしだったらどうする?」と自分自身に問いかけています。
そういう時の判断軸になっている価値観のことを「美学」と表現しています。
「価値観」というよりキラキラした感じがしてスキだからです。
そんなわたしの美学はいくつかあるのですが、その中でも自分なりに大切にしていることのひとつが、自分に正直であること。
当たり前のようだけど、実はこれがけっこう簡単ではなく、この美学のために落ち込んだり喜んだり人知れず涙したりしています。相変わらず情緒が忙しいです。

一年前の今頃は、本当に苦しい日々を送っていました。
今でも当時を思うと胸がぎゅっとして、悲しみや焦りや怒り…いろんな感情が湧き上がってきます。
誰かを恨んだりはしてないです。
必要な経験だったと確信してます。

あの頃のわたしは今よりもっともっと世間知らずで、馬鹿みたいに真面目で正直で、もっともっと泣き虫でした。
わたしにも守りたいもの、自分自身に対する小さな誇りみたいなものがあったんだなと気づいたのもこの頃です。
その小さな誇りが、わたしの美学。
自分に正直であること。
当時のわたしは怒ったり、強がったり、八つ当たりしたり、できないのにできるフリをしたり、ほんとは笑えないのに笑ったりしていました。
思い返すとあまりにも必死で、恥ずかしいです。必死さが過ぎて、笑っちゃうようなこともたくさんあります。
でもそれはすべて、自分に正直でありたいという美学を守るためにしてたこと。
未熟って、こういうことなんだろうと思います。
未熟なわたしをみて、そのままダメになってしまえ!と思ってる人もいたかもしれないけど、そっと見守ってくれている人もたくさんいたし、lifeに依頼をし続けてくれる方もいました。
感謝しかありません。
もしも当時の自分に会えるなら、ぎゅっと抱きしめてあげたいです。
そして、そんなに心配しなくても大丈夫だよ、と頭を撫でてあげたいです。
だから、未熟だなぁ、でも、頑張っているなぁという人に出会ったら、できるだけやさしく、その人を見守る人でありたいなと思います。
自分が今もそうしてもらっているように。
魂はきれいだし、向かう方向は悪くないんだから、もう少し続けてみたら?ってな感じで。


看護師として特別な資格があるわけでもなく、肩書きも特技もないわたし。
持っているのは、看護が好きという気持ちと、訪問看護ステーションlifeへの信頼。
『lifeを暮らしといのち捉え、真摯に向き合う』 
『暮らしもいのちも人生も、まるごとケアする』
このシンプルな理念に込めた情熱です。

特別なものを持たない自分だから、自分から出る言葉は、自分の中にあるものだけがいい。
飾るものもないし、その必要もないと思うから、自然体でいたい。
(でも素材の良い洋服には憧れています。着飾ることは楽しみたい派。)
そういう自分に対する正直さを大切にするために、言葉や行動を選んでいるのが、今のわたし。
まだまだ未熟なわたしです。


おわりに
最近41歳になったので、自分のこと書いてみました。
後から読んで恥ずかしくなると思うけど、こういうことが誰かの勇気になるかもしれないので、書きました。
何もないと思っている人も、大丈夫だよ、こんなわたしでも生きてるんだから、と、励ましたい気分なんです。
これが歳を重ねると現れるおせっかいという症状なのでしょうか。診断求む。

誕生日をお祝いしてくださったあなたも、わたしの拙い発信を見守ってくださっているあなたも、ほんとうにいつもありがとうございます。
ハグしたい気持ちでいっぱいです。
これからもどうか見守ってください。
幸あれ〜!


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