戯ける美

あらよっと。道化のマスクは透けている。孤独な真実、見え隠れ。それが何やら美しい。

ひょっとこお面の孤独な生は、今や世界の様式美。繰り出すジョークは皆の口角釣り上げて、初めは中々心地よい。けれども、そりゃもう沼の中。あらゆる言葉が笑みの対象、世界は道化に早変わり。笑笑笑、君の周りは、笑笑笑。

君は1人でシクシクシク、心に泣くはホントです。泣いても言葉は届かない。皆皆さんにゃ届かない。全てはジョー

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結論
誰かのために「やってあげたい」と思うようなことは、結局のところ最終的には自分にしてあげたい(自分がやりたいと漠然と思っていた)ことと合致することばかりのようなので、人のためにしてあげたいと思ったことは積極的にしてあげたほうが良い。なぜならば相手も自分も嬉しくなるはずだから。

誰かのためにやることって、自分では体験したことがないことが多くて、もし自分だったら‥というイメージで使えるものを探すんだけど、それが今まで知らなかった新しいサービスを知るきっかけになったりして、意外と人のことよりも自分の身を助けてくれるものが見つかることが多い気がする。

それがなにかの参考になったり、背中を押したりするきっかけになれば、と思うけど無駄になることも多いのも理解していて。
それでも、そう思ったときに「やった」のか「やらなかった」のか、が自分の中で一番大事なことなのでできるだけ無駄でも「やる」。

なんだかおせっかいな性格なのかもしれないけれど、乗りかかった船なので、かわりにアジェンダなどを作ってあげている。

いつもアートは感じるものだって言ってる人の、あいちトリエンナーレ2019での矛盾(アートは知性と教養、深い洞察によって得ることのできる人間の本質的体験なのである)

今回の「あいちトリエンナーレ2019」の大炎上、
これは大勢の人々が、
「アートを感じる」事で、
「大炎上」になったわけね。

僕のネットで繋がってるアート関係者の多くが、
左翼的思想のアート関係者が多いわけだけど、
その人たち皆んなが普段は、
「アートは感じるものだ!!!」って、
言ってる人なのねwww

でも今回の、
「あいちトリエンナーレ2019」の、
例えば「慰安婦像的な作品」とか、
「昭

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麺の美学を考察してみた。

どんなに食欲がなくても、蕎麦なら食べられたりしませんか?
麺類は食が進みやすいのかもね。
麺はスープと一緒に流し込むように食べることができるのかな。
本当はちゃんと噛まないといけないんですけどね。

そこに麺の美学がある気がしてきたぞ。

僕はざるそばが大好きです。
そば湯も好きよ。

暑い夏に食べる担々麺も好きだし、
冷やし中華なんて日本が作った食文化でしょ。
中華麺がどれだけ日本の食事を支えて

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江口美都絵という人とか他にも僕の事を読み違えし過ぎている人に送る文章(あいちトリエンナーレ2019に関する僕の一連の論考について)

あのあのっwww
多分一部の人達が、
僕の「あいちトリエンナーレ2019」の、
一連の論考を完全に読み違えている人が、
複数人いたのでここで、
僕の根本的な考え方というか、
その人たちの次元の違いを提示しますねwww

僕のアートに関する考え方、
というかこの世界全体、
社会全体に対する考え方は、
「オープソースでフラット」が基本です。

その上でですがwww
僕は以前の文章でも、
三次元での行き

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獅子座の季節に「自分らしさ」を模索して。/(誰に遠慮していたの? 何に寄せようとしていたの??)

ハロー、地球☆  お久しぶりのお手紙です。元気です&でしたか?
こちらは2019年8月10日、土曜日の私です。今朝は“いったいいつぶりよ?”の曇り空で、連日の灼熱地獄からやっと少しだけ解放される~♪ と思いきや、午後からまた晴れてきました。予報では今日の最高気温は、久々に目にする「29」という(十の位が「3」じゃない!)数字でしたが、どうだろう……??? ここから窓の外を眺める限りは、相変わらずの

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お礼に「ピュアレッド」のエネルギーを送ります♡ 活力は足元から☺︎/*
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あいちトリエンナーレとか日本のアートそのものが権威主義なのであって都合よく民主的な表現の自由を訴えるのはナンセンス(民主的な表現の自由とは何か?)

僕の様な無名で何の力もない、
一人のアーティストからすると、
そもそも日本アート界自体が権威主義なんだねwww

例えば「あいちトリエンナーレ2019」は、
芸術監督の津田大介がキュレーション、
してるわけでしょ?
それで70組くらいアーティストが選ばれている。

もうその時点で権威主義だと僕は考えるわけ、
だって僕が「あいちトリエンナーレ2019」に参加したい、
って思っても参加できないわけでし

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