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菊池荘の想い出

注:これは、ただの想い出話です。
(トップ画像お借りしました)

18歳で専門学校に行くために上京しました。
中野坂上の学生寮に入る予定でしたが
この年から、その寮は使えなくなると直前で言われ、父と物件探しに上京。

学校までなるべく歩いて行けるところを…と
いくつか見て回り、素敵なマンションは高すぎる。仕送りは、家賃だけ!と
親との約束だったので、なるべく抑えて
安全な物件を…

父が了解したのは、大家さんが1階に住んでいて
2階がアパートの物件。

ここなら学校までも歩いて行けるし
危なくないだろうと。

大家さんも優しそうな方だったので
契約して九州に戻りました。

忘れもしない3月20日…

新幹線乗り場に、両親と高校の同級生が見送りに
来てくれました。
手紙をもらい、ホームからみんなが見送る中
ひとりドキドキワクワクしながら東京へといきました。

友達の手紙を読みながらウルウル。

まだ荷物が到着していないので、寮の先輩のお部屋に数日お世話になりました。

神奈川の親戚宅にも行っておこう!と
先輩の部屋を出て新宿駅へ。

小田急線に乗る予定でしたが
実はその日は何十年ぶりかの大雪。

電車が止まってしまっていて
どうにも出来ず、公衆電話から親戚には行けないことを告げ先輩宅へ連絡。

しかし先輩は出かけてしまっていて
連絡がつかない…

他に知り合いがいないので
何時間か考えた挙句
新しいアパートへと向かいました。

大家さんに事情を説明して
契約した部屋にいれてもらえないか
お願いしたら承諾していただき、少しだけ
届いた荷物の中入って行きました。

今日は寒いから…と
ヒーターを用意して下さり
お布団も貸してもらいました。

TVも何もない部屋で、ぼーっとしていたら
大家さんが訪ねて来て
夕飯を食べに行こうと誘ってくれました。

良いのかな?と付いて行った先は
近所のお寿司屋さん。

カウンターに座り、お話しをしながら
お寿司を食べました。

東京から出て来て、フライングで部屋に行ってしまった私に夕飯までご馳走して下さって…

住み始めてからも、お金がなくて電話が引けないので、親御さんからの連絡はうちに連絡してもらって良いですよと。親からの電話を繋いで下さって…

もう感謝しかありませんでした。

夜間学校に通って、バイトもして帰宅は0時過ぎ。そんな私でしたが、優しく見守ってくださいました。

結局その後、同じ時期に上京していた
いとこと一緒に住むことになり
3ヶ月暮らしてその部屋を出て行きました。

でも、今でもその頃の想い出は心に残ってます。

東京は、18の小娘が住むところじゃない…と
父に上京を反対されました。
それでも諦めきれずに説得して、母からは
自分は好きなことが出来なかったから、お父さんが反対してても行かせてあげるから行きなさいと言われ、入学の手続きをしました。

私が生まれる前、両親は東京で暮らしてました。

神奈川で出会い結婚したそうです。
私が大人になっても、本籍地は神奈川でした。
その後、東京の工場長として抜擢され
三軒茶屋に引っ越したそうです。
(そのままいて欲しかった💦)

都会の厳しさを知ってるからこそ
そんな甘い場所ではないから…と
反対したのでしょう。

あれから何十年も経ちました。

今日、西新宿に行く機会があり
せっかくだからと、地図を見ながらアパートまで
歩いて探してみました。

道の記憶は、ところどころ…
でも、いくつか覚えていた場所があったので
歩いていたら辿り着きました。

アパートの名前は変わっていましたが
懐かしい建物を見て来ました。

初めて住んだ日に
アパートの屋上に連れて行っていただき
3階の洗濯物干し場から見た
新宿副都心はすごかったです。

田舎から出て来た私は
「あ〜東京に来たんだ…」と思ったものです。

そこの近くのデニーズに
生まれて初めて、1人でご飯を食べに行く
というチャレンジをしたものです。

田舎では、時給380円だったのに
その時のデニーズは550円くらいだったかな。
すごーい!!と驚きました。

今日探してみましたが、無くなってました💧

中野坂上の駅周辺も
高層ビルが立ち並び、景色が一変してました。

そりゃそうですよね。
30年以上経ってるわけですし。

今日のこの想いを
何かに綴りたくて、近くのファミレスに入り
noteを書いているところです。

さて、良い時間になってきたので
帰るとしますわ😊

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