WASS -June 31st- Part_2

ChapTer_II:五月二九日金曜日 晴れ

 "タンタンタンタン タンタンタンタン

  ひやりと冷たい鉄の音 静かに響く硬い音

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  吹き抜けの螺旋階段 眩い光に気だるげな窓

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  景色だけはいいの だって覚えていないから

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  24階 23階 22階 21階

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  太い柱が折れている されど社は崩れない

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  怒号に罵声 砂糖水にタオルケット

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  あの頃は良かったって 言い放つのは簡単

  丹々丹々 丹々丹々

  溶けて爛れて 艶やかな赤色だった

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  20階 18階 17階 16階

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  甘い香りに包まれて 暗闇の中を降りていく

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  抉った恋人と ワルツを踊らないか

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  拗れの位置と 記憶を手繰りたくない空間があった

  淡々淡々 淡々淡々

  上塗りすればそれで済んだ ただ色だけは淀んだ

  タンタンタンタン タンタンタンタン

  どこまでいっても 僕は僕でしかなかった

  僕とはなんなんだ 僕は僕だ"

                       [階層]

 小学一年生になった時,僕の世界は大きく広がった気がした.背負う黒々とした大きなランドセルにはたくさんものを詰め込むことができたし,親同伴でなくとも子供だけで遠くまで外出できるようになった.しかし,実際はランドセルには教科書と筆箱くらいしか入れてはいけず,小学校までの通学路というのは,子供の足では時間がかかるものの,大した距離ではなかった.学校に行っても,授業中は後ろの席の級友と喋ってはならなず,落ち着いて前を見て座らされた.遊ぶことができたのは休み時間だけであり,教室や廊下を掃除しなければならなかった.

 今から考えると当たり前のことなのだが,僕は大きなショックを受けた.当然だ,7年ほど生きてきた中で,初めて目の当たりにした社会という集合体であり,無秩序が悪だと説く統制だ.当時,己が進化したとでも思っていたのだろう僕からすると,ある種絶望感のようなものを感じていたのだと思う.そして,五年生くらいになると,生まれてから費やした年月のうち,半分を小学生として過ごした僕は,もうこのままずっとずっと小学生のままなのではないかという思考に陥っていた.毎日大体同じ道のりを登下校し,決して速くはない進度の授業を静かにお行儀よく受け,昼にはそこまで多くない給食を食べ,毒にも薬にもならないような,A三の少し良い紙にカラー印刷されたテストを解く日常に,子供ながら嫌気がさしていたのかもしれない.後に母親に打ち明けたら大笑いされた.

 しかし,悠久の営みにも感じられた小学校生活とは一転して,中学校生活はかなり速く進んでいる気がした.入学したばかりの頃は,中学三年生というと,かなり年上のお兄さんお姉さんに感じられ,若干の畏怖さえ感じていたものだが,それがいつしか月日は流れ,気づけば僕が最上級生だというのだから,不思議なものである.いつの間にか,どこの高等学校へ進学するか悩むセンシティブな時期になっていた.

 中学三年生になって,多くの同級生が成績や学力と睨めっこする中,僕にはそこまで大きな悩み事はなかった.というのも,小学校から粛々と進められてきた,出る杭を打って滑らかな集合体を形成する,という社会的洗脳にどうも大きな適性があったらしい.そして,中学校に入学してから最初の定期考査で学年二位だった僕は,三年という時を経て,公立中学校教諭が理想とするような優等生になっていた.加えて,外部のサッカークラブに所属し,キャプテンを務めるくらいにはスポーツも人並み以上にはこなせる.中学生として,順風満帆だった.

 しかし,そんな順風満帆だった中学校生活にも,一つ問題があった.というより,だからこそ生じた綻びのようなもの,があった.

 僕は,多分,退屈していたのだ.

 そんな折,僕には好きな女の子ができた.Hと呼ぶことにしよう.Hは小学五年生の秋,僕の町に引っ越してきた来た転校生だった.ただ,当時はクラスの数も多く,離れた別のクラスだった僕は,可愛い転校生が新しく入ってきたらしい,という程度の話しか知らなかった.実際にその顔を目にしたのは,彼女が卒業生代表として記念品を受け取った時である.これには当時の女子たちが,ぽっと出の転校生が何を,という感じで密かに妬んでいたことを裏で聞いていたので,恐ろしい世界だと感じた.

 今思うと,仕方がなかったのだろう.同じ人たちが六年間も共同生活し,競争も変化も対して何もなかった彼女たちに対して,テストの点数が高く,物腰も穏やかで,少し弱々しく,何より客観的に「可愛かった」彼女は,小学校教諭という生き物にとっては格好の偶像化対象だったはずである.そんなHが妬まれないわけがない.そもそも,僕はその頃,ミニバスケットボールをやっていた背が高い活発な女子Kに対し,人生初めての淡い恋心を抱いていた時期だったので,Hに対してはなんの感情も抱いてはいなかった.特に六年生になってからは,初恋をしたその女の子と同じクラスになれたため,それどころではなかった.

 どうでも良い話だが,今でも実家にとっておいている,彼女と写っている写真を見ると,なんだか少しだけむず痒い気分になる.当時の私にとって大きな感情の起伏だったのだろう.ちなみに,彼女とは数年前にSNSを通じて偶然再会し,何度か連絡を取り合うことができたため,とても感慨深かった.世の中というのは本当に奇妙なもので,恐ろしく狭い世界だ.

 Hと初めて言葉を交わしたのは,中学一年生になってから間も無くというタイミングである.同じ学習塾で偶然隣の席同士だったことがきっかけだった.平均より少しばかり背が高く,色白でぱっちりとした二重に眼鏡をかけ,ショート気味の髪の毛には器用に小さな三つ編みが両サイドにちょんと伸びており,テンプレートとしての"物静か"という形容がこれほどまで似合う女子はそう居なかった.さらに,細い指先から紡がれる文字は小柄で整っており,物腰も柔らかく,思春期真っ只中というセンシティブな時期にもかかわらず,全く話したこともなかった僕とも気軽に喋ってくれる.くしゅんっ,と小さく放たれるくしゃみは本当にそれで満足できているのかと思ってしまうくらいか細い.

 まだまだ沢山の表現を連ねられるが,まあ,うん,ええと.

 要はつまり,可愛かったのだ.

 勉学においてどこか躓いているというわけではなかったが,塾自体がどこかあまり好きにはなれなかった身として,通うことが待ち遠しくなるという転換点となった.彼女の虜になってしまった僕は,どうにかして,Hと仲良くなれないかと考えるようになった.

 そんな折,中学三年生となった四月のこと.春休み終焉の絶望感を孕んだ新学期特有の浮き足立ちそうな気持ちで登校し,鈍色の下駄箱に張り出された新しいクラス割を眠い目を擦り眺めてから,相変わらず前半一桁台に陣取っている自身の名前を見つけた.そして同時に,頬を平手打ちしたかのように眠気を吹き飛ばす或る名前が目に飛び込んできた.僕は初めて,Hと同じクラスになった.

 同じクラスとなれば,仲良くなることはそう難儀なことではない.特に,僕とHが属した三年D組は,多感な中学生の割には,男子と女子が大した分けも隔てもなく雑多に仲良く会話を交わすような少し珍しいクラスだった.首位クラスとダブルスコアで惨敗した中学最後の体育祭において,自他クラス教員共に,試合には負けたが体育祭を一番に楽しんだクラスだと言わしめた,そんなクラスである.そしてそんなクラスの中で,元々面識のあった僕とHが仲良くなるまでには,そう時間は掛からなかった.ただ,あくまでそれは「仲良くなった」というだけであって,それ以上でもそれ以下でもなかった.あくまで僕は,Hに「恋」していて,だからこそ,Hと仲良くなりたかったのである.つまり,仲が良いクラスの中で,同列に「仲の良い」女子として彼女を欲していたわけではなく,Hと「親密」になりたかったのだ.そしてそれが,妙な両親からの言いつけを守り,異性の恋人を十五年間きっちり作ってこなかった僕にとって,何をどう,そしてどの様な状態を求めたいのかは解らずとも,現状ではないということは理解していたのである.

 Hと仲良くなりたい———

 あ,そうだ.

 そして,そんな行き着く先のわからない,漠然とした想いが,ある一点においてのみ,極値的に解を得た.

「周りの人が知らないような秘密を共有するような仲になればいいのか.」

 あまりにも稚拙で,何かを履き違えたような発想ではあるが,思い返せば,これがことの発端だった.

 そしてその思考から程なく,大した不自由もなく,そこそこ順調に十五年生きてきた少年が,周囲の生徒から比べたら幾分か冴えていた知恵を絞って考え出した,浅はかな結論に至る.

「色々な人の噂だったり,内緒話をするような会をしない?」

 僕はHに持ちかけた.もちろん,僕も単独で突拍子もなく彼女に対しいきなりこんなことを提案するほど馬鹿ではない.そもそもそんな度胸も持ち合わせていなかったけれど.

 ちょうどその時期,他クラスの男子による二股が発覚するという,これまた浅はかな情事が三年生全体で共通話題として存在していたのだ.僕はその期を逃さなかった.僕はまず,住んでいる家が近く,幼年期から仲も良かったYにこの話をし,同意を得た段階で,同様に仲が良くなっていたHに話を持ちかけたわけである.ただでさえ,この時期の多感な中学生だ.他者の色恋沙汰が一世を風靡していた折,噂や内緒というキーワードに対し,食いつかないわけがないと考えたわけである.

「え,いいよいいよ!面白そうだね!」

 Hは快諾した.そして,もう少し他の人も誘わないかという話になり,最終的には,Hの友人だったAと,一緒に学級委員をやっていたN,僕の友人だったKを合わせた6人で集まることになった.場所は,僕の通学路上に位置する,南中学校から少し歩いた先の,小高い丘のようになっている公園で,時間は,今日の放課後.中ば思いつきで話した節はあったが,幸いにも,6人の予定が重なって何よりだ.

 この時ほど,早く学校が終わればいいのにと考えた日はなかっただろう.僕は待ちくたびれたホームルーム終了の挨拶を合図に,急いで荷物をまとめ,教室を後にした.

 この公園は一年前くらいにできた比較的新しい施設だ.通学路沿いではあったが,丘が死角となっており,誰が遊んでるかについては探そうとしなければわかりづらいような,ちょっとした集まりをするには格好の場所だった.とはいうものの,これはれっきとした寄り道であり,中学校から程なくという場所に位置する公園へ向かうには,中学生男女6人が一緒になってというのは些か目立ち過ぎてしまうため,各々がある程度バラバラに出発し落ち合うよう約束した.

「えー,あたし場所わかんないよ?」

「大丈夫,わたしが一緒に行ってあげるからさ.」

 そんな会話をしていたので,HとAは一緒になって来るだろう.ちなみに僕は,案の定一番最初に到着してしまった.人まず,屋根のある四角形のテーブルとベンチの上に背負っていた荷物を置いた.まだ五月だというのに,真っ青な空の端っこには夏真っ盛りと言わんばかりの大きな黙々とした入道雲があった.照りつける日差しも,公園の砂を容赦なく照りつけている.屋根の下にいるというのに,風が吹いていない所為か,この地方の気候も相まって,とても蒸し暑く感じた.

「よーっす」

 程なくしてから,如何にも暑さにやられていますと言わんばかりのNが来た.

「お,まってたよー,にしても暑過ぎない?」

 もう少ししたら,ふわふわとHも来るだろう.

「だよねー,もう夏って感じ.」

 Aを連れて.

「他の人らは?」

 そして,YやKも. 

「私は一緒に来てないよー.」

 そしたら何から話そうか.

 

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