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受け身だったけど内面は自己主張旺盛だった私

こんにちは。

今日は幼少期の頃について話します。
随分昔のことですが、
私、部分的な事を結構鮮明に覚えているんですよね。
これも特性かしら??

幼稚園の生活発表会での話。


年長の時、私はダンスを希望していたのですが、
なぜか、大きい紙芝居の朗読を
担当になったんですね
確か、『3つの願い』
だったかな~


かわいい衣装を着て、
踊るほかの子を見て
凄くうらやましかった。

でも、私もがんばって、
朗読したけどね。

目の前のカワイイ衣装を着た子を見ると、
ああなりたいとは思うけど、
それをまわりに言えなかったな

それを言っても良いってこと
分からなかったな。

小さいころから嫌だと言ってもいいという感覚が分からなかった

なんか、よくわからなかったけど、
そういう、
自分はこうしたい、
って相手に伝える方法が
分からなかったんだよね

“受け身だけど、内面はすごく自己主張したかった”

だから内的に葛藤するよね。
心の中に沸き立つ熱いもの持っているけど
出せないしんどさ。

小さい時には、
よく、
心と体が一致しているイメージが無くて。
心が
わたしという殻をかぶっている

そんなイメージがしてた。

どうしてそう思う様になったんだろう??

私がそう感じてた背景には
たぶん、
親がいるんだよね。

小さい頃の両親の姿


私は、
小学生の時から、
家の手伝いや、
母の内職の手伝いをする子でした。

父が家のお金を持ってパチンコにいく人で、
夫婦ゲンカの絶えない家でした。

私がお手伝いをすることで、
母親から褒めるを通り越して、
「助かっている」
言われてたな。


わたしが手伝うと、母親が助かると言う。
だから、

“これが嫌だ”

って言えなかった。

親を助けている私でいたかったんだな。


親が「助かっている」といわれる
私の
親への受け身な姿勢。
親に「助かる」って言われたら
辞められないよね。


もし、小さい時に
イヤなら嫌って言える方法が分かっていたら?

もし、
私が嫌だという事を
親が許してくれていたら?
許してくれている環境があったらなら??

今より違った自分に
なっていただろうか?

分からないなぁ~

だから、
自分の子育ての時に、
我が子(特に長男)から
イヤだのなんだの言われたときには、
驚いたよね。

嫌な事があると癇癪を起こす長男

長男の姿を見て、
私が今まで言ってこなかったのに、
なんであなたは、嫌だっていうの???

驚いたし、
反面、
うらやましかった。

私は母に
イヤだって言えなかったのに
なんで長男は言えるんだろう?

長男の幼い時からの、
イヤなことに対して、
ところ構わず
地べたにそっくりかえして
かんしゃく泣きをする、
そんな様子を見て、
「なんで?」って怒りが湧いたんだけど、

イヤと言う気持ちを言えてる長男
VS
イヤだと言えなかった私では

私の方がだいぶ分が悪くて
負けたと思った

私のしたかったことをしている長男には
勝てないよね
あっ、これも100ゼロ思考だけど(;^_^A

子育てをして気づく、
私の内なる自己主張。


この違いは、
ASDの
長男→積極型
私→受動型
凸凹の違い
なのかしら????

グレーな私には
よくわかりません


今日も見てくれてありがとうございます☆
じゃあ、またね~

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