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「人に利用される側」の勝算

今のところ、無い。

今までの人生で目を背けてきた事実で且つ、気づいた時には一番悔しい事柄へと成っていた。

自我を持ち始めると、人は他をうまく頼るようになる。
そんなのは普通のことだ。

私だって、利用することに興味を持ってしたことがある,
しかし毎回ツケが回ってくる。

いつも他人を頼っている人にはその分打撃が大きいのだろうと何度信じたことか。(この文章で1番のネガティブ文)
どうやら回ってこない。降伏している姿なんぞ見たことがない

悔しい。自分が負けた経験よりも悔しい。実際負けているけど、そんなことよりも具体的なこととして悔しい。嫌味を言われるよりも悔しい。言っているのかもしれないし、行動として嫌味が表出されているのかもしれないけど、とにかく悔しい。

私は繊細なんだねってよく言われるのできっとそうなのだ。
だとしても、皆はそのツケをスルーできるほどの余裕があるのだろうか。気にせず続けられるパワーが備わっているのだろうか。

「考えすぎだよ。」そうなのかもしれない。でも、悔しくて恐くて胃痛が来るほどなのだから気にならざるをえない重さのなにかがあるのだ。

人といると、目の前のその人に嫌われたくない一心でなんでも話してしまうやってしまう。その人の都合のいいように演じることだって日常茶飯事。思ってもいないありがとうなんて辞めたくても辞められない。その後、絶対にその重りが心にかかっている。

負けず嫌いなので、寧ろ利用してもらおうと開き直ったことだってある。実際その場では楽だったけど、後味が強烈に悪いので結局辛い。良策でないのは明らかだ。

自力で頑張るしかない。
→辛い。しかも勝てない。→?

こんなことで悩んでいてはいつまでも「こっち側」である。
そーんなことは知っている。知りたくないけど。
おんなじことを考えている人が世の中に1人でも多くいることを願って。こんな人を受け入れてくれる人と出会えるのを願って。怒りのまま書きました。おやすみなさい。

💫ナガレボシ
甘えるのがうまくなりたい ×3

今日も、大好きな暖かい人達は、素敵だった。
その人たちに今はもたれかかっていようと思うの

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