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グリーンランド人の大らかさ

なんだかグリーンランドのような果てしなく大きな場所だと、そこで起こることも、なんというか、たがが外れているといいますか。

昨日もグリーンランド経験の長い同僚Mと話していて、なぜここではそういうすごいことが起こるのか(人々が起こすのか)となった時に、彼はグリーンランド人の特徴が「大らかで瞬発的だから」という、なんとも言い得て妙な解答をくれました。

グリーンランドの人はとてもおおらかで、のんびりしていています。土地の大きさと自然の規模を考えれば、まあ納得できるところではありますが、この大らかさは時として、諦め、失望、降参と見えるところがあります。
では、グリーンランド人はみんな悲観的で鬱気味なのかというと、意外とそうでもないのです。

医療に関して言えば、前回にも少し触れましたが、僻地では、というかグリーンランド自体がそもそも僻地なので、人々は色んな、出来る、受けられて当然の治療を諦めなければならないことがたくさんあります。

例えば、グリーンランドでは、妊婦さんは出産予定日の約10週間前から、周産設備と麻酔科のある州の病院に入院することになっています。緊急で帝王切開が必要になった場合、診療所では対応できないし、搬送も天候と時間によって不確かだからです。
10週間という、ずいぶんな余裕をもっていても、早産で生まれてしまうことも多々あります。赤ちゃんをすぐにNICUに入れて集中治療を施さなければならなくても、冬はヘリコプターが飛べるくらい明るくなるまで、そして天候が良くなるまで待たねばならず、「どうしようもできない」ことがあります。

他の外傷や緊急の病気でも、搬送できる状態をなんとか手を尽くして保ちつつ、ヘリコプターを待つのみです。
あるものを使う、できることをする。やったことがなくても、とにかく試す。グリーンランドで医療者として働く手引書のようなものに、

「グリーンランドの医療現場では、経験の無い、専門外のこともやらねばならない場面が出てくると思います。とても不安で、自分の職業モラルや、精神許容範囲を超えるプレッシャーかもしれません。ただその時に考えてください。もしここでそれをしなかった場合どうなるか。そこ(ゼロ地点)であなたが行う全ては、プラスでしかないのです。」

ある意味、グリーンランドでのそういう緊急治療は、心肺蘇生のようなものです。心停止はその時点で「死」なので、「人は2度死ぬことはできない。だから間違いを恐れないで」と、心肺蘇生にすぐ取り掛かることを推奨されますが、グリーンランドの医療自体がそれに近いものがあります。
なので時々、ここがデンマーク領であるということを忘れて、後進国のどこかかと思えてきます。

では、患者さんたちはそれについてどう思っているのか?デンマークでだったら、みんな「どうにかしてよ!」とギャーギャー喚いてパニックになっているところでしょうが、グリーンランド人はほとんどの場合、みんなじっとしています。
そこまで生きるか死ぬかのすごい場面にはまだ出くわしていないので、全てがそうとは言えませんが、みんななんらかの期待をもって診療所にやってきて、それがここではどうにもできないことと知っても、憤る人に出会うのはごく稀です。

で、失望して悲観的になっているかというと、そうでもあるようですが、なんというか立ち直りが早いというか、大概の人は「あ、そう」と大人しく帰っていきます。
ある人はその失望をお酒で紛らわし(そして大体の場合、さらに状況はひどくなる)、ある人はまた淡々と狩や漁に出かけ、そしてまた数週間後に似たような症状を訴えて受診してきます。
まるで天候が変わるのを待つように、何か治療について状況が変わったか確かめにくるように。

元々の比較材料がないからということもありますが、グリーンランドの(特に僻地中の僻地の)人たちは、それでも私達医療者に対して、純粋に信頼と敬意をもって接してくれます。
同僚M曰く、「何ができるのかわからないけど、とにかくなんとかしてくれるかもしれないって、色んな期待をもってみんな受診して来るんだよ。」と。

でもなんといっても、この大きな自然が、生き方も全てを決めてしまうようなところでは、その成り行きを、顛末を、大らかに受け入れる以外ないのだと思います。比較することもできないから、失うものも少ないというか。

「大らかで瞬発的」の大らかさだけででずいぶん長くなってしまったので、「瞬発的」については次回に持ち越したいと思います。

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