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京島という町にたまたま出会って、引っ越して、写真展ひらいた

変な町との出会い

墨田区の、北のほう。
最寄り駅でいったら曳舟なんだけど、このへんの人たちがそう言い表してるのをあんまり聞いたことがない。
自分たちの住むエリアを「京島」とか「向島」「八広」そんな風に呼んでいるようだ。

私は元々不動産売買の営業をしていて、毎日東京じゅうを飛び回っていた時代もあるので、東京のまちには人より詳しい自負があったのだが、はじめて降り立った時の「なんじゃこりゃ」「こんな町が墨田区に…!?」というお口あんぐり感が忘れられない。

「なんじゃこりゃ」の正体はその"町並み"。
とてつもなく歴史ありそうな建物がぎゅうぎゅうに並んでいる。
特に、1階で商いをしていて2階に住んでるといったかたちの、長屋が多い。
細かったりくねくねしている道もやたら多い。
みたことのない町並みだ、いやいつかドラマか映画でみたような。
宅建士のはしくれとして眺めるに、明らかに今の建築基準法じゃこんな風に建物は建てられない、こんな町並みはつくれないのだ。

その理由はあとから知っていったのだが、100年前の関東大震災のあと、新潟からきた大工3人衆が家を失った人々のためにバンバン長屋を建てて、なんとその後の戦争で戦災を免れたそれらの家屋や町並みがそのまま残っているというのだ。
築年数不詳とか言われたけど、だとすると築100年級の建物があちらこちらにあるのだ。(参考情報として、私が売っていた中古物件、築40年50年くらいは「築古」呼ばわりされてたよ、、)

そしてそこに、人の暮らしがある。
地元に根ざす町工場もたくさん、やたらド派手な色使いの看板の商店街も。
建物の距離が近い分、人と人の距離感もちょうどその分くらい、近い気がする。
町が残ってるからこそ、残っている"人間"の雰囲気がある気がする。

くねくね道と、みちみちの建物と、商店街と、看板と

1週間後には引っ越しを決める

自分の人生の色んなタイミングが重なったこともあったし、なによりなんだかこの町の風景や雰囲気を忘れられない自分がいて、東京の西の方から引っ越してくることにした。

私が住むことになったのは、"築年数不詳"の長屋。
大きな車が前を通るとちょっと揺れるし、今の住宅って利便化を重ねているんだなと気づく動線の家だ。笑
10年程前に、三軒連なる長屋の壁をぶち抜いたり手直しを重ねていって、一部分を花屋、居酒屋としながら、何人かで暮らしている不思議なシェアハウスだ。
ここに、小1の子を含む家族も一緒に住んでいる。

おうちの一部
おうちの一部 2
居間からみえるお花屋さんの後ろ姿がお気に入り
同居人の7歳の誕生日会の準備。彼女のお友達家族やら近所の人やら大勢が参列…!

「すみだ向島Expo」に巻き込まれる

引っ越して来た町一帯で2020年から毎年催されているという「すみだ向島Expo」。
詳しくは↑の素敵なサイトを覗いていただきたいのだが、この地域に魅せられ集まった約50ものアーティストらが、1ヶ月間、この町の中で創作や展示をおこなう、町びらきイベントだ。

今回は、関東大震災から100年ということで、「百年の祝福」をテーマに開催

そして私が引っ越して来た長屋、および周辺の古い建物たちを面白く生まれ変わらせながら町並みを守っている人物こそが、このExpoの主催者。
そういうわけで、Expo期間中は、この長屋の他の部屋もアーティストの展示場所になるし、そもそも長屋自体オープンになってじゃんじゃん参加者が来るから、あなたもなんかやってよ!みたいな感じで、なんと自分の部屋の半分を使って、仕事のひとつである We are Buddies (詳しくは後ほど)というプログラムの活動写真を飾ることに。

そもそもがアートを軸としたイベントなので、おとなりには写真家さん、アーティストさん、音楽家さんがずらり。
ひょんな出会いから、アーティストでもないのに、スマホで撮った活動写真を飾って仲間にしてもらったのだ(巻き込まれたともいう)。

はじめはそんな意識でちょろっと参加させてもらう気持ちでいたのだけど、1ヶ月間を経て、Expoという営みとWe are Buddiesの活動、私の生活との交点が沢山みつかって、その度に味わったことのない感情が沸いて、それは貴重な体験をしたなあと思う。

"部屋の半分"って、こういうことです。ガチで部屋の半分。
こんな感じで仕事してて、人が入ってきたらお喋りするっていう1ヶ月だった

このイベントのなにが面白いのか

このイベントはとにかく、なにかが変だ。
私はまちづくりに関する仕事をしていることもあって、まち一帯のイベント、まちびらき、みたいなものを目にする機会は多かった方だと思うのだが、それらとは明らかに、雰囲気が違う。

その大きな要因となっているのがおそらく、1ヶ月という期間だと思う。
一発の盛り上げイベントという側面より、町自体が元々持っているエネルギーや雰囲気が、ただひらかれて増大している期間、というような感じだ。
私も部屋で生活しながら展示をしていたが、イベントと日常(=ハレとケ)が染み出し合っている、というのが一番しっくりくる表現。

そのひとつの象徴が、『夕刻のヴァイオリン弾き』。
近所の三角屋根の長屋の2階、毎日夜6時に窓をピッと開けて、5分間バイオリンの演奏をするアーティストさんがいる。
6時の時報が10月いっぱい、毎日あるのだ。

最終日はこれなしでは1日が終われない、、とロスに陥った

私は期間中、ほぼ毎日通いつめるほど大好きなインスタレーションとなったわけだが、私の他にも、毎日20人以上は聴きに来ていたと思う。
土日はExpoに訪れた人で狭い路地がごった返していた日もあったし、平日は学童帰りの小学生が聴きにきて期間中盤から歌い出して可愛らしいコーラス隊になっていったりと、とても素敵な風景を生み出していた。

テレビなど、各々が好きなものを好きな時に楽しめる時代、毎日楽しみにしていることがあって、おんなじものを楽しみにしている人たちが、ほんのひと時集って時間を共にする、ということがなんだか貴重だなあと思った。

そして演奏がまた本当に素敵で5分間没頭してしまうので、瞬間的に非日常っぽくもあるのだが、演奏中にバンバン自転車が通ったり会社帰りのスーツのおじさんが素通りしたりと、まさに日常の中のアートである。
演奏が終わると、アーティストさんは何も言わずに窓をピッと閉め、みんな各々の日常に散っていく。
(ちなみに最終日にだけ深く礼をしていて、1ヶ月間作品は続いていたのだと知る。)

18時に集合するみなさん

私たちの展示のこと

さてこの中で、私も”アーティスト”として展示をしていたわけだが、そのことについても綴りたいと思う。

We are Buddies はオランダ発祥のプログラムで、5〜18歳の子どもとボランティアの大人が2人1組の「バディズ」となり、月に2回程度共に時間を過ごし、フラットな関係を築く。

私は2年半ほど前にこのプログラムの参加者になり、自然な流れで関わりが濃くなり、今では事務局としてコーディネーターのしごとをしている。

私のバディ。プログラムの期間は終わったけど、今でも関係が続いている。

Expoでは、今まで撮りためていた様々なバディズの活動写真をメインに、一緒に活動をしている仲間と展示をひらくことにした。
バディたちの関係性が伝わるなにかはないか?と考えて、"ふたりの思い出の品" や、バディから集めた言葉も展示。

前日の夜、仲間とハイになりながら展示をなんとか完成させた(笑)
おとなバディからこどもバディへ、贈りたい言葉

これまでWe are Buddiesと活動を共にしてきた人たちが訪れてくれて、写真や言葉を改めてあじわう姿もとても感慨深さがあったけど、
今回はふらっと立ち寄ってたまたま、はじめて、"知ってしまった"方々も沢山いて。その驚きと、共感と、感動が混じったような反応がとても新鮮だった。
活動の仕組みをわかりやすく説明してしまうのは簡単だけど、写真や言葉で"感じる"ことで、驚くほど伝わってく何かが、きっとこの活動で大切にしてきたことなんだと実感。

そして展示をみて、みなさん、「あの人」や「あの日」を思い出したりするようで。ぽつりぽつりと話しはじめたりする。
「僕のやってたお店によく来ていた中学生がね、30歳になって、こないだ会えたんですよ。綺麗で可愛くなってね、よくやったねって誉めてあげたんだよ。お互いに嬉しかったね。」なんて。
部屋の中が、どんどんそういう物語と、ここにはいないだれかに馳せる想いで、満ちていくような感じがして、私も嬉しくって話し込んでしまった。

訪れるみなさんとのひとつひとつの会話は、いろんな角度からこの活動を言葉にする機会にもなった。
最初は見ず知らずの2人、関係がなかった2人だと説明するとびっくりされたり、「親子の写真ですか?」と質問されることもあった。
ぱっと見他人だってことがわからないくらいの関係性を感じる写真だから、出てくる感想なのだと思う。

そう、We are Buddiesで出会う2人はある種不自然を起こして出会い、それぞれの"特別"を築いていく。
この活動自体、そして今回の写真展も、ひとつひとつの"出会い"をズームアップしてじっくり観てみること、なのだと思った。
大人になる過程でいつの間にか当たり前のことになっている、ひとりの人と人が出会うことを、もっと"奇跡"って思っていいんじゃないかって、思う。
幼い頃、新しい場所で「友だちできるかな」ってドキドキしていた、あの感情は、幼さゆえのものでなく、その奇跡相応の胸の高鳴りなのではないかと。

We are BuddiesとExpoの交点

ある人は、じっくりじっくり展示をみて、こう言葉を残していった。
「バディたちは、忘れてしまうかもしれないくらい日常にとけこむ瞬間や、忘れられないくらいの新しい感情との出会いを積み重ねてるんだなって。」

日常の風景の中で、ワクワクする瞬間や、忘れられない感情に出会う。
バディズのあいだで起きることと、ハレとケが染み出しあうExpoって、なんだか交わる点がある気がする。

また、ひとりのアーティストさんが、「僕のアートは、町になにかいたずらを起こしてみることなんです。その小さな出来事が町や人に影響を起こしていく」と言っていた。
私たちがしてることって、バディたちへの運命のいたずらなのかも?

こんな風に、巻き込まれる形で参加を決めた時にはまったく想像していなかった親和性に刺激を沢山受ける毎日で、Expoの一部としてWe are Buddiesの写真展ができてよかったなあ、と心から楽しんだ。

結婚式みたいな日々

さいごに、"わたし"としての感想。
この1ヶ月間、We are Buddiesといつも濃く関わってくれている方々、バディとして参加してくれている・卒業した子ども大人たちはもちろんのこと、自分の家族、大学時代のサークル仲間やルームメイト、インターンとしてお世話になった人とその家族、前職の同期とパートナー、5.6年ぶりくらいに再会できた友人などなど、自分の人生の様々な瞬間を共にした人たちがみにきてくれた。みんなこの部屋に、会いにきてくれた。

そして、その人たちが、私が今、瞬間を共にしている仲間と出会ったり、交わることのない人どうしが、ただ"わたし"という点だけで結びついたり。

たった1つの特別な"奇跡"が、こうして重なりあったり、連なったりして、なんだか、結婚式みたいな日々だったなって思う。

わたしを囲む、叔母といとこと高校時代の友達と前職の同僚(笑)

この町での出来事が、つづいていきます。

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