【藝術日記2023】畠山直哉×蓮沼昌宏アーティストトーク(長野県立美術館)レビュー
畠山直哉×蓮沼昌宏アーティストトーク
長野県立美術館で、蓮沼昌宏さんの公開制作・展示「制作、テーブル、道」が開催されている。
蓮沼さんは、自身の経験や見聞をもとに、写真や絵画、手回しアニメーション装置「キノーラ」で物語を表現するアーティストだ。プロフィールを長野県立美術館HPより引用する。
11月19日に開催されたアーティストトークでは、写真家であり、東京芸術大学大学院教授の畠山直哉さんと蓮沼さんによって、「世界」や「作品」とは何かということについて、対話が繰り広げられた。
内容の濃い対話の中でも、私は「状況」というキーワードが印象に残っている。
「状況」とはなにか
アーティストトークが行われた11月19日限定で、蓮沼さんの制作スペースに入ることができた。トークイベントが始まる前に立ち寄った、制作スペースには蓮沼さんが執筆した本も並べられていて、2020年、様々な行動が制限されたコロナ渦の展示に関する記録集もあった。『ART LEAP 2020「特別的にできない、ファンタジー」展覧会記録集』(神戸アートビレッジセンター発行)をぱらぱらとめくってみるだけで、「できない」というさみしさを抱えた現実と向き合った制作の状況そのものが、イラスト作品や光を用いた展示の中で表現されていたと分かった。「できない」状況をごまかすのではなく、その状況と向き合う想いを、トークを聞く前から興味深く感じていた。
トークの中で、蓮沼さんは「作品というより状況を作り出したい」と言われた。畠山さんによると、「状況」という言葉は、写真の世界で1950~60年代によく使われていたという。ただし、と畠山さんが強調されたのは、「状況」の意味が今日は変わってきているということだ。世の中が複雑になって、私たちの考え方や行動をコントロールしている。単純に語ることのできない今日の社会状況は、作家の内面への影響は避けて通れないし、作品を通して表すこともとても難しいという。
それを聞いて、私はえびす講の煙火大会を思い浮かべた。
長野駅から、県立美術館の近くにある善光寺までは、まっすぐな道が続く。その規則的な通りの、あちこちではためいていたえびす講の真っ赤な旗には、威勢の良い白い文字で、「奉祝 えびす講」と記されていた。
ちょうど、アーティストトークが行われていた11月19日は、長野市の西宮神社の宵えびすがあった。インターネットで「えびす講 長野」で調べると、検索結果には煙火大会の記事ばかりが並び、えびす講にあわせて開催される煙火大会を多くの人が注目しているのだと分かる。信濃毎日新聞の記事によると、町の有志がえびす講を盛り上げるために打ち上げたのがはじまりだということだ。
同新聞の別の記事では、全国から人が集まるようになった経緯を紹介している。
今年は、花火の打ち上げに先立ち、東京ディズニーリゾートの開園40周年を記念したスペシャルドローンショーも開かれた。えびす講の賑わいを祈念して、市民によって打ち上げられた花火が、今日では花火師にとっての勉強の場である。晩秋開催の珍しさや技術の高さから、メディアやSNSで取りあげられ、全国から観客が集まる。その分人々への影響力も増しているし、花火師、観客、SNSでのインフルエンサー、地元の商店、露天商、ディズニーファンなど、ひとりひとりの感じ取り方は違う。その有様は、畠山さんの指摘する「状況」の複雑さと似ているのかも知れないと思った。
メッセージを知るために
畠山さんや蓮沼さんが話していた「社会」や「状況」というのは、DX化やコロナ渦のように、もっと大きなスケールのものを指していた気がする。その分、より多様な人が関わっていて、多様な解釈が可能なものだ。
ただ、「複雑になった世の中でも、作品を見る人はいる」と蓮沼さんは指摘した。畠山さんも、作品には見る人の存在が必要だという。作品ではアーティストのある種の提案が表現されていて、それがどのように見られるかという関係性が想像できてはじめて、作られたもの、集められたものがアートになるということだ。状況に複雑で多様な側面があるとはいえ、「見る人」がその違いを理由にアーティストのメッセージを受け取る努力をしないのは、もったいないのだろうと思った。
畠山さんによると、アーティストインレジデンスが今日増えているのは、完成した作品だけでなくアーティストにスポットが当てられるようになっている現れだという。アーティスト自身のお話を伺える機会が増えているのは、「状況」が複雑化し、状況に対する解釈も多様になった今、作家の文脈で、作家の世界を理解するためにも大切なことなのかもしれないと思った。花火大会でいえば、打ち上がった花火から間接的に感じ取ろうとするだけでなく、花火師の制作の過程やお話を通して、その人の花火に懸ける想いを直に知ることができるということだ。
蓮沼昌宏「制作、テーブル、道」
また、金属粉の組みあわせで打ち上げ時の発色が決まる打ち上げ花火には、専門的で派手やかな技巧で見る人を圧倒する力がある。一方で、アート作品の技巧は、材料や作られ方の仕組みが、日常や中学校の図画工作の時間に触れたような、少しだけでも身近なものであるように感じるし(絵の具や布、針金、カメラのような)、アーティストインレジデンスの場合は、その土地に由来する材料で作られていることも多い。身近なもので作品が作られていく過程を見られることは、自分の知っていると思っていたことが、思考の文脈の異なるアーティストの場合どのように感じられるのか、差違を認知するきっかけになるのではないか。
今回の展示のテーマにある、「テーブル」も身近なもののひとつだと思う。日常の中で当たり前に使っているテーブルや、その材料である木を、蓮沼さんはどのように表現するのか。制作スペースに一歩入っただけで、ひとつの発見があった。周りの人も巻き込んだ「制作」の自由さを感じた。具体的な展示の内容については、実際に展示が行われる1月11日以降に再度訪れ、改めて紹介したいと思う。
次に訪れるときには、蓮沼さんの「状況を作り出したい」という表現の意味を、もっと深く理解しておきたい。ひとまず、『ART LEAP 2020「特別的にできない、ファンタジー」展覧会記録集』を購入した。作品に込める想いや内面、メッセージを少しでも知ることで、複雑化した状況や世界に対するアーティストの感じ方に気がつけることを楽しみにしている。
見つけた旗
信州大学人文学部芸術ワークショップゼミでは、新たな展示の企画がスタートしている。キーワードは「旗」。藝術日記では、企画内容を随時お知らせしていく。「旗」をめぐり、松本でどんなアートが展開されるのか、お楽しみに!
また、レビューをした作品やアート関連イベントの周辺にあった旗も紹介する。今回紹介する旗は、記事でも紹介した「えびす講」を知らせる旗である。長野駅から善光寺へと続くまっすぐな道を見渡せば、あちらこちらで目に入った。立ち並んだ真っ赤な旗は、例大祭や煙火大会の特別な賑わいを予感させた。(小古井遥香)
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