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【目標】叶わなかった「JNSAになる」という夢

こんにちは!kanakanakanaです。

noteって素晴らしいですね。自己肯定感高め、自己顕示欲強めの私に、
こんなにもマッチしてくれるプラットフォームがあったかと、日々感動しております。

誰かに聞いてほしかった、でも、今更する話でもないか、という私の過去や経験をつづり、それを、知り合いや、知り合いじゃない人に読んでもらえるありがたさ。なんだか、過去が昇華されていく気がします。アーメン。

さて、今日は私の「叶わなかった夢」の話。

中学3年生の秋、私には大きな夢が出来ました。
「JNSAになる!」という夢です。
ご存じですか?JNSA。
略してJN(ただでさえ4文字しかないのに)。

今ネットで正式名称を改めて調べたら、
「日本ネットワークセキュリティ協会」
と出てきました。あ、それじゃないです。

「日本学生協会基金」の方です。
関東圏の大学生のボランティア団体で、
「高円宮杯全国英語弁論大会」の運営などを主に行っている団体です。

私が中3の時、高円宮杯全国英語弁論大会というスピーチコンテストに出場しました。

通常たくさんの予選を勝ち残って全国大会へ行くらしいこの由緒ある弁論大会も、私の地域だけは1回予選で勝ち残れば即全国という大会で、幸いにも私は全国への切符を手にしました。

11月中旬。
全国大会は毎年、東京の有楽町で行われます。

この高円宮杯全国英語弁論大会(略して宮杯)の特徴は、弁論大会そのものだけでなく、そこに参加する全国47都道府県から集まった中学生が、本郷にある老舗旅館「鳳明館」にほぼ全員宿泊し、3日間生活を共にし、夜には「全国中学生会議」という名のレクレーションに参加するのです。

何も知らずに、引率した英語の先生に連れていかれた鳳明館で、人見知りの私は、見知らぬ全国の中学生に緊張しまくっていました。

上手く話せるかな?
私、訛ってないかな?
友達出来るかな?

それから3日間。
色々なドラマがあり、長くなるので割愛しますが、最終日の別れの夜。

友人との別れがつらくて、皆で抱き合って号泣し、もう会えないかもしれない全国の仲間たちと夜通し話しました。
それだけで、どれだけ濃い3日間を過ごしたか、きっと想像に難く無い。初対面だった中学生が、別れが辛くて泣ける程仲良くなるまで、3日間は十分な時間でした。

ちなみに、その宮杯で仲良くなった友人とは、その後、高校時代に2度、鳳明館にて同窓会を行い、再会を喜んだり、大学時代に地方まで遊びにいったり。

そのうち一番仲が良かった滋賀県代表の子とは誕生日が2日違いなこともあり、40歳になろうかという今でも、毎年誕生日にメッセージを送り合い、近況報告をするのがお決まりになってます。皆いまだにSNSでつながってるのが嬉しい。

本当に素晴らしい経験でした。

そんな弁論大会を運営し、その鳳明館で中学生のお世話もしてくれ、全国中学生会議を取り仕切ってくれるのが、JNSAの大学生ボランティアの人たちでした。

そのお兄さんお姉さんたちのかっこいい事!!

私の班についてくれた担当の大学生は、筑波のお兄さん、ICUのお姉さん、そして上智のお姉さん。

まぁ、みんなかっこよくてかわいくて、そして英語がベラベラ。

優しくて、面白くて、仲が良くて、楽しそうで、そんな中学生会議の時のフランクな雰囲気とはガラッと変わり、大会の会場で見せる、あなたたちはパイロットとCAか!と見間違えるほどの、JNSAの制服姿でキビキビ働くお兄さんお姉さんたちが、とにかくかっこよくて!!
私が「将来絶対JNSAになりたい!!」と決心するには十分な経験でした。

その日から、私の夢は「JNSAになること!」

その夢があったので、大学受験もあのお姉さんと同じ大学に入りたい!と志望校を決めました。

ただ、JNSAになるためには、試験があります。たしか当時は、筆記試験・作文・日本語面接・英語面接がありました。

原則、大学一年時の、人生で1度しか受験できません。私は、気合を入れ過ぎて、頑張り過ぎて、おかしなテンションで臨んだことを覚えています。

結果は、不合格でした。

泣きました。落ち込みました。
本当に落ち込みました。
母に泣きながら電話しました。
親友にもメールし、励ましてもらいました。

幸いなことに、今まで受験もそのほかのことも、意外と順調に来ていた人生、初めての挫折。初めての、一番大事な大事な場面での不合格でした。

今まで、JNSAになるために、高校も英語科に進んだのに。大学もJNになるために、ここに決めたのに。そして合格できたのに。一番最後の最後、一番なりたかったものになれなかった。

そして、再チャンスはない。

受け入れるまでに、とても時間がかかったのを覚えています。

実はそのあと、自分の気持ちに区切りをつけるため、大学一年の秋、その年の弁論大会を見に行きました。
JNSAの姿を見て、あきらめようと思ったのです。
(これは、岩間恵をあきらめるために、あゆ姉と交際中に山梨を訪れた友永真也の気持ちに似てたと思います。すみません。バチェラー4の話です。)

結果は、心がズタズタになって帰ってきました。

その会場には、同じようにJNSAになること夢見て上京し、試験に合格した、同じ年の仲間たちが、あこがれのJNSAの制服に身を包み、てきぱきと働いていました。なんで見に行ってしまっだんろう。わかってたのに。つらい。泣きました。悔しくて悲しくて。

そこからまた途方もなく時間はかかりましたが、ダンスやバイトなど、他に打ち込むものを見つけて、私は大学生活を取り戻していきました。

いまでもこうして書いていると、ああ、やっぱりJNSAになりたかったな~、と思います。でも、その一方で、もしJNSAになっていたら、ダンスもやってなかったと思うし、ウエディングプランナーにもなってなかったと思う。

バイトもしてなかっただろうし、そのバイト先で出会った今の主人とは結婚してなかったと思うのです。

もちろん、JNSAになっていたら、もっといい彼氏ができたかもしれないし(毎回この話を旦那さんにすると、いや、元々あなたはモテなかったんだから絶対結婚できてないと思う、と言われる)、もっといい会社に入っていたのかもしれない。

でも、人生、わかんないですよね。

言えることは、それは私が望んで下した決断ではないけど、今私は、こっちの道でよかった!と思ってる!!という事。

「過去は変えられない」というのは嘘で、
自分の過去は、実は後から、良い事にも悪い事にも、考え方次第で、いかようにも変えられる。

あの挫折があったから今の私があるし、今の旦那さんと結婚できたから今こうして子どもたちがいて、ここに住んで、英語を教えている。

私の人生、十分幸せ!!

結局、人生、そう思えるかどうかなんだと思う。

そんな事を考え、
叶わなかった夢に、想いを馳せる。
39歳、秋のはじまり。

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