常識のない喫茶店

常識のない喫茶店 僕のマリ

・失敗を責められたりすることはない。「大丈夫だよ」と言われるたびに、いつかこの安らぎを与える側になりたいと思った。

・些細なことかもしれないが、人から大事に扱われるのはうれしい。やさしさは色んなかたちをしている。

・いままでわたしは、人の嫌なところばかりに目を向けていた。仕事だから割り切らないと、と思いつつも、自分を棚に上げて「こんな風にはなりたくない」なんて荒んだ気持ちで過ごしていた。接客業ゆえ、もちろんいまでもそういう瞬間はあるし、憤慨したり落ち込んだりもする。それでもいまは、「こんな風になれたら」と思う瞬間のほうが圧倒的に多い。されてうれしかったこと、救われた言葉をひとつひとつ噛みしめて、誰かの心の拠り所になりたいとさえ願うようになった。わたしは心が弱かった、弱かったから、卑下したり他人を貶したりすることで自分を保っていたのだろう。

・ノーと言える勇気を持てば、少しずつ世の中はよくなっていくかもしれない。他人を変えるのは難しいから、わたしは自分が変わることを選んだ。

・言葉を交わさなくとも、お互いを慮ることはできる。

・有事の際に店が「普通」にやっているのって、もしかしたら心強いことかもしれない。ありふれた日常がありがたいこともある。

・なんでも自分の基準に合わせたがる人は困る。個人の「価値観」をすりあわせるのは大変なことだと思うが、他人の言動や店のやり方に目くじらをたてるくらいだったら、厳しい言い方ではあるが来店しないのが吉だろう。

・一緒に過ごしたい相手は自分で決めたいし、時間は有限だから大事に使いたい。そのためには、わたしたちも「ノー」と言えるように変わらなければならない。誘いを断る権利は、誰にでもあるのだから。

・不快な出来事に声をあげることで、自分を大切にすることを学んだ。多くの人と関わり合ううちに、色んなやさしさのかたちを知った。自分を殺さずに、自由に生きていいという当たり前のことを、わたしたちは本当によく忘れてしまう。

・普通の人生を歩むことが、自分も周りも幸せにすると信じていた。たとえそれが、好きなものを諦めることだったとしても。

・あれだけ辞めたかったのに、いざ辞めてみると、自分は病気持ちの無職であるという事実しか残らない。それが後ろめたくって、情けなくって、身体が透明になって消えてしまいそうだった。

・「やさしさ」や「思いやり」という目には見えないもので人の価値を測るのは難しい。しかし、それなくしては仕事は成り立たない、楽しくやらなくちゃ意味がないというのがマスターの持論だった。

・ときに反発し、意見がぶつかることも、いままで何度もありました。しかし、そのたびに話をして、お互いの意見を尊重してきました。




先日電車の中で本を読みながら足を組んでいたら、その組んでいた足をいきなり向かいに座るおじいさんに蹴飛ばされた。

急なことで驚いて言葉が出なかった。

そんなわたしの横でパートナーが冷静に「いきなり蹴ることはないんじゃないですか。言葉で説明してくれればわかります。」と言ってくれた。

やっと状況が飲み込めたので、わたしも「足を組んでいて邪魔で迷惑だったのは謝ります。でも蹴ったことは謝ってください。」とおじいさんに伝えた。

するとおじいさん。「社会人なのになってない。迷惑なのはそっちなのに口答えするのかうんぬんかんぬん……」

わたしもパートナーも引かずにおじいさんと建設的に話し合おうと試みるも、会話が成立しない。こりゃだめだと思い、こんなんだから「老害」って言葉が生まれるんだよと、正直思ってしまった。

この一連の状況を見ていた他の乗客のお兄さんが、「車内非常ボタンで車掌さんと話しができます。埒が明かないので、押して話されたらいいと思いますよ。」と教えてくれた。

おじいさんに「次の駅で降りましょう」と言っても「鷺沼(自分の降りる駅)まで降りない」の一点張り。

周りの乗客の方には、こんなくだらんことに巻き込んで申し訳ないと思いつつ、社内非常ボタンを押させていただき、駅員さんに事情を説明し、青山一丁目駅でわたしたちとおじいさんは強制的に降車。

「蹴られた」ということは傷害罪にもあたるため念のため警察も呼んでもらった。

警察の方の話によれば日本の刑法ではどんなことがあっても、先に手を出した方が悪い。つまりおじいさんのやったことが悪い。

「謝ってもらうことで気が済めばそれで終わりですし、きちんと訴えたいとなればもちろんそれも可能です」と選択肢を与えられた。

友人との待ち合わせもあったので、いきなり蹴ったことを謝ってもらえれば結構です。とお伝えし、おじいさんに謝罪してもらうことに。

警察にとがめられ、丸腰になったおじいさん。

帽子をとって頭を下げて謝るおじいさん。

この期に及んでもまだねちねち言ってきて、素直に謝るということができないのかと半ばあきらめかけた瞬間、警察の方が「あなたその謝り方はないでしょう!もう一度やり直し。きちんと謝りなさい。」と注意して、やっとしょんぼり謝るおじいさん。

そんなはげ頭のおじいさんを見ながら「あーあ、自分よりずっと若い子に頭下げて、プライド傷ついただろうなー、いい気味。」と思っていたら、最後にパートナーが「この場を収めるためだけの謝罪じゃないことを願います」と一言。

パートナーと警察のおかげでスッキリ。

警察の方々、駅員の方々、乗客のみなさん、ご迷惑おかけしました。ありがとうございました。


そのあと友達との待ち合わせに向かう途中パートナーに「相手はこっちが女だから蹴ったんだと思うよ。相手が強面な男だったら絶対蹴るってことはしなかったと思う。女だから舐められたんだね」と言われた。

それを言われて「そっか、女だとこんなこともあるのか」ってショックだったし、自分にも非があったのは確かだけど、蹴られていいわけないよなって改めて思えた。


常識のない喫茶店の内容にも通ずる部分があるけど、ノーと言ったり、毅然とした態度をとることがときには必要だと改めて感じさせられたエピソードだった。

わたしだって女である前に、あなたと同じ一人の人間なんだ。ばかにするな。

ちなみに、車内非常ボタンは簡単には押せない仕様になっている。赤いプラスチックのカバーを指で押し割ってボタンを押す。

すると割と大きめな音で「ビービービービー」と鳴る。

そうすると車掌さんとお話ができる。すぐに電車が止まるとか、そういうわけではないので、何か問題が起きてすぐに車掌さんと話したいと思ったときは、ぜひこの車内非常ボタンの存在を思い出してほしい。


あのときサラッと車内非常ボタンの存在を教えてくださったお兄さんには何度お礼を言っても足りないくらいだ。

知っている知識をすぐに出せる、人に教えてあげられる。これって簡単そうで難しい。車内で問題が発生しないのが一番だけど、もしそんなことがあったときは、わたしもサッと教えてあげられる人になりたい。

みなさんも参考までに車内非常ボタン、覚えておいてください。



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