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思ひ出夜行 ムーンライトえちご

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。旅と鉄道、そしてサウナが大好きな一風変はつたアラフォー女子、玉川可奈子(歌人)です。

 気が付いたら、冬の青春18きつぷの時期も終はつてゐましたね。
 私は大学生の頃から三十代半ばくらゐまで、青春18きつぷを用ゐて各地を旅しました。その範囲は、北海道から鹿児島県にまで至ります。
 そして、旅のお供として、夜行列車を頻繁に利用してゐました。
 しかし、今ではその夜行列車も定期運用されてゐるのはサンライズ出雲・瀬戸のみとなつてしまひました。

 夜行列車は、私の旅を彩る大切な存在でした。この「思ひ出夜行」シリーズは、私の旅のお供であつた夜行列車を懐かしむものです。私と同じやうに、各地を旅し、夜行列車を好んだ人が「オッ」と感じていただけたら幸甚です。
 どうか最後までお付き合ひください。
 ※写真は基本的にWikipediaから拾つてきたものです。御了承ください。

北への旅行のお供 

 学生時代を思ひ返して、北へ行く旅のそのほとんどにムーンライトえちご、または寝台特急あけぼの号のごろんとシートを利用しました(あけぼののことは、別の機会に書きます)。
 ムーンライトえちごは東京と新潟を結ぶ夜行快速列車で、新潟県出身の知人に、

「ムーンライトえちごつて知つてる?」

と聞くと、ほとんどの人が知つてると答へました。新潟の人には、有名な列車でした。
 その新潟の知人の数名は、

 「ムーンライトでせう、知つてる、知つてる」

といふ感じでした。

 ムーンライトえちごは、各地に走つてゐた「ムーンライト●●号」の魁でした。昭和六十二年(一九八七)九月、新宿駅から新潟駅間で臨時快速「ムーンライト」としてその歴史が始まりました。夜行バスへの対抗を目的としてゐました。
 昭和六十三年のJTB時刻表を見ると、下り列車は新宿駅を23時ちやうどに出発し、大宮発23時42分、高崎駅1時9分、そして長岡駅には4時15分、見附、東三条、加茂と停車し新津駅には4時59分着。新潟駅には5時12分に着きました。なほ、新潟駅から自由席になり、村上駅まで足を伸ばしてゐたことがわかります。

 二十三時頃の新宿駅。通勤電車とは異なる165系の急行型車両が停車してゐます。さう、これが快速ムーンライトえちご号村上行きでした。私がえちごに初めて乗つたのは大学二年生の時です。この頃は、新潟駅から全車自由席に変はり、村上駅まで足を伸ばしてゐました。

165系 ムーンライトえちご なつい

 二十三時九分(後にダイヤ改正で十分に変はります)。ムーンライトえちご号はまだ通勤客の残る新宿駅を出発し、北へと向かひます。車窓から、家に帰るであらう人たちを見てゐると、不思議な感じがします。

 池袋駅、赤羽駅を経て、大宮駅。街の灯を見てゐると、これから非日常の異世界に行く感じがして気持ちが昂ります。大宮駅から高崎線を北へ向かひ、その間どの駅でも停車することなく高崎駅に着く頃には零時を過ぎてゐます。眠れずに、ホームに出ると、金沢へ向かふ急行能登号が入線し、えちごを抜いて行きます。

高崎駅にて能登とえちご

 能登号を見送り、深夜一時を回つた頃、えちごはさらに北へと進みます。車内は減光され薄暗くなります。なほ私はいつも高崎駅に着く前に、寝てしまひます。未明の水上駅や越後湯沢駅で運転停車して、まさに深夜の長岡駅に着きますが、私はいつも気付きません。
 見附駅、東三条駅を通過して、いよいよ新潟駅が近付いてくるあたりで目を覚まします。季節によつては朝日に照らされた越後平野が目の前に広がります。
 鉄道の街である新津駅を出発したら新潟駅はすぐです。四時五十分頃。ムーンライトえちごは終着駅である新潟駅に到着します。村上まで行つてゐた時代は、ここで進行方向が変はります。新潟駅が終着になつてからは、ホームの対岸に快速列車(村上行き)が停まつてをり、それに乗り換へます。
 乗り換への列車はオールロングシートでしたが、寝覚めの私にはそれが嫌だと感じることはありませんでした。

 村上駅で気動車に乗り換へ、さらに北に向かひますが、夜明けの笹川流れの景色に心を奪はれました。また、あつみ温泉駅で降り、タクシーで温泉街に出て、朝市を冷やかして熱めの公衆浴場に入つたこともありました。

 さらに、十年以上前の正月。当時、お付き合ひしてゐた方の秋田県某市の実家に遊びに行つたこともありました。緊張でドキドキしてゐる時に見た、雪の舞ふ羽越本線の車窓の美しさを今でも忘れられません。
 そして、秋田県の某駅の前まで迎えにきたあの人の姿を今も思ひ出すことがあります。

 初めてえちごに乗つた時は、村上駅まで乗り、さらに村上駅から新潟駅行きに変はるのでそのまま乗車して新潟駅に行きました。そして、新潟駅から今は無き快速きらきらうえつ号に乗りました。

きらきらうえつ

 平成十五年六月二十一日。翌日の新潟駅発の懐かしの急行佐渡に乗るべく、新宿駅を出発した時、あまり眠れず車内でずつと見えない車窓を眺めてゐました。そのお陰で、翌日の佐渡は爆睡してしまひました。
 以来、米坂線や越後線などの乗り潰しの時や青森旅行の際によく利用したものでした。
 なほ、私の思ひ出のほとんどは下り列車で、上りのムーンライトえちごには一度しか乗つたことがありません。その一度の乗車が、卒業旅行の時です。北海道の大樹町を訪ね、十勝川温泉に行き、帯広駅から、根室本線、石勝線等を経由して登別温泉に行き、さらに函館市内を観光しました。そしてリゾートしらかみに乗り、黄金崎不老ふ死温泉に泊まり、その帰りに乗りました。今、思へばすごい旅程ですね。

 青春18きつぷを利用した場合、日付変更駅が高崎駅なので当時で1,890円の出費がかかりました。新宿駅以西から乗る場合は、18きつぷ一回分を使つた方が安くなるでせう。

ムーンライトえちごの車両

 私が初めてムーンライトえちごに乗つた頃の車両は、上に書きました通り、165系でした。座席にはグリーン車のそれを設置してゐたので、リクライニングは深かつたのですが、窓と合つてゐなくて不自然でした。また、車両の老朽化が目立ち、結露もそれなりでした。Nゲージで165系を見ると「オッ」と思ふのですが、それはこのえちごの記憶によるものでせう。

 その後、平成十五年の三月に165系の引退にともなひ、485系の車両に変はりました。「ムーンライトえちごの車両が特急で使用してゐるものに変はります」といふやうな宣伝があつたやうに記憶してゐますが、座席は165系の方が座り心地も寝心地も良かつた。グリーン車も設置され、レディースカーも設定されました。なほ、私はレディースカーに乗つたことがありません。

 そして、私の知らない間に車両は183系に変はり(平成二十二年)、グリーン車の設定がなくなりましたが、すぐに485系に戻ります(平成二十四年)。

183系 ムーンライトえちご あずさ色が素敵

 定期運用を外れ、臨時となりましたのが平成二十一年。それから平成二十六年三月三十一日に最終運転を終へました。同じ年の四月四日から一ヶ月間には、えちご春の夜空号とい名で短い期間の運行を経て、姿を消しました。

 さらに平成二十八年にはスターライト上野号といふAKB48の総選挙に合はせた臨時列車が運行されました。車内はAKBヲタと鉄ヲタとで混沌としてゐた…と聞きましたが、私自身の目で状況を見てゐないので何とも言へません。
 このスターライト上野号を最後にして、東京と新潟をつなぐ夜行快速列車は消えてしまひました。

 ちなみに、ムーンライトえちごの車両はお昼の時間帯に快速フェアーウェイ号として新宿駅から黒磯駅まで運用してゐました。上り下りで二度くらゐ乗りましたが、どちらも空いてゐたことを覚えてゐます。下り列車は後の接続が良くなく、東北へ行くには不便でした。

 一度、新宿駅から池袋駅までの一区間だけ、ムーンライトえちごに乗つてみたことがありました。ほんのわづかな夢のやうな時間でしたが、今でもその時に見た景色が忘れられません。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

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