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長崎の旅

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
 今回は、久し振りに長崎に行つたので、そのことを書きます。何故、長崎なのか。お読みいただければ絶対わかりますので、どうか最後までお付き合ひください。

1、空の旅

 つばさなす 雲の上飛ぶ 船乗れば つくしの島も たまのをばかり 可奈子

 出発はpeachの飛行機です。八時二十五分の定刻から少し遅れて成田空港を飛び立ちました。ちなみに、成田空港から飛行機に乗るのは初めてです。
 車内はほぼ満席でした。皆さん、明日の新幹線に乗る予定なのでせうか…。よく見ると、いかにも「鉄ヲタ」みたいな感じの人もゐます。

 雲がかかつた空の景色は絶景です。『万葉集』に詠まれ、佐久良東雄先生も好んで用ゐられた「天地の寄り合ひのきはみ…」といふのは、このやうな景色をいふのでせうか。

空からの景色

 着陸が近付き、陸地がよく見えるやうになりました。
 『万葉集』にも歌はれ、金印の出た志賀島が見えてきました。

 ひさかたの 雲の上より 海中の 志賀島見ゆ 雲の上より 可奈子

志賀島が見えます。

 諫早湾の干拓地も見えました。

 ありあけの 海の干潟に 住む魚の いやおもしろく 思ほゆるかも 可奈子

 約一時間四十分の空の旅が終はり、長崎県に着きました。かうして無事に目的地に着けるのも、日頃整備を怠らない方々の誠意の賜物でせう。有難いことです。

 なほ、長崎空港に来るのは高校の修学旅行以来です。

長崎空港
長崎空港前の海

2、長崎の思ひ出

 ひのくには うましくになり 山も海も いよよさやけく なりにけるかも 可奈子

 さういへば、私が最初に長崎に来たのは高校生の時でした。修学旅行です。宮崎から、阿蘇や柳川を経由して長崎に入りました。
 最終日に、稲佐山観光ホテルに宿泊しました。その時、夜景が見えるところで同級生のM君に告白されました。M君は活発で、いつも私にお菓子をくれる人でした。

 M「玉川さんのことが前から好きで…、良かつたら付き合つて下さい!そして、明日一緒にハウステンボスまはりたいな」

 私「え…、さうなんだ。でも私、まだ付き合ふとか、さういふこと考へたことないし、ごめんなさい!」

といふやうな、やりとりがありました。

 ちなみに、稲佐山は夜景の名所で知られてをりますが、カップルでここに行くと破局するとか。

 二度目の長崎は、大学の同級生を訪ねた時でした。この時、大学二年生であつた私は二度目の青春18きつぷを使用しての長距離旅でした。
 せつかく長崎に来たので同級生の女友達に、

 「美味しいちやんぽんが食べたいから連れてつてよ」

と言ひ、連れて行かれた場所はリンガーハットでした。彼女に言はせると、

 「ここが一番美味しいけん」

とのこと。観光名所として連れて行かれた場所は自殺の名所、もとひ修学旅行でも立ち寄った西海橋でした。

 「熊本の赤橋も怖かけど、西海橋もヤバいけんね」

イカれてます。

 三度目は、大分県でフィールドワークをしてゐた帰りに現地の友人と行きました。ちやうど「長崎くんち」の時でした。この時まで私は長崎くんちを「長崎君家」つまり、長崎君の家のことだと思つてゐました。

 懐かしい思ひ出はさておき、初日は長崎電気軌道の完乗を目指します。リムジンバスに乗り、長崎駅前まで来ました。なにやら人が多いです。恐らく、私と考へることは同じでせう。

開業前の新幹線改札

 その前に、駅にあるラーメン屋さんでとんこつラーメンをいただき、立ち吞みたたんばあでスタミナドリンクをいただきました(魔王)。
 お店の人の話しによると、最近できたみたいですね。魔王を体に宿し、にはかに元気になりました。ちなみに、玉川可奈子は…そこそこお酒が強いです。沖縄出身の酒呑を自称する男子を酔い潰す程度には…。

とんこつラーメン
魔王(1,000円)

3、長崎電気軌道乗車

長崎電気軌道

 長崎は坂の多い町と言はれてゐるだけあつて、自転車に乗つてゐる人を見ませんでした。

 さて、長崎電気軌道ですが、長崎駅前から崇福寺駅まで行き、さらに石橋駅に出て、そこから蛍茶屋駅、そして赤迫駅と無事に乗り潰しを達成しました。
 沿線には、出島や大浦天主堂、浦上天守堂、高島秋帆旧宅、さらには中華街などがありますが、以前訪ねたことがあるので今回は行きませんでした。しかし、平和公園のみ行きました。

 爆心地では、せめてもの慰めとして、涙ながらに「海ゆかば」を歌ひ奉納としました。

 海ゆかば 水漬く屍 山征かば 草生す屍 大皇の 辺にこそ死なめ かへり見はせじ 

平和公園

 長崎駅に戻り、ひとしきり特急かもめ号などを撮影しました。

特急かもめ最後の勇姿
ありがたうかもめ

 再び立ち吞み屋に行きました。日常のストレスを酒で解消するのは気が引けますが、マアいいか。乗り潰しの後の一杯は格別です。長崎の焼酎、「壱岐の華」と、平戸の「福田かすとり」そして「海鴉」をいただきました。後者は流通してゐないさうです。少しクセはありますが、美味しいです。
 「福田かすとり」は米焼酎で、サラつとした感じで、この中では最も吞みやすかつたですね。とは言へ、さすがに焼酎三杯は酔ひました。

福田かすとり

 ふらふらになりながら、ホテルに入りました。散々、長崎のお酒を堪能したので、グルメは自重しました。
 マッサージを呼んだところ、話し好きのをばちやんが来ました。揉む技術は高く、とても気持ちがよかつたです。せつかくなので一時間ではなく、八十分くらゐやつてもらへばよかつた。

4、かもめの旅

かもめ

 九月二十三日。この日は、西九州新幹線の長崎駅から武雄温泉駅間が開業する日です。始発に乗りたかつたのですが、叶はず、かもめ8号に乗りました。

 ひのくにに かもめ立ち立つ この朝開 武雄の出で湯 いざうちゆかな 可奈子

かもめ

 七時頃の長崎駅は、思つてゐたより人は少なく静かでした。しかし、この日を待ち望んでゐた人たちがゐました。新聞記者らも来てゐました。

 かもめ8号は、定刻七時四十五分に長崎駅を発車しました。武雄温泉駅までは、わづか三十一分です。指定席は通路側でしたが、隣に人は来ません。満席といふ割には空席が目立ちますし、自由席にも空いてゐる場所がありました。
 隣の人が来るまで、窓側に座り、車窓を見てゐました。

かもめ 指定席

 諫早駅まではトンネルが多く、地下鉄丸の内線のやうな感覚です。それ故、備へ付けのWi-Fiもあまり役に立ちません。諫早駅を発車してからも、トンネルが多く車窓を楽しむ感覚はありませんでした。ところどころに、田舎の景色が見える感じです。

 新大村駅の手前あたりで景色が開けました。武雄温泉駅から来たかもめとすれ違ふと、新大村駅に着きました。新幹線停車駅とは思へない駅です。ここでも隣の人は来ませんし、もちろん、降りる人も見ませんでした。反対側の車窓には、雲がかかつた大村湾が遠目に見えます。しかし、しばらく走るとまたトンネルの中を走ります。前の席では、家族連れの方が、子供と写真を撮つて楽しさうにしてゐます。後ろの席では、鉄道好きのをじさん同士でビールを飲みながら鉄道を語つてゐます。

 嬉野温泉駅に着いたのですが、フェンスが高くて車窓がよくわかりませんが、駅の東側には田んぼが広がつてゐます。どうやら、反対側が発展してゐるやうです。嬉野温泉駅を出発し、トンネルを抜けて景色が開けてくると武雄温泉駅に着きました。この間、わづかに五分です。本当にアツといふ間の旅でした。武雄温泉駅到着時刻は八時十六分。

 武雄温泉駅では、すぐ隣のホームに787系のリレーかもめ8号が停車してゐます。これに乗り、博多駅まで行きました。
 787系といへば、私が学生時代はつばめとして運用してゐました。あれから二十年ですが、ところどころに古くなつてきた証が見えました。

 しばらく走ると列車は佐賀駅に着きました。今回の西九州新幹線の開業ですが、佐賀県が反対してをり、博多駅とつながらなかつたとか。在来線の第三セクター化や、既存の特急列車で間に合つてゐることを思ふと、佐賀県の意見もよくわかります。鳥栖駅では、手をつないだ夫婦がホームを歩いてゐました。幸せさうで何よりです。

 たまに、「人間の幸せ」について考へることがあります。最近、私が思ひついた幸せの定義とは、「嫌ひな物事よりも、好きなことが多い状態」ではないか、といふことです。
 人は嫌ひなものを全て避けることはなかなかできません。例へ好きな人であつても嫌ひな点はあります。自己中心的だつたりとか、自分をあまり見てくれないとか。だけど、好きな部分が嫌ひに勝つてゐれば、それとて妥協ではありませんが、許せると思ふのです。見方を変へれば、美点凝視を心がけるといふことでせうか。
 とは言へ、私の場合、数多くの好きの中に、大きな比重を占めるものがあり、その一点にこだはつて他が見えなくなることがあります。その一点の好きなものと上手く関係を築いたり、適切に扱へてゐればまだしも、さうでなくなると途端に動揺してしまひます。
 また、もし私以外の人で、同じやうな方がゐたら、「素敵な感覚ですね」と言ふでせうが、いざ自分がさういふ事態になると、自分では自分にさう言へないのです。よく言へば真つ直ぐ、悪く言へば融通が利かないといふところです。
 しかし、これとて完全ではないでせう。「曖昧」がわからない私は、常に言葉の意味と定義を探求してしまふのです。

 さて、アレコレと思ひを巡らしてゐるうちに定刻の九時二十五分、博多駅に着きかもめの旅も終はりました。ここから屋台やうどんウエストに行きたいのはやまやまですが、今日はさらに黒崎駅まで行きます。

リレーかもめ

5、北九州乗り潰し旅

 黒崎駅から、筑豊電気鉄道で直方駅まで行きます。LRTです。列車は住宅街を抜けて、筑豊直方駅まで来ました。今回、乗車した車両は5000形です。

筑豊電気鉄道 5000形

 ところで、直方といへば元大関の魁皇関、現在の浅香山親方ですね。未だに特急かいおう号が運行されてをり、直方の英雄といつた感じです。
 駅前には、等身大と思はれる銅像も立つてゐました。往時が偲ばれます。平成二十一年の一年間、全ての場所を八勝七敗で通した大関は後にも先にもゐないでせう。

大関魁皇(実物はとても大きいです)
平成筑豊鉄道

 直方駅から、平成筑豊鉄道の完乗を目指します。列車内で一日乗り放題のちくまるキップ(千円)を購入しました。

 まづは、田川後藤寺駅まで来ました。折りしも雨が降つて来ました。外も肌寒いです。いよいよ冬が近付いてきましたね。次に、金田駅で乗り換へ、田川伊田駅を経由して行橋駅を目指します。昨夜、考へ事をして眠れなかつたのに、眠くありません。呼吸が荒く、脳への酸素不足もあり、さらに頭痛です。車内のクーラーも堪へます。

金田駅
田川後藤寺駅

 なんとか完乗して、行橋駅に無事に着きました。ここで少し待つて、特急ソニック36号に乗りました。白いソニックでした。小倉駅までわづか十五分ですが、東京に居たら乗れないので貴重な時間を過ごしました。

ソニック 行橋駅

 小倉駅では北九州都市モノレールに乗り、企救丘駅間を往復しました。途中、小倉競馬場が見えました。

北九州都市モノレール 企救丘駅

6、終はりに

下関駅

 旅の終はりは、うどんです。私が駅のうどんで最高の味と評価するのは、下関駅のそれです。余つた時間で小倉駅から関門海峡を潜り、下関駅に来ました。改札を通り、件のうどん屋さんに来ました。注文するのは…肉うどんにふく天(山口ではふぐのことをふくと言ひます)トッピングです。さらに、わかめむすびも食べました。海鮮出汁に肉のつゆが合はさつた絶妙な味に、感動です。

うどん
肉うどんにふく天トッピング

 前回は太宰府を訪ねると同時に、西鉄や地下鉄、甘木鉄道を乗り潰しました。その時以来の九州でした。
 ※こちらも併せてお読みいただけたら幸甚です。

 今回の旅で、平成筑豊鉄道、筑豊電気鉄道、長崎電気軌道、北九州都市モノレールと都合四社の鉄道路線を完乗しました(予定では錦川清流線に乗る予定でしたが、急遽運休になり諦めました。私鉄、三セクは本当キリがない…)。

 ところで、JR線全線完乗の達成は何度目でせうか。新幹線の開業のたびに、全線完乗を達成してゐる気がします。次は、北陸でせうか、北海道でせうか。

 葦原の 瑞穂の国の まがな道 北へ南へ 行くが嬉しさ 可奈子

 帰りは小倉駅からのぞみ56号に乗りました。途中、愛知県で発生した線状降水帯の影響で、その日のうちに帰ることができませんでした。新大阪駅に三時間遅れての到着です。かういふこともあるんですね。玉川、パニック状態でした…。新大阪駅の人の数と言つたら…。
 なんとか予約できた尼崎駅前のホテルで一泊しました。この時のことは、続編で改めて書きます。

 以前、大分県に月に一度の頻度で訪ねてゐた際は、小倉駅前のネットカフェに一泊し、翌朝の始発で東京まで帰つたこともありました。今から十年以上前のことですが、なんだか隔世の感があります。新幹線は、本当に早い。夕方に九州を出ても、東京に帰つて来られるのですから。かもめの長崎駅から武雄温泉駅までもアツといふ間でした。

 鉄道の話ばかりで恐縮です。最後までお読みいただき、ありがたうございました。しばらく旅行の予定はない…はずです。気分的にも自重します。

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