私も発達障害児として育てられたかった

娘たちの特性がADHDと診断されて、
親として、病院からはじまり、学校関連、保健所、福祉おのおのへの相談、本での自主学習、Google検索、Twitterとありとあらゆる手段で情報を集め、わかったことがある。

きっと私もおそらく黒だ。
どう工夫してもでてくる不注意、あることが気になって手がつかないからの過集中、不安からくる不眠……
何回も失敗してるからそれなりに対処してなんとか生きれるようになったけど、それでもすごく時間がかかったし、何度も挫折してへこたれてるから自己肯定感は最低だ。

私の母親は正しい人で、かつ能力の高い人だ。父親は子育てにノータッチだったからよくわからない。
ともかく、母親は正しい人でいい人で今も昔も大好きなのだが、舌足らずだった子供の頃、何となくの不安を説明できなくてずいぶん難儀した。
友だちはいるし勉強も好きで、なんで?と聞かれてもわからかなかったけど、とにかく不安で学校に行きたくなかった日がある。突然に。

娘は不安で学校に一人で行けないから、私が付き添いして登校する。行事前は特に不安になるから特別支援級にお世話になることもあるし、見通しがつくなら休んでしまうこともある。
週に数回、デイサービスでSSTを受け、心の持っていきかた、やらかしたときの対応法を都度具体的にレクチャーされ、自身の特性のことを知り、不安と共生できるように訓練している。
上記のことが、本人と対話を重ねて、関係各所を駆けずり回って得た支援だ。

娘の気持ちはわからないけど、今日も不満をぶつくさと言いながらも、元気に工作したりゲームしたり、たんぽぽを観察したり、忙しく笑顔だ。

私の中のあの頃の私が、たくさん話しを聞いてほしかった、娘が羨ましいという。子どもへの支援体制はたしかに進んでる。
娘が必要以上に苦しまず生きていけるよう、もうしばらく見守っていきたい。

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