見出し画像

{ 51: 変電所(3) }

黒い塔からの脱出を決心した春樹は、まず二十一階の街に降りなければならない。そこに降りるための階段は、変電所と呼ばれる電気設備の中に隠されているのではないか、と春樹は見当をつけた。深夜、友人のロウの案内で、春樹は変電所を目指す。

{ 第1話 , 前回: 第50話 }

春樹とロウは、「二十二階の街」の夜道を歩いていた。巨大きょだいとうの中に作られたこの街は、たとえ昼間のうちでも、どこもかしこも薄暗うすぐらく、深夜ともなればなお暗かった。住民の姿が見えなくなるだけで、あたりはこんなにも不気味になるのか……

ふたりが目指している場所は、中央回路北側からさらにおくまったところにある。ロウの家は回廊かいろう南の大通りにあるので、目的地までかなり歩かなければならない。そうしてたどり着いた先は、生臭なまぐさにおいを放つ工業地帯だった。

工業地帯とは言うけれど、食品加工場(この街の名産は、魚肉団子だ。覚えておくように)を中心とした小規模の工場が、一区画内にめられただけの狭苦せまくるしい場所だった。その実、骨ごとくだく食肉粉砕ふんさい機や大なべの蒸し器を、小さなビルや倉庫のような建てものにんだのを「工場」と呼んでいるに過ぎない。

めるにおいと熱をがすため、建物の窓ととびらは全開だった。それどころか、二階から上は窓わくがあるのみで、ガラス戸をはめていない建てものも多い。ここにあるすべての建物が、人の体よりも大きなファンを夜にも稼働かどうさせ、染み付いた原材料のにおいを外へとしている。

「なるほど……」
 春樹は、そこら中に山積みにされている使い古しの油の入った一かんながめながら言った。
「確かに工場は、高電圧の電気が必要だ。変電所が近くにあるほうがありがたいし、同等の電気施設しせつを自前で用意にするにしても、発電所からびてくる高電圧ケーブルのそばがいい……」

「なにブツブツいってんだ。いくぞ、春樹」
 ロウが、春樹のかたに手をおいて言った。

工場地帯の入り口……といっても、大層な門があるわけでもなかった。「関係者以外立ち入り禁止(何があっても自己責任! )」と書いてある看板が、正面の建物のかべにかかっているのみだ。その看板の横をけていくと、ひときわ明るい建てものがあった。

建てものの中からだれかが春樹たちを見ていた。ロウは気にせず前を通り過ぎようとしたけど、春樹たちはそのだれかに呼び止められた。

「おい、そこで何をしている?」

春樹はあわててハンチングぼうで顔をかくそうとした。ロウは前に進み出て、持ってきた電線ケーブルと電気工事用の工具をかかげてみせた。

「チャウの旦那だんなたのまれてるんだ。今夜中に工場の電気を修理してくれってな」

このあたりの建物で唯一ゆいいつ灯りのついているその部屋は、守衛室だった。通りに面したとびらは開きっぱなしで、タンクトップの男が、机の上に足を投げ出しながら新聞を読んでいるのが見えた。

「こんな夜おそくに業者が来るだなんて聞いていないぞ?」

男は、新聞を置いて、春樹たちのところまで歩いてきた。腹こそだらしなく出っ張っていたけれど、体格はかなりよかった。背も高く、二人を見下ろすには十分だ。

「チャウの旦那だんなが言い忘れただけだろう」
 ロウは応えた。

「どうだっていい。工場に部外者を入れるわけにはいかない」

「おいおい、こちとらこんな真夜中に出勤させられてトンボ帰りか?」

「知ったこっちゃねぇよ。さっさと帰るんだ」

「そりゃ、まぁ、おれたちは帰ったってかまわないけどな」
 ロウは、春樹に目配せをしながら続けた。
「家でゆっくり休んでから、今夜のやりとりを親方連に報告すればいい。でも、チャウの旦那だんなはどう思うだろうな? 朝になって機械が動かないとわかったら、きっとおれたちの家にんでくるだろうけどさ、そのあと、夜勤明けのあんたの所にまで来るかどうかは、あれだ……チャウのみぞ知るってやつだ」

「チャウか……」
 守衛の男は、うなりながら頭をかいた。
「魚肉団子を作ってるあのおっさんのことか? 最近、その工場で、若い従業員が顔中血だらけにして搬送はんそうされたんだよな。チャウは、間抜まぬけな若造が製造機で事故を起こしたと言っていたが、おれはあいつのシャツに斑点はんてん模様のシミがついているように見えた。もちろん洗った後だったからなんとも言えんが……」

「通っていいのか? だめなのか?」

「わかったよ。さっさと行け」

「どうも」

そう言うと、ロウはかえって、工場地帯のおくへと進んでいった。春樹は、そのあとについていった。

「おどろいた。真正面からつっこんで、すんなり通れるだなんて」

「仕事熱心なやつは少ないからなぁ」
 ロウは言った。
おれの知り合いでまじめに働いているのは、春樹とヒトヒラ先生くらいのもんだ。さて、どっちに行けばいいのやら、だな」

「ここに来たことがあるんじゃないのか?」

「あるけどもう一年も前だ。その時だって親方について来ただけだからな。おれは、親方の仕事の手伝いをしていて、要は雑用としてされたわけだ」

「そのときの現場が、変電所だったかもしれないんだね」

「現場は、確かに地下にあった。見たこともない大きな機械があって、うなり声のような音をたてていた。親方はその機械の定期点検か、修理をしていたはずだ」

「きっと変圧器だね」

「それから親方に念をされたんだ。『この施設しせつのことを部外者に教えるな』ってな。その時は気にしなかったけど、変な指示だよな? でも、今夜の春樹の話を聞いて、なんとなくその理由がわかったよ。ともかく、おれは今もその言いつけを忠実に守っているわけだ」

ロウは、四つの雑居ビルにはさまれた交差点の真ん中に立つと、右を見て、左を見て、もう一度右を見た。

「とりあえずまっすぐ進むか」

「先は長そうだね」
 と、春樹は言った。

この場所のことをだれかに説明するとすれば、「黒いとう内の他の場所とさして変わらず」だった。つまり、無計画に建てられた雑居ビル群の隙間すきまを、うように歩いていかなければならない場所なのだ。道には、ビニールぶくろやタバコのがらが散乱し、建てものの側面をう古びた排水はいすい管のせいで、水たまりがそこかしこにあった。春樹は、いつも通り、そういったゴミをけながら歩いた。

開きっぱなしのとびらや窓からのぞき見る限り、どの工場も電気は消えていた。中にはだれもいないようだ。ゆかはビチャビチャのところが多く、製粉工場なんて、ゆかのいたるところで粉が飛び散ったままだ。原材料を洗うためのプラスチックのたらいおけと、空っぽになったダンボールが平積みにされていた。せん断機、粉砕ふんさい機、チャーシュー用の豚肉ぶたにくむスチーマー……そういった機械が小さな食肉工場にまれていた。そして、それら全ての機械から肉や加工液のキツいにおいがれていた。ここで作られた団子やめんが自分の食卓しょくたくにものぼっていることを思うと、これはあまり見たくなかった光景だった。

さんざんさまよった挙げ句に春樹たちがついにたどり着いたのは、小さな建物だった。ビルの隙間すきまはさまれてぽつねんとあるそれは、ただの倉庫のように見えた。ここを訪れる目的がなければ、前を百回通ったところで、あることすら気づかないような建物だった。

「ここだ。間違まちがいない」
 ロウは言った。

「やっぱりかぎがかかっているのかな?」
 と、春樹。

「そのはずだ。以前ここに来た時、かぎは親方が持っていた。窓からなら侵入しんにゅうできると思っていたけど、見込みこちがいだったな」

確かにその建物の正面部に窓はなかった。側面や裏側にまわんで確認しようにも、となりの建物との隙間すきまは十センチほどしかなく、とても通れたものじゃない。

「どうする?」
 春樹はたずねた。

「出直すしかないな」
 ロウが答えた。
かぎを手に入れる方法を考えよう」

「そんな……ここまで来て引き返すだなんて。グズグズしている時間はないんだぞ?」

春樹は前に進み出て、入り口のドアノブをダメ元で回してみた。

「とはいえ、そうそう強行突破とっぱできるようなもんでもないだろう」
 ロウは言った。
「もしかしたらあの守衛がかぎを持っているかもしれない。帰りに話しかけて探りを入れてみるか?」

「ロウ……」
 春樹は言った。

「どうした?」
 すでにもと来た道をもどり始めていたロウがふり返った。
「さっさと行くぞ」

「ロウ……」
 もう一度春樹は言った。
「開いたよ」

「はい?」

とびらが開いたんだ。かぎはかかっていない……」

春樹は、そのとびらし開けて言った。中は真っ暗で、でも、暗いところに慣れている春樹の目には、地下へと続く階段が映っていた。

「どうして開いていたんだろう……確かにかぎ付きのとびらだったのに」

春樹は、コンクリートの階段を降りながら、静かに言った。

「最後に来たやつが、かぎめ忘れたんだ……」
 春樹に続いて歩くロウもヒソヒソ声だった。
「きっとそうだ」

春樹は、懐中かいちゅう電灯で照らしながら慎重しんちょうに進んでいった。建物の電灯スイッチは見つけたけれど、灯りは点けないほうがいいということで二人の意見は一致いっちしていた。

とびらかぎがかかっていなかった理由は、ロウの言うとおり、ただの「かけ忘れ」なのだろうか? 春樹は、なにやらに落ちなかった。あまりに都合がよく、まるでだれかの仕組んだわなのような気がしていた。「引き返したほうがいいんじゃないか」と春樹が伝えると、ロウは、「そんな、ここまで来て引き返すだなんて……」と春樹のものまねをしながら背中をした。

春樹たちは、広い地下室へとたどり着いた。地下室では、ブーン、ブーンとうなり声のような音が聞こえた。懐中かいちゅう電灯を照らすと、春樹たちの体よりも大きな金属の機械が、部屋の真ん中でいくつも並んでいる。騒音そうおんは、その機械から絶え間なく鳴っていた。

「配電用の変圧器だ。ここは間違まちがいなく、変電所だよ」

春樹が変圧器と呼ぶ機械は、この暗闇くらやみにあって、キノコのかたまりのように見えた。その側面は、熱を空気中にがすため、波打つようなヒダ状の金属板でおおわれていた。頭頂部からは、やはりキノコに見える突端とったんがいくつも生えていて、そこから黒い電気ケーブルがびている。すでに何十年も稼働かどうしているのだろうか、機械から油がれたあとがあり、そこが茶色のさびのように変色していた。

天井てんじょうの穴から極太の電気ケーブルがびていた。そのケーブルの一部は変圧器につながれ、それ以外のものは、ゆかうように部屋のおくまでびていった。地下室は、ずっと先まで続いていた。

「ロウ、灯りをつけよう。もっとよく観察したい」
 春樹は、変圧器をしげしげとながめながら言った。

「ダメだ」
 ロウが言った。
「見学に来たわけじゃないんだぞ? 見張りがいたら一発で見つかっちまう。おくのほうに行ってみよう。春樹の考えが正しければ、電気ケーブルはひとつ下の『二十一階の街』までびているんだろう?」

春樹が変電設備に見とれてなかなかそこをはなれようとしなかったので、ロウは春樹を引っ張るのにそれなりの筋力を要した。

「だって、あんなに古い設備は初めてだったんだ。芸術的なアンティークだよ」

「いいから行くぞ」

二人は、ゆか懐中かいちゅう電灯で照らしながら、電気ケーブルを辿たどって地下室を歩いていった。ところどころに「高電圧注意」という看板が、ケーブルをさわった者の体がぶ絵とともにかかげられていた。春樹たちはその看板を見ながら、たまに通路を横切る電気ケーブルをまたいで歩きつづけた。

「前に来た時は、おくまで行ったのか?」
 春樹はたずねた。

「いや。手前の変圧器を点検して、作業が終わったらそのまま帰った。そういえば、『おくには行くな』と親方に注意されたかもな」

やがて、通路の終わりが見えた。電気ケーブルは、そこで途切とぎれていた。

「ケーブルが、なくなっちまったぞ?」
 ロウがって言った。

ゆかには穴が開いていて、すべての電気ケーブルは、そこにまれていた。穴はケーブルでぎゅうぎゅうめの状態で、隙間すきまからその下をのぞこみもうにも、何も見ることができなかった。

廊下ろうかはここで終わりだ。おれたちは、どこに行けばいいんだ?」

階段や、とびららしきものは見当たらなかった。

「ここじゃないか?」

春樹は、懐中かいちゅう電灯で足元を照らした。そこにはハッチがあった。

「開きそうか?」
 ロウはたずねた。

「たぶん。かぎじょうはついていないからね」

ふたりしてハッチのふたを引っ張って開けると、はしごがあった。はしごはずっと下まで続いていて、底は見えなかった。

「見つけたな」
 と、ロウはニヤリと目配せをしてみせた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?