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{ 42: 路地、再び(2) }

{ 第1話 , 前回: 第41話 }

春樹とロウは、連れ立って表通りに出た。春樹は、左手首を反対の手でつかみながら、早足で歩くロウについていった。春樹の左手の血は止まらず、ズキズキと鼓動こどうに合わせて痛みが走った。すれちがう街の住民たちは、春樹の血だらけの手に目を見開いていた。

たしかにロウの言うとおりだ。さっさと手当をしなければ、まずいことになりそうだ。今ばかりはニショウと名刺めいしのことを忘れて、傷の治療ちりょうに専念したほうがいい。

「待ってくれロウ。確認しておきたいことがある」

「まだ、何かあるのか?」
ロウがあきれながらふり向いた。

「ニショウたちの話を聞きたいわけじゃない」

「じゃぁ、なんだ?」

「病院だよ。この街に病院はないのか? 傷口が思ったより深いから、ちゃんと治療ちりょうを受けたいんだ」

「病院ならあるよ。すぐ後ろにな」

ロウがあごでしゃくると、春樹はふりむいた。

この街ではめずらしく、たった三階建ての小さな建ものだった。上の階ではベランダがせり出していて、かべはどこもかしこもツタ植物の葉でおおわれている。とうの中に太陽の光が届かないことを思えば、緑がおいしげっているのは、良く手入れしているからなのだろう。

建物は、春樹がさっきまでゴミ漁りをしていたのと同じものだった。建物裏の通りから正面玄関げんかんまで回ってきたわけだ。入口には看板がかかっていて、そこにこう書いてあった。

一日楽医院
外来受付: 金曜日のみ(午前・午後)

入り口は、じょうがかかって閉ざされていた。窓から中をのぞいてみたけれど、診療しんりょう所の廊下ろうかは真っ暗だった。

「閉まっているのか?」
 春樹はたずねた。

「運が悪かったな」
 ロウは答えた。
「今日は、診療しんりょう日じゃない。お医者の先生は、他の階の街に出払ではらっている」

冗談じょうだんだろ? 病院に医者がいないなんてことがあるのかい?」

「しかたがないのさ。正規の医者が少ないせいで、先生はどの街でもひっぱりダコなんだ」

「正規の医者?」
 なんだかふくみのある言い方だと春樹は思った。

「正規の医療いりょう免許めんきょを持った医者ってことさ。今日は木曜日だから、この病院の先生は、ひとつ下の階の街で診察しんさつをしているはずだ。治療ちりょうなら他にも医者がいるから安心しろ。といってもやみ医者だけどな。ここの街の住民は、病気になったらやみ医者のところに行くことが多いな。よっぽどひどい病気じゃない限り、先生にてもらうことはない」

「あの看板は、なんて読むんだい?」
 春樹は、病院の看板をさしてたずねた。

「ヒトヒラだ。ヒトヒラ先生が診療しんりょうしてくれるから、『ヒトヒラ医院』っていうんだ」
 ロウは答えた。
「とてもいい先生だ。貧乏びんぼうおれでも相手にしてくれるし、やみ医者とちがって治療ちりょう費をぼったくらない……ん? おい、どうした春樹。急に顔色が悪くなったぞ。ここでいきなりたおれたりしないよな?」

「ここだ……」

「何が?」
 ロウは、キョトンとした。

「あの名刺めいしに書いてあった場所は、ここなんだ」
 春樹は言った。
「ぜんぶ思い出したよ。イサミという人の教えてくれた場所は、この病院だ。『ヒトヒラ先生にたよれ』って、あの人は言っていた」

その日の夜、春樹とロウは、ふたり並んでベッドに腰掛こしかけてうどんをすすっていた。

あのあとロウだけが工事現場にもどり、仕事をひとりで終わらせてきたものだから、夜もすっかりおそくなっていた。空きっ腹のロウは、春樹のでた大盛りのうどんを十口くらいでかっこんで、あっという間に平らげてしまった。いっぽう春樹は、包帯をまいた左手のおかげでうまく食べられず、めんがほとんどどんぶりに残ったままだ。もっとも、春樹の食がおそい理由は、ロウに矢継やつばやに質問をしたせいでもあった。

ヒトヒラ先生とはいったい何者なのか? どんな顔をしているのか? ほんとうに親切なのか? どうしてイサミなる人物は「先生にたよれ」とぼくに助言してくれたのか? 病院に行くときは手土産を持っていったほうがいいのか、などなど……

「いい加減にしてくれ、春樹。もうつかれちまったよ」

ロウは、空っぽになったどんぶりゆかに置いて言った。

「明日になれば、ヒトヒラ先生はこの街にやってくるんだ。いいか? 今夜じゃなくて、明日だ。明日になったら、診療しんりょう時間の合間にふたりで会いに行こう。今から病院をたずねて、先生が到着とうちゃくするのを入り口の前で待っている必要はどこにもないんだ。いいな?」

「だけど……」

「いいな?」
 なおも食らいつく春樹をロウはにらんで制した。
「イサミという探索たんさく者が先生をお前に紹介しょうかいした理由はおれにもわからん。何度きかれたって、答えは同じだ。明日、先生に会って聞いてみればいいなじゃないか?」

そう言うと、ロウはそのままベッドの上に転がった。

「今日は、もうダメだ。夜おそくまで仕事をしたからな。それも、『さっさと電気を使えるようにしろ』とアパートの住民に文句を言われながらだ。まったく! 火事になったのは、おれのせいじゃないってのに……うんざりだ……だから、春樹……もうさせておくれ……」

春樹がどんぶりぶりを持ったままだまっていると、やがてスースーというロウの寝息ねいきが聞こえた。なんて寝付ねつきの良さだとおどろいたけど、春樹の分まで働いてつかれていたのだろう。ヒトヒラ先生について質問したいことはまだいっぱいあったのだけれど、ロウに文句を言う権利は春樹になかった。

春樹は、バケツの中にためていた水でどんぶりを洗って、食事の片付けをした。それから歯をみがくと、口をゆすいだ水を便器にき捨てて、ついでに用も足した。支度を終えて寝床ねどこにつこうとしたけれど、いつも春樹の使っている下段のベッドには、ロウがすでにていた。しかたなく春樹は上段のロウの寝床ねどこを使うことにした。こちらでたのは初めてだったけれど、下段とかわらず、上のベッドもせまかった。センベイのようにうすいマットレスの目と鼻のさきに天井てんじょうがあった。春樹は、電灯のひもを引っ張って電気を消した。春樹もロウに負けずおとらず寝付ねつきがよく、暗くせまい部屋のなかで、あっという間に寝入ねいってしまった。

春樹は不審ふしんな音を聞いて、目を覚ました。あたりは真っ暗で、でも大きな音だけは聞こえてきて、春樹はふるがった。悲鳴だった。

ほんの束の間、自分の声かと思った。またあの夢を見て、さけんでいる自分の声を聞いたのだと。でも春樹は、家族といっしょに焼き殺される夢どころか、ただの夢すら見ておらず、声をあげる理由はなかった。わけがわからなかった。

すこし経って冷静になると、その悲鳴はすぐ下から聞こえているとわかった。ベッドの下の段にいるロウの声だった。なんと、ロウがさけんでいるのだ。これは、ただ事じゃない。春樹は、部屋の電灯をつけると、あわててベッドの上段からゆかに降りた。

「ロウ! どうした? なにがあった!」

ロウは、下の段で仰向あおむけにていて、意識はないようだった。まさかケガをしているのか、と春樹はロウから毛布を引きがした。

ざっと見た限り、血があふれていることもなく、体に穴が空いていることもなければ、手足がありえない方向に曲がっていることもなかった。服もそのままで、これといった異常はない。しかしロウは確かに苦しみ、とてもているとは思えない声でさけんでいた。あせもかなりの量だった。

「たす……」
 聞き取りづらいけど、ロウは悲鳴の合間に何かを言っていた。
「けて……おね……だ……やめ……やめてくれぇええええ! 

春樹は、空恐そらおそろしくなった。さけぶ者を目の当たりにするのが、こんなにもこんなにもこわいことだなんて。このままだとロウが死んでしまうのではと不安になり、春樹はあわててそのかたすった。

「おきろ! ロウ、おきろ!」

ガ、ガァッ! 

まるで数時間ぶりに呼吸したかのようにロウは思い切り息を吸いこむと、その途端とたんに体を起こした。呼吸はあらく、その目はいつもの三割増しで見開かれ、かべやら毛布やらに視線をあてどなく向けていた。

「だ、大丈夫だいじょうぶか、ロウ? すごいあせだ。待っていろ、いま水を……」

「な、なんなんだ! 今のは、なんなんだ!」

ロウは春樹が目の前にいることに気がつくと、そのうでつかんだ。ミカンでもにぎりつぶすかのように力をこめ、しかもつめませたものだから、春樹はうめき声をあげた。でも、ロウはそんな春樹の様子に気づかずにまくしたてていた。

「ここは? ここはどこだ? どうしておれはこんなところにいる? どうしておれは……生きているんだ?」

「落ち着け。ロウ。今のは夢だ、夢を見ていたんだ」

「夢? 夢のわけあるか! だってあれは……おれは、体を焼かれて……」

その途端とたんロウは春樹のうではなし、体にもたれかかってきた。春樹は、両かたをつかんでロウの体を起こしたが、両目とも閉じてがっくりうなだれていた。

「ケガや病気をしているわけじゃない。まさか……」

そんな可能性は、考えたくもなかった。でもロウの見せたこの症状しょうじょうに春樹は心当たりがあった。それも痛切に。

「まさかぼくとおなじ悪夢を見ているのか? でも、どうしてロウが?」

信じられないことだった。まさかぼくと同じような症状しょうじょうの者がいるだなんて……でもどうして急にこうなったのだろう? 昨日までのロウは、せいぜいフゴフゴ寝言ねごとを言うくらいで、安らかにねむっていたはずだ。もしもロウが春樹と同じ夢を見ているとしたら、これから毎夜こうなるのか? 

いや、先のことを気にしている場合ではないだろう。ロウは、尋常じんじょうじゃないほどあせをかいているし、息だってあらい。以前の春樹とおなじ症状しょうじょうだとは思うけど、もしかしたらそれは春樹のおもちがいで、病気だという可能性もまだあった。

そのとき、ドンドンとドアをたたく音がした。

「おい、うるせぇぞ! なにさわいでんだ!」

となりの部屋で夫婦暮らしをしているチャウの声だった。魚肉団子をつくる小さな工場を経営している中年男で、従業員をなぐりながら働かせている乱暴者だとロウは言っていた。

「なんでもない!」
 春樹は、声をあげて答えた。
「口の中にでっかい虫が入ってきて、おどろいただけだ」

「くだらないことでさわいでんじゃねぇ!」
 チャウは最後に一発ドアを蹴飛けとばすと、自分の部屋へともどっていった。

春樹は、ロウの体に毛布をかけ直してから言った。

「待っていろ、ロウ。すぐ医者を連れてくるからな」

「だ……」
 そのとき、ロウがうめき声を混じえつつ言った。
「ダメだ。やみ医者じゃ……ヒトヒラ先生を……」

「ヒトヒラ先生?」
 春樹はおどろいて言った。
「呼んでくればいいのか? でも、先生はこの街にいないんだろう?」

「ジュウケイに、行け。昨日の、あのモールだ……その地下に……」

「地下がなんだ? わけがわからないぞ」

「ローブだ……それがあれば……かもしれない」

「おい、ロウ、何を言っているんだ? わけがわからないぞ?」

しかしロウの返事はなかった。体をすったところで、もう反応はない。

「き、気絶したのか?」

ロウは、悲鳴こそあげていなかったものの、あら息遣いきづかいのまま寝入ねいっていた。いまは、悪夢を見ていないようだ。次に悲鳴をあげるとしたらロウが再び夢を見始めたときで、春樹の経験上それは二時間後だった。春樹も、夢を見る時間と、全く見ない時間をつねにかえしていた。そして、悲鳴をあげるのは、自分が焼かれている時に限られる。

「ヒトヒラ先生を連れてこないと……」

それも二時間以内に。


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