{ 第1話 , 前回: 第47話 }

◇

「なるほど……悪夢の話といい、血の話といい、君には秘密があるようだ。シュオではない人間の君に、特別な秘密が……」

塔とうに連れて来られた経緯けいい、それとカンパニータワーでユウナ博士から聞いた話を春樹が伝え終えると、ヒトヒラ先生は背もたれに体をあずけ、天井てんじょうを仰あおぎ見て息を吐はいた。それから椅子いすに深く座り直した。

「教えてください、先生」
　春樹は言った。
「そもそも、シュオとはいったい何なんですか？」

「ふむ、難しい質問だが、私ならこう答える。シュオとは私たちのことだ」

「答えになっていないです」
　春樹は言った。
「あなた達はいったい何者なんですか、って訊きいているんです」

「逆に聞くが、人間とはいったい何者なんだろうか。人間を知らない者に、君ならどう説明する？」

「え？　それは……その……」

「答えてくれたまえ」

「人間は……人間です。僕ぼくたちのことです」

「そのとおりだろうね」
　先生はにっこり微笑ほほえんだ。
「人間とはシュオではない別のなにか、シュオとは人間ではない別のなにかだ。私たちはシュオで、君たちは人間だ。私たちの目は真っ赤で、君たちはそうじゃない。いまは、その答えで十分だろう？」

「どうして、シュオはみなこの塔とうで暮らしているのですか？　この黒い塔とうはいったい何なんでしょうか？」

「歴史的経緯けいいだけを説明するならば、シュオが人間との戦いにやぶれ、この塔とうで暮らすことを余儀よぎなくされているからだ。ただ、建築のお化けのような黒い塔とうが、どうしてこの世に存在するのかは、私も知らない。いったい誰だれが、いつ、何の目的で建てたのか、誰だれも知らないんだ」

「ロウもそう言っていました」
　春樹は言った。
「でも、本当にだれも知らないのでしょうか？」

「さぁ、どうだろうか……」
　ヒトヒラ先生は首をふった。
「そうだな……もし知っている者がいるとすれば、『塔とうの主』がそうなのかもしれない」

「ニショウが、『あるじさま』と、誰だれかのことを呼んでいたのを聞いたことがあります。いったい何者なのでしょうか？」

「黒い塔とうの支配者だよ」
　先生は言った。
「この塔とうの最上階に君臨し、人間たちに戦いを挑いどむ指導者でもある。ケモノの戦士たちでさえ、主の命令を受けて働く兵士でしかないんだ……私が知っているのは、そこまでだ。実際に会ったことはないし、その正体を知る者も少ない。性別すら不詳ふしょうで、塔とうの住民たちの間では、半ば伝説と化している存在なんだよ」

塔とうの主……塔とうの主……春樹は、その言葉を頭の中で反復させていた。塔とうの主の正体をいま知るすべはなく、会うことだって一生ないのだろう。でも、春樹の頭の中にはなにか予感めいたものがあった。黒い塔とうに来てから、一度だけ見た夢のことを春樹は思い出していた。その夢の中では、白い装束を来た赤い目の女が、死にかけの春樹に対してこう言った。

ここに塔とうを建てろ、と。できるだけ高く、雲さえもこするほどに……限界を超こえても、なおその上を目指せ、と。

夢の中で殺された春樹の分身は、塔とうの主、もしくは塔とうの誕生の秘密となにか関係があるのかもしれない。根拠こんきょはないのだけど、どうしてかそう思うのだ。春樹は、このことを先生に話すべきか迷ったが、結局やめることにした。こればかりは、秘密にしておいたほうがいいような気がした。

「先生は、あの夢が、ケモノ化する前兆だと言っていました」
　春樹は続けた。
「ロウは、ケモノの戦士になってしまうのでしょうか？」

「そうだ」

「どうなるんですか？」

「まずは外見的な変化があらわれる。髪かみが血のような赤色になるんだよ。それから数週間かけて、肉体が成長していくんだ。体つきが動物のように大きくなり、肌はだが鉄以上に頑強がんきょうになれば、不死身の戦士の完成だ。不死身とは文字通りの意味で、とある条件下の攻撃こうげきを除いて、彼かれらの体を傷つけることは不可能となる。変化というよりもはや変身と呼ぶべき類のものがだ、肉体の変化は本質的なことじゃない。特筆すべきは、思想から考え方から、何から何まで、別のものに置おき換かわる点だ」

「なんとなく、わかります」
　春樹は言った。
「人間を……憎にくむようになるんですね？」

「そう……彼かれらの根底にあるのは人間に対する憎にくしみだ。その活動目的はすべからく人間との戦いとなる。塔とうの主こそ絶対の指導者とみなし、戦士として活動するようになるということだ。それまでの記憶きおくを失うわけじゃない。なのに、さながら別の生き物にでもなったかのようで、事実、シュオの多くは、ケモノの戦士を自分たちと同族だとみなしていない。春樹君、これはとてもいいにくいことなのだが……君は……」

「僕ぼくは、ロウに殺されるんですね？」
　口ごもった先生の言葉を継ついで春樹は言った。

「ロウは抵抗ていこうするだろう。しかし塔とうの主の意思は戦士にとって絶対なんだ。正直なところ、どうなるか分からない。春樹君、君はロウのもとから離はなれるべきだ」

「でも、あの状態のロウをほってはいけない」

「ロウなら、いつもどおり生活できるよ」
　先生は言った。
「とはいえ、君が心配するのも当然だ。だから、私からひとつ提案があるんだ……しばらくの間、仕事を休んで、ロウをミドに預けるというのはどうだろうか?」

「ミド？」

「ロウの母親だよ」

「ロウにお母さんが？　ロウは、孤児こじだって……」

「血縁けつえんというわけじゃない。ミドは、かつて孤児こじを引き取って育てていた女性で、いわばロウの育ての親だ。老齢ろうれいの彼女かのじょはいま、ひとつ下の二十一階の街でひとり暮らしをしている。彼女かのじょならロウの世話をしてくれるだろう」

「帰って、ロウと相談してみます」

春樹がそう言うと、ヒトヒラ先生は笑ってうなずいた。

「それがいい」

それから先生は、うしろの棚たなに目をやった。たぶんロウの薬が置いてあるのだろう。話を切り上げる前に、先生にもうひとつだけ聞いておかなければならないことがあった。

「イサミという探窟*屋を知っていますか？」

先生は、ふいに警戒けいかいした目つきになって、僕ぼくを見た。塔とうで暮らしている限り、人間とのつながりを他の者に知られるのはまずいのだろう。事実、ロウだって春樹のことをご近所さんに紹介しょうかいすることは絶対になかった。ただ今回に限っては、春樹自身が人間なので、二人の関係を知られたところで問題はないはずだ。先生もそう結論づけたようだ。

「古くからの知り合いだ……彼かれがどうかしたのかな？」

「塔とうに連れ去られたとき、イサミさんが助けてくれたんです。それから、『ヒトヒラ先生を訪ねろ』と僕ぼくに助言してくれました。だけど僕ぼくたちはすぐに離はなれ離ばなれになって……」

「おそらくだが……君を私の庇護ひごのもとに置いて、あとで自分で迎むかえにくるつもりだったのかもしれない。確かに探窟*屋の彼かれなら、君を塔とうの外に連れ出せる。ただ、彼かれは目下ケモノの戦士たちに追われている身だ。残念だけど、君の助けとなることはないだろうね」

「先生とイサミさんは、どのような関係ですか？」
　春樹は尋たずねた。

「ちょうど、君とロウの関係に近いだろうな」
　ヒトヒラ先生は答えた。
「私は、彼かれを救ったことがあり、腫はれぼったい言い方を許してもらえるなら命の恩人だ。彼かれは、今でもそのことに恩義を感じてくれているようだが……そうだな、私は彼かれのことを友人だと思っている」

「人間とシュオにも友情は生まれますか？」

「私はそう信じている」

ヒトヒラ先生は、棚たなから薬を取ると、春樹に手渡てわたした。そして、夜寝ねる前と、うなされて目が冷めた時にロウに飲ませるよう説明をした。

「ありがとうございました」
　去り際に春樹は言った。