{ 第1話 , 前回: 第38話 }

春樹は、「黒い塔とうの住民」と「ケモノ面のテロリスト」がおなじ種族かどうかわかっていなかった。どちらも赤い目なので同じものだと予想はしていたけれど、でも「ほんとうにそうだろうか」という疑問はつねに鎌首かまくびをもたげていた。塔とうの住民とテロリストの間には、見ただけですぐに分かるような大きな違ちがいがあったからだ。それも二つも……

たとえば巨体きょたいという点で、ケモノ面のテロリストたちの右に出る者はない。春樹がこれまで遭遇そうぐうしたテロリストはたったの三名だけど、そのうち二名は身長二メートルをゆうゆうと超こえていた。秋人の首を折った「犬面のイッショウ」と、バン隊長と相打ちになった「牛面の大男」だ。

いまこちらに向かってくる二人組だって群を抜ぬいて大きい。まだ遠くにいるので正確な身長なんてわかりようもないけれど、通行人と比べて頭ふたつ分は抜ぬけていた。対して、ロウも含ふくめこの二十二階の住民たちの体格は春樹とおなじくらいだった。火葬かそう屋の男のように、人間の子どもと同じくらいの者もいた。

もうひとつ……これは春樹にとってかなり大切なことだけど……髪かみの色が両者の間で異なる。周りにいる住民は、みな黒髪くろかみだった。春樹とおなじ黒髪くろかみなのだ。しかし動物面のテロリストたちは、赤い髪かみだった。恐おそろしげな赤……まるで仮面の裏側に火がついているような赤だ。

果たして彼かれらは同一種族なのか？　わからない……わからないけど、でも、確実だと思えることもひとつだけあった。それは、塔とうの住民が動物面のふたり組を恐おそれているということだ。

脇わきにそれて頭を垂れているわけではないけれど、住民たちは皆みなさり気なく道を譲ゆずりながら歩いているように見えた。動物面は堂々と道の真ん中を、そのほか全員が少しだけ脇わきを歩く。動物面はゆっくりと歩を進め、そのほか全員が、せわしなく横を通り過ぎる。

みんなが避さけて通るものだから、群衆の中にあっても、ふたりの全容はすぐ明らかになった。止まっていた春樹の思考もフルスロットルで回転をはじめ、同時に恐怖きょうふも感じた。この感覚は久しぶりだった。ペットボトルの口から炭酸がプシュッと漏もれ出るように毛穴から汗あせがにじむこの感じ……春樹はすでに大量の汗あせをかいていた。

ふたりのうち一方には見覚えがあった。春樹はこれまでに二度、彼女かのじょを見たことがある。狐きつね面をかぶった女だった。鬼おにを模した動物の形相が、むき出しの殺意を表していた。鬼おにの角は二本。白装束の服に赤い袴はかま。カンパニータワーにいた時から服装は同じだ。まちがいなくスイレイだ。

「まずいな、僕ぼくを捕つかまえに来たのか？　それに、隣となりにいるヤツは……」

春樹は、スイレイの隣となりの男を見て愕然がくぜんとした。一本角の犬面をかぶった大男だったからだ。この犬面にも見覚えがあった。

「まさか、イッショウ……？　いや、おちつけ……あいつのわけがない」

春樹はそう自分に言い聞かせた。

「あいつはもう死んだんだ……僕ぼくの目の前で……」

僕ぼくの血を体に入れたせいで、燃もえ尽つきたのをこの目で見ただろう？　秋人の首を折ったヤツは、もう死んだんだ。

「めずらしいな。こんな街中を戦士が歩いているだなんて」

ロウがそうつぶやくのを春樹は聞いた。

「僕ぼくを捕つかまえに来たのかも……」
　春樹は言った。

「はい？」
　ロウは驚おどろいてふり向いた。
「おまえ、いったい何をやらかしたんだ？　戦士にケンカを売って、タダで済むわけないぞ？」

そんなことは、春樹にもわかっている。これまで何度殺されそうになったことか。

「ロウ、後生だ。助けてくれ」

ダメでもともと、春樹は頭を下げた。というよりも、賭かけにちかい頼たのみごとだった。もしもロウが動物面のヤツらの仲間だったら、春樹の人生はここで終わる。

ロウは、春樹を売るかもしれない。「おい、ここに怪あやしいヤツがいるぞ！」と手をあげながら叫さけぶだけでロウの仕事は終わる。春樹はあわてて逃にげようとするけど、数歩と行かないうちに、動物面のヤツらに追いつかれて地べたに組くみ伏ふせられるだろう。動物面が消えるような速度で動けることは、春樹もすでに体験済みだった。あの万力だってそうだ。ヤツらが春樹の腕うでを捻ひねり上れば、いっさい抵抗ていこうする余地なく、ポキリといく。

春樹は、心臓をバクバク鳴らしながら、ロウの返事を待った。答えが返ってくるまで、ほんのつかの間であったにもかかわらず、すでに数分も経過したようだった。

ロウはちらりとケモノ面の方をみやり、また春樹に視線を戻もどした。それから言った。

「今すぐ仕事にとりかかれ」

「はい？」

「仕事をするんだ。堂々とな。あとは俺おれにまかせろ。下手に逃にげようとするなよ？　ぜったいに振ふり切きれる相手じゃない」

「わ、わかった」

仕事をしろという指示には驚おどろいたけど、逃にげられないという意見には賛同するほかなかった。春樹は、ロウを信じて作業をはじめた。すでに三十分は遅おくれているであろう進捗しんちょくを取とり戻もどすつもりで、迅速じんそくに……

春樹は、念のため配電盤はいでんばんの主電源を落とした（こうしないと事故で感電死するかもしれないし、平常心をなくした春樹の手元が狂くるう可能性は十分にあった）。それから火事で焼け焦こげた電線ケーブルを壁かべから剥はがしはじめた。ケーブルに積もったホコリが顔にかかってむせ返ってしまったけど、構わず作業を続けた。そのとき、ロウが手を高らかに上げた。

「おーい！　兄貴、こっちだ！」

度肝どぎもを抜ぬかれるとはこのことだった。あろうことか、ロウは動物面のふたりをこちらに呼びつけているのだ。まるで大漁旗でも見せびらかすかのように、頭の上で両手をぶん回しながら……

「ロウ！　おまえ、なにをやってるんだ！」

「いいから、仕事を続けろ」
　ロウは、春樹を制してからさらに手をふった。
「おーい、兄貴！」

春樹は、今すぐ逃にげ出だしたかった。だが時すでに遅おそし。これから走りだしても、彼かれらの注意を引きつけるだけだろう。

それにしたって「兄貴」とはいったい誰だれのことだ？　やはりあの犬面の大男だろうか。だとしたらロウはあの大男と知り合いで、僕ぼくを引ひき渡わたすつもりなのか？　いや落ち着け、僕ぼく。ロウは、「助けてやる」と言ってくれたじゃないか。僕ぼくを見捨てるわけない。

春樹は、ロウを信じて作業を続けた。ただし手足が震ふるえるせいで、壁かべから電線ケーブルを引き剥はがしているというより、体が崩くずれ落おちないよう縄なわにしがみついているかのようだった。

「おお！」　

犬面の大男がロウに気づいた。それから大股おおまたでこちらに近づいてきた。スイレイは、変わらぬ歩調だったので、ふたりの間には距離きょりができていた。

春樹は、自分がなんでそんなことをしているのかも忘れて、新しい電線ケーブルを組み立てはじめた。作業中はできるだけ自分の手元だけを見た。どうか犬面の大男が僕ぼくに気づきませんように、と祈いのりながら。ちょっとくらい気に留めてもいいから、せめて僕ぼくの顔を覗のぞき込こみませんように、と祈いのりながら。

「ロウか、久しぶりだな！　仕事中のようだが邪魔じゃまするぜ」

犬面の大男が言った。

やっぱり知り合いのようだ。それだけでも十分おどろいたけど、その声に聞き覚えがあったので、春樹はさらにドキリとなった。まちがいない。犬面の声は、「二十三階・牢獄ろうごくの森」の火葬かそう場にいた者の声と同じだった。僕ぼくを焼き殺せと、火葬かそう屋に命じていたあの声だ。

彼かれらがなぜここに来たのかわからないけれど、もしかしたら逃亡とうぼう犯の僕ぼくを探しにきたのかも。火葬かそう屋が、僕ぼくを逃のがしたことをバラしてしまったのか？　でも、どうしていまさらそんなことに？　あぁどうかバレていませんように！　

春樹の鼓動こどうが高鳴った。心拍しんぱく数のピークはもう訪れたと思っていたけれど、それは間違まちがいだったとすぐに気づいた。春樹を今日一番でおどろかせたのは、ロウが口にした男の名前だった。

「やあ、久しぶりだね！　ニショウの兄貴！」