{ 第1話 , 前回: 第40話 }

コンテナのような大きなゴミ箱の蓋ふたをあけると、生ゴミの匂においでむせ返りそうだった。パンパンに膨ふくれたゴミ袋ぶくろを取り出しては投げ、取り出しては投げているうちに、いくつかが破れてしまった。その拍子ひょうしに、リンゴの皮だの、お茶っ葉のカスだのが手についたけど、春樹はかまわず続けてゴミ箱を空にした。

顕あらわになったゴミ箱の底を隅すみから隅すみまで見回したけれど、お目当てのものは見つからず、春樹は声をあげた。

「ない！」

春樹は体まるごとゴミ箱に入ると、長年かけて染み付いた悪臭あくしゅうに嗚咽おえつしながら探索たんさくを続けた。でもいくら探したところで、化石のように乾かわいたガムの残骸ざんがいがそこかしこにへばり付いているだけだった。

「だめだ、見つからないよ……あイタっ！」

春樹は、ゴミ箱から身を乗り出した途端とたんに声をあげた。左手を見ると、手のひらから血が流れていた。落ちていたガラスの破片の上に手を置いてしまったようだ。

「だいじょうぶか？」
　ロウが声をかけた。

「大丈夫だいじょうぶだよ」
　春樹はゴミ箱から出て答えた。
「そんなことより、見つかったかい？」

「いや、だめだ」

ロウは、隣となりのゴミ箱をちらりと見ながら言った。ロウも春樹の作業を手伝ってくれてはいるけれど、春樹ほどゴミ漁りに執念しゅうねんを見せることなく、ゴミ箱の中をひっくり返すこともしなければ、ましてや、そこに身を投じるようなこともなかった。

「もう一ヶ月も前だろう？　残っているわけがない」

春樹は、一ヶ月前に三日ほど過ごした路地裏のゴミ置き場を訪れていた。火葬かそう屋と呼ばれた男が、春樹を捨てていった場所であり、ロウが春樹を拾った場所でもある。春樹のせいで、辺りはゴミで溢あふれかえっていたけれど、もとよりゴミだらけだったので、かまいやしないだろう。

「ここに残っているはずだ！」
　春樹は、ゴミ箱に手すら突つっ込こんでいないロウを睨にらんで言った。
「あのとき、僕ぼくは名刺めいしのようなものを持っていたんだ。僕ぼくを助けてくれた男が渡わたしてくれたものだ。塔とうを脱出だっしゅつするための手がかりのはずなんだ。なのに、僕ぼくはこの場所でそれをなくしてしまって……」

「おちつけよ」

「おちつけだって？　僕ぼくは、あいつらから命を狙ねらわれているんだぞ。あの恐おそろしい動物面のやつらに！」

春樹は、地面に転がっていたゴミ袋ぶくろを思い切りけとばした。それから、腹立ちまぎれにゴミ袋ぶくろを壁かべに叩たたきつけたり、ロウに投げつけたりした。

「どうして、ないんだよ！」
　しまいにはゴミ袋ぶくろに顔をうずめて春樹はわめいた。
「大切なモノだったんだ！」

「も、もう帰ろう春樹……」
　ロウは、とち狂くるった春樹に恐おそれをなしながら一歩下がって言った。

「だめだ！　なんとしても見つけないと。僕ぼくには時間がないんだ」

春樹は、べつのゴミ箱からまたゴミ袋ぶくろを取り出しながら続けた。

「あいつらは、僕ぼくが死んだと思っていた。そのはずだったんだ。でも、ニショウは、僕ぼくが逃にげたと疑っている。早くこの塔とうから脱出だっしゅつしないと……このままここにいたら、いつか見つかってしまう」

「ニショウの兄貴の言っていた『太った人間のガキ』ってのは、やっぱり春樹だったか」
　ロウは、春樹の投げつけたゴミ袋ぶくろをけりあげながら言った。
「おまえさんがうちに来たころから体重が二十キロも減ってなきゃ、あのとき兄貴にバレていたかもな。どうして兄貴たちは、春樹の命を狙ねらっているんだ？」

「それは……」
　ゴミ袋ぶくろつかんでいた春樹の手がピタリととまった。

春樹は、ロウに隠かくし事ごとなんてしたくなかった。でも、それ以上にロウと敵対したくなかった。もしも春樹の血の秘密を知ったら、どんな反応をするだろうか。ロウは、春樹の血のせいで燃もえ尽つきたあの「イッショウ」と親しかったのだ。

春樹がうつむいたままでいると、やがてロウは肩かたをすくめた。

「話したくないなら、かまわないさ。名刺めいし探しはもう終わりだ。現場に帰って仕事の続きをしよう」

春樹は、しばらくあたりの惨状さんじょうを眺ながめていた。破れた袋ふくろから生ゴミやらちり紙やらがこぼれていたし、ゴミ箱の裏に隠かくれていたネズミたちが驚おどろいてかけずり回っていた。ロウのいうとおり、これ以上探したところで、小さな紙切れ一枚が見つかるとは思えなかった。

「そうだね……」
　やがて春樹は言った。
「これ以上は時間のムダだ。見つかったところで、たかが名刺めいしだしね」

「塔とうから脱出だっしゅつするための手がかりじゃなかったのか？」

「きっと僕ぼくの思おもい違ちがいだ」

本心ではそう思ってはいないけれど、それでも春樹は手に持っていたゴミ袋ぶくろを地面に置いた。

「先に帰っていてくれ。僕ぼくはここを片付けてから行くよ」

「律儀りちぎなやつだな」
　ロウは笑った。
「こんな所、片付けようが片付けまいが、たいして変わりゃしないぞ。なにしろこの街の住民ときたら、窓からゴミを投げ捨てるもんだから路地裏はどこも散らかり放題……ん？」

ロウが、ふいに春樹の手元に視線を落とした。

「おい、春樹、手が血だらけだぞ。ガラスが刺ささったままじゃないのか？」

「え、本当かい？」
　春樹はキョトンとして言った。

「なにぼんやりしているんだ？　さっさとガラスを抜ぬくんだ」

「ムリだ。血が怖こわいからね」
　春樹は、肩かたをすくめて言った。

「バカか、おまえは！」

ロウが急に怒鳴どなりだしたので、春樹はビクリと体を震ふるわせた。

「体の中にガラスの破片が入っちまうぞ！　手を出せ。おれが代わりにやるから」

ロウは春樹のちかくに寄ると、左手を掴つかんだ。確かに手のひらは血だらけで、小さな水たまりのようなモノもできていた。その有様を見たとたん、春樹は痛みをようやく感じ始めた。

「けっこう大きな破片が刺ささっているな」
　ロウは、呆あきれた様子で春樹の手を見た。
「指でつまみ出せそうだ。痛くても動くなよ」

ロウが手を伸のばしたその時、ロウの体が燃えている光景が春樹の頭をよぎった。ロウは、全身火だるまになって泣なき叫さけんでいた。春樹はロウの手をはねのけた。

「なにをするんだ！」
　ロウが声をあげた。

「血だぞ？　怖こわくないのか？」
　春樹は言った。

「おまえじゃないんだ。赤いからってビビったりしねぇよ」

「そうじゃない！　血だよ。もし血が混じり合えば、君の体が燃えてしまうんだぞ？」

「体が燃えるもんか！　わけのわからないことを言うな」

「だって、動物面のやつらは……」
　春樹はその場で佇たたずんで言った。
「やつらは、他の血が混じることを何よりも恐おそれているんだよ？　型のちがう血液が混じると、体が燃えてしまうからだ」

「動物面ってのは、ニショウの兄貴たちのことか？　そんな話、聞いたこともないぞ」

ロウは、眉まゆを潜ひそめて春樹の顔を見た。それから左腕ひだりうでをつかみなおすと、手に刺ささったガラスをとってしまった。春樹はうめきながら、左手の手首を握にぎった。

「急いで、手を洗おう」
　ロウは血だらけの破片を投げ捨てながら言った。
「食堂のおっちゃんに頼たのめば、水道を貸してくれるはずだ。それから傷口にオキシドールをぶっかけて消毒しないとな。バイキンが体に入ったら塔とうの脱だつ出どころじゃなくなるぞ。むかし、切り傷をほったらかしにしたせいで、手がナスビのように膨ふくれ上がっているヤツを見たことがあるんだ。そいつは、高熱を出して、七日間苦しんだ挙げ句に死んじまった」

ロウは、春樹を引っ張って、路地裏から出ようとした。でも春樹は途中とちゅうで足を止めて、ロウにこうたずねた。

「君たち塔とうの住民は、ケガや病気で死んでしまうのかい？」

「当たり前だ。逆に聞くが、ケガや病気以外でどうやって俺おれたちに死ねっていうんだ？　さっきからおまえは何を言っている？」

「ロウは、あの動物面たちとはちがうのかい？　その……なんというか……ちがう種族なのか？」

「そいつは、今ここで話さなくちゃならないことか？」
　ロウは、春樹の顔と、傷口の開いた手を交互こうごに見ながら言った。
「手当のあとでもかまわないだろう」

「大切なことなんだ」

なおも春樹が食らいつくと、ロウは呆あきれた様子で言った。

「兄貴と俺おれたちは、まったく別の生き物だよ……」

「ならアイツらは一体なにものなんだ？」

「さぁな。わからん」

「わからないなんてことがあるのか？」

「ほんとうに、わからないんだ」
　ロウは首を振ふった。
「兄貴たち戦士が、いったい何者なのか……どうして、あんなにも人間を憎にくんでいるのか……俺おれは、何ひとつわからないんだ」

「昔からの知り合いじゃないのか？　イッショウとニショウのことを兄貴と呼んでいたじゃないか」

「俺おれたちは、子どものころ一緒いっしょに育ったんだ」
　ロウは答えた。
「孤児こじだったのさ。この二十二階とは別の街で生まれ育ち、家族同然で暮らしていたんだ。でもある日、イッショウとニショウの兄貴は、変わってしまった。一夜にして髪かみが真っ赤になって、ケモノの戦士に生まれ変わったんだ。もとは、俺おれと同じで、どこにでも転がっている普通ふつうのガキだったのに……」