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大学の授業中に鍋をしてはいけない理由【女子校の先生になったら読むnote】

 私立高校(女子校)勤続10年のkanari_Pです。
今日はテーマを大きく逸らしまして、「大学の授業中に鍋をしてはいけない理由」についてお話しをさせていただきます。私は高校教師であり、大学での指導のあり方に意を唱えてよいような資格や経歴は持っておりません。しかし、私たちが見守ってきた生徒が「大学」に進学することを考えると、愚考をまとめたいと思うに至りました。よろしくお願いいたします。

 さて、以下の記事を読んでおりました。

「迷惑をかけなければ、授業中に鍋をやってもいいよ」というのは先生側の発想であるようです。

「大学で授業を受ける態度は、居眠りを禁止されるような高校までの学び方とは違い、個々の学生が自発的に考えるべきであって、何が他人に迷惑をかけるのかということも自分で考えなければいけません。仮にそういうことが起こったら、その場で学生同士で話し合えばいいじゃないかと言っています」

上記リンク先より引用

 引用だけで全体を判断するのも非常に危ういかと思います。しかしこの文章、本当にこのような発想をなされている先生がいらっしゃるのであれば、これまた非常に危ういと思います。そのように考える理由は、以下の3点です。

① 「居眠りを禁止されるような高校」という言葉への違和感

 校則には一考を持つ私ですが、「居眠りを禁止されるような高校」という言葉には違和感がありました。高校にはさまざまな禁止事項があります。「アルバイトの禁止」・「原付免許取得の禁止」といったものから、「ピアスの禁止」・「染髪の禁止」などなど、挙げ出したらキリがありません。しかし、「居眠りの禁止」などという禁止事項は聞いたことがありません。「居眠りしてもいい」と言いたいのではありません。居眠りはすべきではないのです。
 アルバイトについては、しなくてはならないタイミングもありましょう。家計を支えるため、進学費用の足しとするため、などなど一考の余地ありです。原付もそうかもしれません。ピアスも染髪も、学校としてどうありたいかに触れたとき、一考の余地が出てくるように思います。
 しかし、居眠りしてよいタイミングはありません。一考の余地もありません。寝ないといけないほど体調が悪いなら保健室へ連れて行くべきですし、怠学なら注意すべきことです。「居眠りを誘発してしまうほど、自身の授業がよろしくないのだ」と、その心意気は結構なことですが、なおのこと責任をもって注意しなければなりません。お給金をいただく身でありながら、「〇〇だから居眠りしてもいいんだ」などと考える生徒を世の中に送り出すことに恥を感じるべきと思います
 というスタンスで、責任とプライドと誇りをもって日々指導されている先生方のことを考えると、「居眠りを禁止されるような高校」という言葉を使われるというのは「現場を知らんな?」と思わざるを得ません。実際には居眠りだけを取り上げたかったわけではないと思います。しかしながら総じて、高校は先生たちの言うことを聞くだけであって、自分で考えずに行動する場所だと言われているような気になりました。

②「迷惑をかけなければよい」という最悪の発想

 「コンセプトカフェでの無断アルバイト」という、とても大きなものに向き合ったことがあります。その生徒が「誰にも迷惑かけてへんやん」と言っていました。また、夏休み明けに完全に茶色に染めてきた生徒にも向き合いましたが、この生徒も「誰にも迷惑かけてへんやん」と言っていました。「学校のイメージを勝手にあなた色に染めてしまうのやめてくれ」などと、さまざまな言い方で指導できるのですが、「迷惑をかけなければ、授業中に鍋をやってもいい」というのも同じような指導となりそうです。いや、今回は大学の教授の発言のようですが。
 「迷惑をかけていないから、居眠りをしてもよい」「迷惑をかけていないから、身だしなみは適当でいい」「迷惑をかけていないから、勉強も適当でいい」などなど、「迷惑をかけていない」シリーズはよく聞くフレーズです。自分を中心に据えた、視野の狭い発想です。どれだけまわりに配慮したとしても、誰かに迷惑はかけるものです。
 今回の学生、事前に受講生の許可は得たとか、匂いが出ないように水炊きにしたとか、換気のしやすい場所で行ったとか、精一杯の配慮はしていたようです。大学そのものに許可をとったのかはわかりませんし、火元の責任は誰が請け負ったのかもわかりませんし、講義を行なっているかを監査する方々への説明はどのようにするのかの段取りができているのかもわかりませんしと、調べないと見えてこないものが多すぎます。ひとつでも抜けがあれば、迷惑をかけたことになるでしょう。

③そもそもなんか違う

 「大学はこうあるべき」「学生が学ぶ態度を自分で選択すべき」「教育効果が上がった」など、「自由」をテーマに語られている部分が多く見られました。聞こえはたしかによいのですが、どうやら「自由闊達」と「自由奔放」が混ざってしまっているのかなと感じました。
 たとえば講義の内容について、「先生は今何々についてお話しされていますが、私たちはさらに丸々のことについて教えていただきたいとも思っています。丸々について教えていただけませんか?」のように、「何を学ぶか」を考えて、学びたい内容を勝ち取ることこそ、学びの自由ではないでしょうか。
 一生懸命考えて行動して勝ち取った自由が「教室で鍋をすること」というのは、「なんで鍋やねん」と突っ込まずにはいられませんでした。「さすがにそれは違うやろ」と笑ってやり、「学びの自由ってこういうことや」と、歴史を紐解くなどして学生に伝えられるような、そんな先生でありたいと思います。


 推察ではありますが、大学の先生としても、ここまで話題になるとは思っていなかったのではないでしょうか。急遽理屈を考えなければならなくなったかのような、そのような印象も受けました。また、今後「まわりに迷惑かけないので、授業中は読書させてください・別の講義の勉強をさせてください・Switchやらせてください」などを、すべて認めていくようになるのか、それともどこかで線引きをするのか、あるいはそのような学生はもう出てこないか、続きが気になります。

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