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ジェリーのこと

昔、アメリカ、カリフォルニア州のロングビーチという街にある大学で文章の創作を学んでいたことがあります。その時に出会った教授が最近、亡くなったことを知りました。

彼の名前は、ジェラルド・ロックリン博士。
学生からも他の教授から親しみを込めて「ジェリー」と呼ばれていました。
詩人で、チャールズ・ブコウスキーと友人だったそうで、若い頃はお酒も煙草もがんがんで、かなり放埓な生き方をしていたらしいです。

私が出会った時にはお酒もやめてだいぶ穏やかな雰囲気になっていて、黙って椅子にちょこんと座っていると、ひょろっとした背の高さや白いひげが頬と顎を覆っている感じ、眼鏡の奥の優しいいたずらっぽい瞳が、なんとなく「アルパカさん」みたいでかわいらしくすら見えました。でも、口を開けば朗々と響く声は野太く、優しいはずの瞳も時折鋭く光り、言うことも何だか型破り。只者ではない存在感がありました。

でも、いま思えば、私はジェリーのことをほとんど知りませんでした。
ジェリーの話す英語は渡米したばかりの私には聞き取るのが難しく、きっと話していることも半分くらいしかわかっていなかったし、あの頃はアメリカで何とか生活するのとクラスについていくのとでいっぱいいっぱいで、しっかりと目の前の人を知ろうとするだけの心のスペースがなかったのです。

ジェリーはいつも学科の集まりなんかでも目が合うと微笑んで話しかけてくれたけれど、私は緊張してまごまごしてばかりでした。
ああ、今だったらもっといろいろ聞きたいし、話したいのに!もったいなかったなあ!と、自分の頭をぽこぽこ殴りたくなります。

個人的に話すことはほとんどできなかったけれど、私はジェリーの詩が好きでした。

印刷されていればゆっくり読むことができたから理解できたし、教授陣の朗読会の時も、難解な言葉や複雑な言い回しをあまり使わずに語りかけるように書かれた彼の詩はすっと耳に入ってきました。
詩を読む時の彼の英語は、不思議と結構、聞き取れたのです。

ジェリーの詩は率直で、遊び心があって、人間らしさにあふれていて、どこかとても飄々としたところもあって、親しみやすさの奥に、出会う人の心をがっしりとつかんで揺さぶる深み、心も体もフルに使って生きてきた人が持つ凄みみたいなものがありました。

彼の朗読はいつも、タップダンスで締めるのがお決まりでした。
観客の期待が高まる中、「まだできるかな…」と言いながら空中で足を打ち鳴らすジェリーに、会場は大喜びで拍手喝さい。
毎回、みんなが「ああ、今日もジェリーのタップが見られたね」と嬉しそうで、ジェリーはほんとうに愛されているんだなと思いました。

訃報を知ったのは、同じ学科だった友だちのインスタグラムの投稿で。

「彼の笑い声とタップダンスがなくなって、世界はちょっとだけ色あせている。でも私はそれに出会うことができて、ずっとよかった」

ジェリーが死んでしまったのは悲しかったけれど、友だちの文章のおかげで彼の笑い声とタップダンスをしている姿が浮かんできて思わず笑顔になって、そうして次の日に本棚を探して見つけてきたチャップ・ブックに載せられたジェリーの詩を読んでいたら、彼がもうこの世界にいないことがやっぱりさびしくて涙がぼろぼろ出てきました。

こんなにさびしくなるんだ、と驚きました。さびしく感じるのは、それだけその人を知るよろこびが大きかったということ。

個人的に深く知っていたわけではないけれど、ジェリーの授業を通して、詩を通して、タップダンスを通して、体を持って同じ空間で過ごすことができた時間を通して、私はたしかに大切なものを受け取っていました。

ひとつ、妙にはっきり記憶に残っているジェリーにまつわる思い出があります。

卒業前の朗読会の後、学科の学生、教授たちでバーに行った時のこと。夜も更けてみんながほろ酔いになってきた頃、友だちと私が飲んでいたテーブルにジェリーと仲が良かったヘミングウェイみたいにワイルドな小説家の教授、レイがやってきて、ちょっと離れたところで女性と談笑しているジェリーの方を顎で指して言ったのです。

「ジェリーはあの子が気に入って、さっきからケツを追っかけてるんだ。男ってのはいくつになってもそういうもんなんだよ」

そういうもんなのか!と、思わずもう一度目をやった先にいるジェリーの笑顔はやっぱりいつもの「アルパカさん」風だったけれど、そう聞いてしまうと「ケツを追っかけて」いるようにも見えてきます。

キャンパスではもちろんそんな場面は見られないから新鮮だったし、なんでレイはわざわざそれを私たちに教えてくれたのか(酔ってたからか?)も含めて、なんだか全体的に人間くさくて、思い出すとくすっと笑ってしまうのです。

いなくなってしまった誰かを思い出して笑えるって幸せなことだな、私もできるだけそんな思い出を残してこの世を去っていけたらいいなと思います。

「作家で『書くために教えている』という人は多いけど、おれは『教えるために書いている』んだよ」

と、言っていたジェリー。

その言葉どおり、数えきれないほどの学生を教え、導き、友人を持ち、家族を愛し、ロサンゼルスの作家の宝として多くの人に愛された人でした。

彼の人生に直接ふれることができたこと、その声を聞き、心から楽しそうに笑う笑顔を見ることができたことはほんとうに幸運だったと、思えばまたさびしくなるけれど、やっぱり心から嬉しく、ありがたく思うのです。

読み返していて、やっぱりジェリーの詩が好きだなあとしみじみ。
ふたつ、日本語訳もつけて載せておきます。

The Iceberg Theory by Gerald Locklin

all the food critics hate iceberg lettuce.
you'd think romaine was descended from
opheus's laurel wreath,
you'd think raw spinach had all the nutritional
benefits attributed to it by popeye,
not to mention aesthetic subtleties worthy of
verlaine and debussy.
they'll even salivate over chopped red cabbage
just to disparage poor old mr. iceberg lettuce.

I guess the problem is
it's just too common for them.
it doesn't matter that it tastes good,
has a satisfying crunchy texture,
holds its freshness,
and has crevices for the dressing,
whereas the darker, leafier varieties
are often bitter, gritty, and flat.
it just isn't different enough, and
it's too goddamn american.

of course a critic has to criticize:
a critic has to have something to say.
perhaps that's why literary critics
purport to find interesting
so much contemporary poetry
that just bores the shit out of me.

at any rate, I really enjoy a salad
with plenty of chunky iceberg lettuce,
the more the merrier,
drenched in an italian or roquefort dressing.
and the poems I enjoy are those I don't have
to pretend that I'm enjoying.

アイスバーグの理論

料理評論家は皆アイスバーグレタスを嫌う。
ロメインレタスの祖先は
オルフェウスの月桂冠、
生のほうれん草の栄養価の高さは
ポパイが証明済み、
そのうえあの繊細な美しさはまるで
ヴェルレーヌかドビュッシーか。
やつらは刻んだ赤キャベツにだってよだれを垂らしてみせるだろう
哀れなアイスバーグレタス氏を軽んじるためだけに。

思うに問題は
平凡過ぎることなのだ。
味が良くたって関係ない、
ぱりっとした触感がたまらなくたって、
鮮度が長続きしたって、
ドレッシングが溜まるちょうどいい割れ目があったって、
だけど濃い色のふさふさした葉物なんて
たいがい苦くてざらつくし、ぺらっとしてる。
つまりアイスバーグにゃ目立つところがない、それに
クソがつくほどアメリカっぽ過ぎる。

もちろん評論家の仕事は評論すること:
評論家は何か言わずにはいられない。
だからきっと文芸評論家たちは
興味深いと主張する
あれやこれやの現代詩を
おれを退屈させるクソつまらない詩どもを。

ともかく、おれが大好きなサラダは
ぱりぱりのアイスバーグレタスが山ほど入ってる
多けりゃ多いほどいい
イタリアンかブルーチーズのドレッシングを浸るほどたっぷりまぶして。
それから、おれが好きな詩は好きなふりを
しなくていい詩だ。

No Longer A Teenager by Gerald Locklin

my daughter, who turns twenty tomorrow,
has become truly independent.
she doesn’t need her father to help her
deal with the bureaucracies of schools,
hmo’s, insurance, the dmv.
she is quite capable of handling
landlords, bosses, and auto repair shops.
also boyfriends and roommates.
and her mother.

frankly it’s been a big relief.
the teenage years were often stressful.
sometimes, though, i feel a little useless.

but when she drove down from northern California
to visit us for a couple of days,
she came through the door with the
biggest, warmest hug in the world for me.
and when we all went out for lunch,
she said, affecting a little girl’s voice,
“i’m going to sit next to my daddy,”
and she did, and slid over close to me
so i could put my arm around her shoulder
until the food arrived.

i’ve been keeping busy since she’s been gone,
mainly with my teaching and writing,
a little travel connected with both,
but i realized now how long it had been
since i had felt deep emotion.

when she left i said, simply,
“i love you,”
and she replied, quietly,
“i love you too.”
you know it isn’t always easy for
a twenty-year-old to say that;
it isn’t always easy for a father.

literature and opera are full of
characters who die for love:
i stay alive for her.

もうティーンじゃない

あした二十歳になるおれの娘は、
もうすっかり自立した。
父親にたすけてもらう必要はない
学校の堅苦しい手続きも、
健康保険も、車の保険も、運転免許のあれこれも。
扱い方も、すっかり心得たものだ
大家に、上司に、車の整備士。
それから、彼氏に、ルームメイト。
母親も。

正直だいぶほっとした。
ティーン時代はストレスだらけだ。
でも時どき、自分がいらなくなった気もする。

だけどある時、北カリフォルニアから運転して
数日帰ってきた娘は、
玄関を開けて入るなり、おれに
世界一大きな、あったかいハグをした。
そして、みんなで出かけたランチでは
小さな女の子の声真似をして、言ったんだ、
「あたし、パパのとなりにすわる」
そうして座って、すっとおれの横にくっついた
だから、おれは彼女の肩に腕をまわした
食事が運ばれてくるまで。

娘がいなくなってからは忙しくしてきた、
だいたいは教えることと書くことで、
どちらも絡んだ旅が少々、
でも気がついた、どれだけ久しぶりだったか
こんなにも深く心を動かされたのは。

帰っていく娘におれは言った、ひと言、
「愛してる」
彼女は答えた、静かに、
「私も愛してる」
わかるだろう、決して簡単じゃない
二十歳の子がそれを言うのは;
父親にだって、決して簡単じゃない。

文学やオペラではいつも
登場人物が愛のために死ぬ:
おれは生き続ける、娘のために。

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