Ka na ta 最後の日々へ



おはよう。8月26日の朝、この手紙を書くために久しぶりに家を離れて長野のホテルで朝を迎えた。

変わらないことは、長野の山奥でメリーときゅうと暮らしていること、きゅうはもう小学2年の夏休みを終え、里山の集落は今日も優しさがこぼれていること。

変わってしまったことは、愛猫のアメが亡くなってしまったこと、今は3匹の猫といる。

あとちょっとで変わること、メリーのお腹の中には女の子が羊水の中で浮かんでいること、その子はもうすぐ空気に包まれること、Ka na taは11月3日に活動を停止するということ。



「Ka na taの活動を休止する」ということが何を意味するのか、僕が言ったことなのにずっと分からなかった。


日付は11月3日。

きっとその日までに、服を作って、発表して、手渡す、を、完結しなければいけないはずだ。

でも身体がそこを目掛けて反応できない。


服をひたむきに作っているいまが、ずっと続けばいいのに、と、ぶっちぎりに遅いスタートを切ったくせに僕は考えている。怠惰だ。



でも、僕は作る人で、11月3日のKa na taの最後の瞬間まで作っていたい、作ることを止めることが、僕にとってはKa na taを止めるということ、それが一番附に落ちてスタッフと家族に伝えた。


普通ではないけど、それでいいんじゃないかな、でも決めたなら、その瞬間を超えたら、もうKa na taの服作りは止める、と誓った。

となると、僕は11月3日まで新しい服を作り続け、それを発表するのは、11月の途中から、その服を納品できるのは2024年になる。



僕は2024年の春と夏の服を作っているのだ。

生地のほとんどは特注で、Ka na taの最後の服にどのくらいの注文が入るかは予想がつかないから、そうするしかない。

それが一番、纏う身体にとって良い方向へ向かうと思うし、僕も身体も安心して動くだろう。


少しスケジュールは自ずと変わる。


以下、Ka na taの最後の日々のスケジュールになります。変更してしまったけど、もう変更できないことを知っているから、スケジュール帳に書き込んでくれたらとても嬉しい。



Ka na ta  最後の日々


Ka na ta  inlet
【Ka na taのずっと作り続けている服の最後の発表】
9月28日から10月1日 京都
10月22日から29日 東京


Ka na ta
【最後の新しい服たち】
11月18日から11月26日 東京
12月2日から12月3日 東京
12月8日から10日 京都


以上が最後の日々となります。京都にお店を作る、と言って、嘘になってしまったから、最後は京都で終ろうと思います。


最後の服を作り始めてから、今日までのあいだ、何千本のピンを打っだんだろう、それを解いての繰り返し。

今までとは違う景色が見える。

もしも、1年前に目の前の布と身体にこの景色が見えていたなら、僕はKa na taを活動停止するだろうか。

もしも、僕がKa na taの活動停止を宣言しなかったらこの景色が今見えているだろうか。



20年前、早稲田の学生会館でブルーハーブを聴きながら服を作っていた。

18年前に、落合南長崎で新宿の高層ビルを眺めながらKa na taの最初の発表の服を作っていた。

あのときの初期衝動が、今僕の身体の中で蘇っていく。



僕は服を作れるようになってしまった。僕は服が作れる環境を手にしてしまった。そのことがどのくらい服の可能性を抑え込んでいるのか、不安に怯え始めたのは数年前だ。


でもそこを通過して何度も何度も失敗したことで、今、新しい服を作れている。通らなかったら辿り着けなかった場所にいる。


ここがKa na ta18年間でたどり着いた地点。


距離と布に身体を澄まして、それらの声がとてもよく聞こえる。


Ka na taのこの地点を、みんなと分かち合うことができたら

その距離を身体で確かめほしいと思っています。


今日も服を作ることができて、嬉しい。


Ka na taを支えてきてくれた全てのスタッフや仲間、そして纏ってくれた人々に、ありがとう。


出会いましょう。もう一度。



かなたより。