苦しさについて


年を越して、色んな事が起きた。

誰かが苦しんでいて、その誰かが苦しくなくなるようにしたら

その隣にいる誰かが苦しくて

今度はその誰かが苦しくないように、しようとした。


なんとなく、それらの誰かが笑顔になったら


今度は、全く別の角度から、苦しい、と声にならない声が聞こえた。


大切な人のくるしいは、くるしくない、にできるならしたい。近い場所だったらとくに。


そうやって生きてると、ぼく苦しい。なることは、いつもどおりだから気づかない。


自分のくるしいを流す術はずっと前に憶えた。


憶えてること、忘れてしまうから、苦しかったんだ。

人間なんて日替わり弁当みたいだ。


誰かが笑顔になったら誰か泣いてんだ。


考えるのも飽きてきて


からだのこと考えるようにしたよ。


したら、サウナに入って、あせ、流して


せっけんでぜんぶ流したる。


水風呂の中で皮膚の温度が布になるのを待つ。


何も心配いらない。


ぜんぶぬいで、温度が残ってるんだ。


見た目は大事やろん。


気にするやろん。


誰かが、すいてくれたら、別の誰かはすいてくれんやろん。


苦しさみたいだ。


だからわすれて、


からだに戻って


あいたいよ。


あさぼうよ。


おやすみなさい。