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ひらくヨムヨム

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彼方ひらくが現代の俳句を鑑賞します。
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記事一覧

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム006

くちびるの奥に歯バレンタインの日稲畑とりこ 第5回令和相聞歌 最優秀賞より  情熱的な想いで手渡された女性のチョコレートが、清潔で真っ白な歯によってかみ砕かれ、口中の熱によって融け、男性を官能的な甘みで包み込む。気をつけなければ恋の病で虫歯になってしまうかもしれない……というような単純な句ではないだろう。掲句には固有名詞の力がある。  日本の季語であるから、「バレンタインの日」という季語も日本の文化のありように従えばいいのだろうか。古代、ローマ皇帝の禁令に背いて密かに兵士た

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム005

甘やかす孫と昭和の扇風機杏乃みずな 「2024年版夏井いつきの365日季語手帖」特選より  シンプルに因数分解されている句だ。「甘やかす」は「孫」と「昭和の扇風機」の双方に掛かる。孫を甘やかすのは普通だが、昭和の扇風機を酷使もせず、捨てもせず、眠らせもせず、甘やかしてしまう作者の年の功。例えば首振り機能が壊れてガタガタ鳴っていたら、やさしく撫でて今日はちょっとご機嫌斜めみたいだから休ませてあげましょうかね、といったところだろうか。分解して油でも差してやるかもしれない。  令

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム004

風花や相手のいない糸でんわ平田素子 第二十五回横光利一俳句大会 一般の部 野中亮介選者賞より  相手がいなくなったのではない、最初からいないのだ。糸電話のぴんと張った糸が伸びる先は、風花の支配する、明るく華やかで、茫漠とした空間である。なにかを喪失したわけではないが、虚無でもないことが却ってさみしい。相手を切望しないことがさみしい。  この人は子供だろうか、大人だろうか。一人の糸電話はちょっとした手なぐさみか、ある種の儀式のようなもので、相手など必要ないのだろうか。望むと望

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム003

月白し膝に手を置く国家たち木之下みゆき 第60回現代俳句全国大会特別選者特選より  膝に手を置いているということは、面接か、式典か、はたまた誰かの葬儀だろうか。「国家」が集まっている場ならば、環境問題・飢餓・人道危機・戦争など、世界の行く末を左右する議題が活発に議論される国際的な議場が相応しいだろう。今、国家たちはじゃエスチャーを交えて話しているのでもなければ、身を乗り出してもおらず、考え込んで腕を組んでいるわけでもない。ただ膝に手を置いているという。その様子を、月に白白と

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム002

ソフトクリーム舐むれば個人的な崖西生ゆかり  二十一世紀に入って日本人の主語は小さくなった。団塊から少子化へ、高度経済成長期から失われた20年へ、SNSの流行とか価値観の多様化とか、理由を挙げれば枚挙にいとまはないだろう。いつしか周囲に気を遣った「個人的には」という言い回しが一般化した。  対して俳句では、以前から「私」とか「吾」とか書いて自己主張することは嫌われがちで、なんとかこの言葉を使わずに表現するという配慮が要求されがちである。  掲句は一物仕立ての顔をしながら、こ

俳句鑑賞 ひらくヨムヨム001

巨大蛸(クラーケン)の白夜を歩く針のごと小田島渚 第39回兜太現代俳句新人賞受賞作「真円の虹」より  天地創造の頃より存在するという得体の知れない怪物が、ノルウェーの白夜に身を晒している。大きさは一つの島ほどもあると云う。何本あるか知れない足と触腕を、針のように鋭く、街に森に氷原に突き立てて歩いている。本来ならば、この偉躯を人が目にすることはないのだが、日の沈まぬ時計の壊れた世界ならばむべなるかな。  いやひょっとすると、クラーケンは異空間にある時計盤の上を歩いているのでは