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杉山久子の俳句を読む 23年03月号

ラブホテルある日土筆にかこまるゝ

(句集『泉』所収)

 春も深まって、気がつけば土筆に包囲されているラブホテル。なんら実害はない。誰も気にしていないし、気づかない。俳人以外は。
 人の男女の仲が進展していく上で、ラブホテルという場所には年中多くの「ある日」が持ち込まれているのだろう。何も恥ずかしいことはない。土筆は土筆で、タケノコやサツマイモなどと同じく地下茎を水平に張り巡らし、ときがくればそれぞれの場所から地面を破って現れ、胞子を播く。しかし土筆の場合は春という季節に限られる。動植物から見れば明確な繁殖期を持たず365日続いている人間の奔放な性の営みが、土筆によって白日に晒されたとも言えるのではないか。とはいえ、その暴露で読者が笑ったとしても、春めいた明るい笑いになるに違いない。
 掲句の土筆は人間と対比することで自然の代表としてしか感じられず、清潔とさえ言えるが、土筆そのものは作家によってはいくらでも性的なモチーフとして使われそうなものだ。「つくしんぼ」「筆の花」など、必要以上の可笑しみや色気のある傍題を使わなかったのもさることながら、一本ではなく、無数の土筆を一つの建物と対比させて客観性を演出したことが見事に成功している。下五「かこまるゝ」は文語の連体形であるから、上五の「ラブホテル」に還り、土筆の繁茂は限りない。ある種の大景句なのだ。


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