金沢皐月

表現者。物書き、裁縫、ダンス、服。 自分、社会、人間。日々感じたことを書いていきます。…

金沢皐月

表現者。物書き、裁縫、ダンス、服。 自分、社会、人間。日々感じたことを書いていきます。 インスタ→ https://instagram.com/hallelujah_0517?igshid=YmMyMTA2M2Y=

マガジン

  • 一生実家暮らしかも知れない

    連載エッセイ「一生実家暮らしかも知れない」全20編をまとめました。ぜひ最初から読んでみてください。

最近の記事

クリスマスと正月が一緒に来たようだ

気付けば師走。 残り1枚になったカレンダーが壁に寂しくぶら下がっている。 年末はとにかくやることが多い。いや、多過ぎる。 ぱっと思いついたのは、 ・年賀状を25日までに出す ・クリスマスのメニューを決める ・ケーキの予約 ・アンちゃんのサンタ服を作る ・大掃除(窓拭きが億劫) ・百人一首の復習 ・正月の着物選び ・着付けの復習 ・年内に美容院に行く …えええ無理です。パンクしちゃう。 今年は年賀状を印刷にしてしまったのでかなり楽をしている。 (今まではイラストや版画な

    • 【ネタバレあり】ユーミンのコンサート行ってきた

      どうも、ご無沙汰しております。 季節の変わり目に体がついていかなくて、胃炎起こしたり情緒がジェットコースターみたいに浮き沈みしてました。 はい、本題。 結論から言うと、アンコール3曲目の「春よ、来い」のピアノイントロで涙腺爆発してアイシャドウとアイラインとさようならさようならしました。 吹部時代に、春(確か3月下旬)の依頼演奏でこの曲をやったんですよ。 しかも珍しくドラムを任されまして。 本番の演奏中に桜の花びらがぶわあっと吹いて来て…情景もひっくるめて思い出の曲だ

      • 麦わら帽子とワンピース

        ある日出かける用事があって、早起きをして着替えて準備をした。 その日はとても暑かったので服はワンピース一択。 崩れるかも、と思いながらフルメイクをし、麦わら帽子にマスク、メガネ、タオルを首に巻いた。 「いってくるね」と親に声をかけると、「夏休みの小学生みたい」と返ってきた。 こういうことをよく言われるが、その日にはいつもにも増してその言葉通りだった。 麦わら帽子、ひざ丈のワンピース、クルーソックス、スニーカー。 これでもワンピースは紺色で、ソックスは白、スニーカーは

        • 一生実家暮らしかもしれない その20

          これまでのエッセイで、うつ病と診断されてからの私の人生を振り返ってきた。 我ながら実に色々なことを経験したと思う。 もし仮に正社員として働こうとしても、履歴書が穴だらけで難しいだろう。 また疲れ果てて辞めざるを得ない可能性も高い。 社会人になってからの間は本当に苦しかった。 「何でこんな目に遭わなきゃいけないんだ」と運命を恨んだ。 でも今となればそれも自分の視野を広げる為の試練だったのかな、と感じる。 最近は朝起きて、3食食べて、家事をして夜寝られるようになってきた

        クリスマスと正月が一緒に来たようだ

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        • 一生実家暮らしかも知れない
          20本

        記事

          一生実家暮らしかもしれない その19

          この連載の最初の方でも書いたが、私はコロナ禍になって「仕事しかない」毎日に耐えきれずに働かなくなった。 最後に働いた所では1ヶ月しか持たなかった。 何の楽しみもなく、ただ同じことを繰り返す日々。 社会から切り離され、自分が必要とされなくなったようでそれが1番しんどかった。 昨年ADHDの診断がおりた。 今では治療薬を飲んで過ごしている。 ADHDは人によって症状が大きく異なるが、私の主な症状は「過集中」。 文字通り物事に集中し過ぎて時間も休むことも忘れてしまい、疲れ

          一生実家暮らしかもしれない その19

          一生実家暮らしかもしれない その18

          仕事はその年に辞めてしまった。 業務をこなすのがきつかったのと、人間関係でも色々あったからだ。 でも3年半同じ仕事を続けられたことは自信になった。 よく「3年続けて一人前」というがそこまでできたことが今までなかったのと、その業界一生一筋ではなくとも、ある程度のレベルの仕事は出来るようになったからだ。 その年は年末まで好き勝手に暮らした。 成人式の後撮りをしたり、ライブに行ったり。 来年は仕事をどうしようか、なんてみじんも考えていなかった。 ところが次の年、あのコロ

          一生実家暮らしかもしれない その18

          一生実家暮らしかもしれない その17

          休職期間を終え、主治医のゴーサインをもらってから再び働き出した。 しばらくは順調に働いていた。 1年か2年ほど経った頃、業務内容が変わった。 今までやってなかったこともやることになり、その日出勤してみないと今日何をやるかわからなくなった。 その中の一つにとても苦手な仕事があった。 飲食店の時もそうだったが、同時並行でやらなければならないことだった。 一つのことに集中すると、もう一つの方に集中がいかなくなり、何度も「これもやって!」と怒られていた。 出勤してその仕事の日

          一生実家暮らしかもしれない その17

          一生実家暮らしかもしれない その16

          転職してからしばらく経った冬の頃、私はプライベートの人間関係がごちゃごちゃになり先生に「躁うつ状態になっている」と言われた。 そこから1ヶ月間、診断書が出て休職せざるをえなかった。 躁うつはこの時に初めてなったのだが、簡単に説明すると徹夜ハイとうつ状態が交互に現れる病気だ。 一番厄介だったのが、寝て起きると躁とうつが入れ替わっていることだった。 目が覚めるたびに真逆の自分がいる。 それについていけなくて毎日苦しかったし、働けずお金が入って来ないことも苦しかった。

          一生実家暮らしかもしれない その16

          一生実家暮らしかもしれない その15

          飲食店のアルバイトは人手が足らず、フリーターの私はどんどんシフトに入れられていた。 心も体も持たなくて1年で辞めてしまった。 しばらくはダラダラとした生活を送っていた。 ある日、物流業界の求人を見つけた。 人やモノの流れがどうなっているのか以前から興味があり、一度はやってみたかった。 早速電話をし、面接を受けて無事に受かった。 ここから私の職歴史上最長となる物流業に3年半従事することになった。 集められてきた物を地域ごとに仕分け、台車に積み込んでトラックの発着口まで運

          一生実家暮らしかもしれない その15

          一生実家暮らしかもしれない その14

          その年の冬に飲食店のアルバイトを始めた。 もちろん、何かしなくちゃという焦りからだった。 学生の時にも飲食店で働いていたので仕事を順調にこなせると思っていた。 ところが同時並行の仕事ができなくなっていた。 例えばもうすぐ料理ができそうな時に、一緒に持っていくドリンクを作り忘れてしまったり、お会計やご来店が重なるとどちらを優先したらいいかわからなくなってパニックになっていた。 一度ミスをしてからはシフトに入るのがどんどん怖くなっていった。 次の日失敗したらどうしよう、

          一生実家暮らしかもしれない その14

          一生実家暮らしかもしれない その13

          初診からは処方された薬の効果を確かめるために1週間に1回通院していた。 当時の私は人間関係に悩み苛立っていて、診察の度にその人の愚痴を言っていた。 学生生活も終わり、仲間はそれぞれの道へ進んでいき、私は話し相手というものを失いつつあった。 だから診察で先生にばかり愚痴をこぼしていたのかも知れない。 この頃は同時に「働いてお金を稼がなきゃいけない」という焦燥感に駆られていた。 家に毎日いて休むということができなかった。 だが働く気力も体力もなく、時間だけが過ぎていっ

          一生実家暮らしかもしれない その13

          一生実家暮らしかもしれない その12

          初めて病院に行った時は、今のように初診の予約はいらなかった。 中に入り「初めてなんですけれど」と伝えると、「こちら18歳以上の方が対象の精神科ですがよろしいですか?」と聞かれ、はいと答えた。 でかでかとした問診票を書き、受付に出して座っていた。 しばらくして名前を呼ばれ、診察室に入った。 そこには短髪にメガネの、背の高いおじさん先生がいた。 今の状況や困っていることなどを話したが、自分でも何をどう伝えたか覚えていない。 先生は私の話を一通り聞くと、「初めて来た患者さ

          一生実家暮らしかもしれない その12

          一生実家暮らしかもしれない その11

          1ヶ月ほど寝たきりの生活を続けた後、きちんと病院で診てもらおうと考えた。 とはいえ前回のようなメンタルクリニックは懲り懲りだ。 色々と調べた結果、住んでいる地域の相談窓口に電話しようということになった。 布団に入りながら電話口で状況を説明し、「どちらにお住まいですか?」と聞かれた。 どこどこです、と答えると通えそうな病院を2カ所紹介してくださった。 どちらに行くか悩んだが、最寄りから電車1本で行けるという理由で片方の病院に行ってみることにした。

          一生実家暮らしかもしれない その11

          ギターヒーロー爆誕

          じゅんちゃん、35歳のお誕生日おめでとう。 この日を複雑な感情で迎えるとは思ってもいなかった。 Starting Overについているてんてんの愛知公演のBlu-rayは、まだ気持ちの整理がついてなくて観られてないよ。 そっちの生活はどう? 我が家のうさぎのくるみちゃんやここちゃんと楽しく遊んでる? ハマスタに行ってから気付いたんだ。 じゅんちゃんの音が足りないってことに。 それでもsumikaは3人で進み続ける。 私も少しずつだけど前に進むね。 今日はお祝い

          ギターヒーロー爆誕

          一生実家暮らしかもしれない その10

          結局その後、2回に渡って話し合いが行われた。 最後の話し合いの時に「福利厚生いいのに」とぽつりと言われたが、もうそんなことはどうでもよかった。 とっくにこの仕事と会社が嫌になっていた。 正式に退職届を出し、大学卒業からわずか1ヶ月でプー太郎になった。 家ではずっと寝たきりの生活が続いていた。 自分でもその頃のことはよく覚えておらず、自力でトイレぐらいは行っていたと思うが洗面も入浴もままならず、食事も上まで運んでもらっていた。 そして24回目の誕生日を迎えた。 母が

          一生実家暮らしかもしれない その10

          一生実家暮らしかもしれない その9

          その後、配属先の上司と二人になる機会があった。 二人で外回りをし、途中喫茶店で休憩をした。 どういう流れだったかはよく覚えていないが、とにかく私は仕事をやめたいとつっぱね、気がついたら泣いていた。 「もうそのさっちゃんの気持ち、私には止められないから」 そう答えた上司も泣いていた。 何日か後に、部長を交えて話し合いをすることになった。

          一生実家暮らしかもしれない その9