詰み

「詰んでるよ」

今日、アルバイト先の小学生に告げられた言葉に対して、過剰に反応してしまう僕がいた。

単純に彼は、二人で指していた将棋の局面について言っていた訳だけれど、近頃自らの生活に限界を感じている金澤にとってはあまりにも生々しい言葉だった。

ヒロキは将棋が大変うまく、小学2年生にして大人など軽々と負かしてしまうほどの実力を持っている。対する金澤は、将棋はルールがわかる程度で、その癖きちんと考えながらゲームを運ぼうとするため、考える時間を大幅にとってしまう。

金澤の手が動くのを待つ間、ヒロキはよく

「俺、じっとしてる時間が一番嫌いなんだよね」

と言った。

金澤は怖かった。誰かを待たせているという実情が怖かった。

金澤の人生において、誰かを待たせるということは往々として起こり、多くの人が彼を見限り、さらに多くの人が辛抱強く彼のことを待っていてくれた。

にもかかわらず、彼に残るわずかな希望を裏切る行為を彼自身はとってきたと自覚している。あくまで自覚している。


将棋を終え、学童クラブの稼働時間も終わり、同僚と世間話をしたのちに彼は鷺宮の駅に向かった。

およそ10分ほどの道のりを、寒さを堪えながらただ足を前に、ただ前に一歩ずつ進める。決して意識してはならない、進むことを意識した瞬間に体が固まってしまう気がしたから。

あくまで自然に、当然だといった面持ちで足を進める。僕は当然生きているんだと、そういった感覚が心に作る膜を決して破らないように慎重に歩く。


クラブに水筒を忘れていることに気づいたのは、既に電車に乗った後だった。

水筒には、家で淹れたドミニカ産のコーヒーがまだ半分ほど残っていた。温かさを保ったまま、子供たちのロッカーの上に放置されていた。

真っ暗で誰もいないクラブの隅で、密かに灯る黒い液体は果たして希望なのか、それとも。

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