ブリコラージュ

今回は一貫したテーマがない短文の寄せ集めです。
考えたけど1つの記事にするまでもない戯言集。

ルフィが怖い話

ONE PIECE FILM RED、大人気だね。
鬼滅、呪術、チェンソーマンとジャンプが立て続けにヒット作出してるけどやはり看板枠は強い。

私は小6のときクラスの子(のちに類を見ないメンヘラへと成長する)に激推しされて単行本を押し付けられたから読み始めたけどゴッドエネルが出てきたあたりで「?」となって読むのを辞めたのでエアプです。

当時はジャンプを毎週読んでいたものの、既に逆張りオタクのマインドが身についていたのでワンピ、ナルト、リボーン、ブリーチあたりは食わず嫌いしてピューっと吹くジャガーと巻末の投稿コーナーや作者コメントを見てニヤニヤしていた。キモすぎ。

ワンピースの設定、なんかディストピアっぽいらしいし世界観的にはかなり好きそう。

逆張りオタクのみなさんは分かってくれると思うが、世間で流行りすぎた作品は「あー俺ワンピース読んでないんだよね笑」と逆張り素人が幅を利かせるようになるので本当のキモオタは裏の裏をかいて結局読む、という選択肢を取りがちだ。

それでも私はワンピースは読まない。確固たる理由がある。
ルフィの目が怖い。それだけ。
ルフィ、怖くない?少年漫画主人公の目じゃないよあれ。

クスリをやっておられる?


いくら何でもキマりすぎ。せめてハイライトを入れてやってくれ。

何が怖いって、ルフィの人間性と鑑みるとベストなキャラデザだということ。
彼の行動原理、分からなすぎませんか?
「海賊王になるため」「仲間が傷つけられたから報復をする」の二軸で動いているのは分かるが、人間性というか根底にある思想、信条のようなものが全く見えてこないので共感性が著しく低い。

「仲間が傷つけられた!ぶん殴る!(ドン!)」と言いながら敵をなぎ倒していく姿が怖すぎて直視できない。体がビヨビヨなのも怖いし。

少年漫画のストーリーは
・きっかけ(家族が鬼に殺される、巨人に食われるなど)
・修行、挫折、成長
・ボスを倒してハッピーエンド
と大まかに分けることができる。
ここでいう「成長」は肉体的、そして精神的なものである。

挫折を乗り越え、肉体の成長をも凌ぐ精神的な成長が少年漫画、ひいてはジュブナイル作品の醍醐味である。
それなのに、ルフィの信念みたいなものってずっと一貫していて変化していない?気がする。(エアプなのでそうじゃなかったらごめんなさい)
肉体的な成長はあるものの、精神的な変化がない(あるいは見てとれない)のが不気味に感じてしまう。

あと表記がルフィなら発音はルフィーじゃなくて「ルフィ」だろ。

みたいな理由でワンピースを読めません。以上。
短文とかいったのに1個目から1000字近く書いちゃった。

言語、離散的

みなさん、言語使ってますか?私はたまに使ってます。

便利ですよね、言語。本来は意識上にしか存在しないものを他者と共有する最重要インターフェース。
ありとあらゆる事物、概念は言語化され、使用されている。本当にそうか?ここで問題です。

色クイズ①

何色でしょう!

そうですね、もちろん#ff0000です。
赤と答えた方も正解です。これは正真正銘赤。

第2問!

色クイズ②

分かるかな〜?

また簡単すぎましたかね?
答えは#ff2020です。

は?赤?
不正解です。さようなら。
赤は#ff0000ですよ、よく見てくださいね。

虹が7色というのは日本だけ、みたいな話はよく聞く。イギリスやアメリカでは6色というのが一般的で、ロシアは4色だ。アフリカでは8色と答える国もある。
もちろん見えているものは同じだが、どこで色分けをするかによって数が異なるということである。虹はグラデーションだから、分けようと思えばいくらでも分割できるし、減らすことも出来る。

「赤」という言葉が存在するから「赤」を「赤」と認知できる。言語は必ず恣意的だ。ここからここまでの色を「赤」と呼びますと無理やり決めたから、1問目に正解することができる。しかし、無理やり決めてしまったからこそ、機微が判断できなくなり2問目みたいなものを十把一絡げに「赤!」とバカみたいな顔で答えるしかなくなってしまうのだ。

世界も同じである。色に限らず、ありとあらゆるものはグラデーショナルだ。
もちろん、言語によって離散的に概念を扱うことは適切である。分割できる限りを尽くしてしまうとそれだけにリソースを割かれて思考がおぼつかなくなってしまう。
髪の色を#734e30にしてくださいと美容師に伝え、いざ染めてみると#634e30になっていたから「おい!Rが10足りねえよ!」とクレームを入れてしまった、、などということが起きてしまう。
だから最初から「茶色にしてください」と言えばいいのだ。

しかし人間関係においてはもう少し細分化してもいいのではないかと思う。

たとえば友達と街を歩いていて、「隣にいるそいつほど仲良くはないが顔は知っている」程度の人とすれ違って会話するシーン。横の友達にその会った友達'をなんと説明したらよいだろうか。
「あっこいつはえーーと、友…達?の○○だよ」とやや気まずくなってしまう。
これは「友達」の語が示す範囲が広すぎることに問題がある。
「友達とは呼べないけど知り合いと呼ぶと角が立つ気がするからその中間くらいの語」がほしい。

ケースを変えよう。
「私たち、付き合ってるのかセフレなのか分かんない!」
よく隣で寝てる女性に言われるケースですね。ぼくは遭遇したことありませんが。

婚姻していない恋愛対象の異性どうしの関係性が恋人以外ほとんどないのってヤバくないか?
当人たちにそれぞれ多種多様な事情があるだろうに、「恋人」というステレオタイプにむりやり押し込まれてしまうのは問題がある。

友達以上恋人未満という言葉があるが、これは「恋人」という特定の異性との関係性を一言で表してしまったことの弊害によって生まれた言葉だ。友達と恋人は同一線上にあるとは限らない。

まあカップルなんてみんな高確率で「自分たちだけは特別」などと思っているだろうからその傲慢さを抑える意味では型に押し込める必要があるかもしれないね。

いずれにせよ、友達だろうと恋人だろうと0か1の離散的なものではなくグラデーションから成る関係性だからもうすこし複雑にしてもよかったのではないかと考えてしまう。

さてこのあたりでこの話題も1000字を超えたのでやめておきましよう。

いつもの記事だったらレヴィストロースやドゥルーズをもう少し勉強してここから構造主義と差異、ブリコラージュの話に繋げてタイトル伏線回収をしたかったのですがやりません。

本質EP

  1. 四つ打ち.mp3

  2. カノン進行_ピアノ.mp3

  3. 4:33

  4. 4:33(extended mix)

を収録した本質EPがリリースされたら買っちゃうかもな。

ジョン・ケージの4分33秒って空集合∅じゃん。
あらゆる楽曲の部分集合だからこの世の全ての楽曲は4分33秒とのマッシュアップになると考えてもいいのでは?

この話題はこれ以上特にいうことがありません。この辺で勘弁しといてやる。


最近読んだ本の話

前に書いた読書感想文記事をかなり尖った構成にしてしまったせいで普通の感想記事を書きづらくなってしまったからここで消費しておく。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?/フィリップ・K・ディック

タイトルは何回も聞いたけど読んだことない本を読破しようの会。
映画化で改題されたブレードランナーの方が有名かなあ。
タイトルはこっちの方がオシャレだよね、パロディしやすいし。

内容としては、人間界に紛れたアンドロイドをぶっ倒そうとする主人公が苦悩する話。アンドロイドと人間って何が違うんだろうね、みたいなテーマです。

フィリップ・K・ディックはすごい。1968年にこのテーマで重厚なストーリーを作ってるのは前提として、未来への解像度が高い。
当たり前のようにビデオ通話(作中では映話と訳される)が出てくるし、SFとしてのクオリティが非常に高くておもしろい。おもしろかったです^^

シュレディンガーの哲学する猫

シュレディンガーの哲学する猫/竹内薫+竹内さなみ

タイトル、表紙、著者、内容ともに好み、最高!
突然現代に現れたシュレディンガーの猫ちゃん、通称シュレ猫が量子力学的なアレのソレでウィトゲンシュタインやニーチェなどを憑依させて主人公と対話する、という話。

ストーリーとして成立したうえで哲学を落とし込んでいるし、解説がわかりやすすぎ。哲学の入門の入門として最適かも。
解説部分は竹内兄妹の兄である竹内薫さん、ストーリー部分は妹の竹内さなみさんが執筆したらしい。私好みのサイエンス本の邦訳の3割は竹内薫さん。多才かよ。おもしろかったです^^

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために/千葉雅也

これ、己が理屈っぽい自覚がある人は全員読んだほうがいい。難しい用語を俗な言葉で言い換えてくれるので意味がスっと入ってくる。
深く語るには読み込みが浅すぎるのでもう5回くらい読んでからになるが、間違いなく今後の指針になったというか、影響は受けた。

本作の言葉を借りると私はまだ「キモい人」だ。しかし、受容せねばならない。いつの日かユーモアの転回を覚えて「来たるべきバカ」になる日のために。

ちなみにこれの読後、すぐに同筆者の現代思想入門も読んだ。最近すぐ私が構造とかポストモダニズムとか言うのはそのせい。


さて、ここまで辿り着けた人はいるでしょうか。
どうせあんまりいないと思うのでここいらで重い話でもします。

老いることが何よりも怖い。最近そのことばかり考えている。
死に近寄るから怖い、のではなくて老いそのものに恐怖している。
正直死そのものよりも嫌だ。不死の薬はいらないから不老の薬をくれ。寿命が半分になっていいから、頼む。

もちろん、身体的な老いも大きな理由だが、内面的な話が一番の問題だ。

周りの人より長く生きたというだけで傲慢になる。もちろんそうならない人もたくさんいるが、私が傲慢にならないと保証ができない。自らを客観視できず、周囲に不快感をばらまくだけの生き物になる気がしてならない。(これは既にそうかも)

長いこと生きたせいで考えは凝り固まり、思想は強まり、融通のきかない老人になる。

そして歳をとったときにはこの恐怖を忘れているだろう。無様に「長生きしたい」などとのたまっているかもしれない。

この恐怖を忘れた瞬間にくたばりたいが、忘れた瞬間この希死念慮は雲散霧消するだろう。デッドロック。(ちょっと使い方が違う気がするけどうまいこと言いたかっただけだから許して)

少なくとも今、怖いなあと思ってるうちは若さに縋って生きようかなと思います。おわり。

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