〈雑記〉密度と周期とフィナーレ
はい。こんにちは。
二年前のこの頃に、僕はnoteにやってきて、小説を書いてみようと指を動かしていました。
思えば、二年前の夏、僕は花火を見たのでしょうか。
記憶が曖昧であるので、正確なことは言えませんが、おそらく花火は見ていないはずです。思い返しても、花火の映像が頭に浮かんできません。いえ、単なる花火の映像であれば、昨日今日でみた花火の形を思い浮かべればいいわけだから、思い浮かぶのです。
ただ、僕が思い出せないのは「二年前の夏に見た花火」なのです。
違いました。そもそも、花火を見ていないのであれば、思い出す記憶すら存在していないので、僕のぼんやりとした懐古は意味をなさないのです。
まぶたを閉じようとも、僕の頭の中の花火は暗い闇の中で色を持つばかりで、周りの景色に色は付きません。黒でもなく、透明でもなく、色が付かないのです。
じゃあ、どうでしょう。二年前の夏に花火を見ていないのは、それはそれとして、他の夏に見た花火を思い出せるかどうか。
違います。思い出せるかどうか試すのは、花火ではありません。
必要なのは花火の色ではなく、花火と一緒に見た風景の色であり、花火と一緒に見た人物の色でもあります。それは黒でもなく透明でもなく、ひとつの名詞だけでは表せない色なのです。
色とりどりの花火に照らされる夜の水面の色を、僕は一言で表すことができません。「バチバチ、チリチリチリ……」と簾のように空中に沈んでゆく花火に照らされる彼女の頬の色を、僕は一言で表すことができません。
夕暮れからしばらく経ったあとの生暖かい風が彼女の頬を撫で、一方で露出した足には低空で冷やされ始めたそよ風が通り過ぎます。遠くで弾ける花火の音は聞こえますが、火薬のにおいは光よりも音よりも遅く──いえ、届きすらしません。
人ごみにまぎれずに遠くから見る花火は、「ドンッ」という地鳴りを腹の中まで感じることはありません。皮膚さえ震えることなく、鼓膜だけが振動して音を感じます。
感じるのは触れた指先だけ。
花火以外の色が思い出せなくとも、触れた指先の感触なら思い出せるのでしょうか。どうでしょう。
僕は苦手です。
僕の記憶は見た映像が主たる要素を占めているので、昨日今日のことでなければ、脳内で再生できるレベルで感触までは思い出せません。
「ドン、ドドドン、バン、バリバリバリ、ドドドドドドドドド……」
花火のフィナーレがやってきます。
先ほどまで、じわじわと上がっていた花火が一挙にせわしなく打ちあがり、観衆の皮膚を照らします。
「ジリジリジリ……ジジジ……」と最後の花火が闇夜に消えたなら、白い煙が風の向きを知らせ、観衆はそれぞれの場所に向けて歩を進め始めます。
僕の文章は、花火ではないので、派手な色も音もなく、人々を照らしません。僕の文章に光が当てられたところで、黒い文字でしかなく、書いてあるのは大嘘な事実だけです。
中途半端にnoteを更新していようが、密度に関係なく「二周年」と呼ばれるならば、フィナーレはまだやってきていないようなので、僕はまた大嘘をつくための小説を書くのでしょう。
僕は今日も明日も大嘘とともに生きていきます。
おしまい。またね。
僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。