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〈雑記〉猫の彼の換毛と僕の細胞

 はい。こんにちは。
 月日が経つのは早いもので、いくらかの小説を書こうとポメラにため込んだまま放置していたところ、夏い暑が来ていました。

 とはいえ、クーラーの効いた社内で汗水たらさず働く時間は長く、十数年前に炎天下の球場で100球を超える全力投球をしていた体の細胞は、今ではすっかり新しいものに入れ替わっています。
 世界の様相も変わり、気候も変化しており、今日の僕もこうして新しい文章を生み出しているわけです。

 にも拘わらず、僕が放置した小説の登場人物たちの時空は――

「あなたが言うのなら、それがあなたにとっての正解なんじゃないかな」
「実際の所、僕だって何かを予想していたわけでも、想定していたわけでもない。ただ単純に、僕は契約によって契約を契約としただけなんだ。正しいとか、間違ってるとかの問題じゃないのは僕自身がよくわかってる」
 家の前の駐車場には、空気中の夏を全て含んだまま降り注いだ大粒の雨が大量に流れていく。にわか雨にしては量が多い。遠くの空の晴れ間から太陽光が降り注いでいる一方で、僕の耳には雨音しか響かない。今、この空間では光が音に負けているのだ。
「そう。なら、また夏が来るだけよ。二年前とは違う夏がね」
「んん。まあ、どんな夏だろうと、いつかと同じ夏がくるなんて僕には耐えられそうにないからね」

 ――なんて、こんな調子で僕の脳内に断片的に漂っているだけなのです。
 この断片をつなぎ合わせるような文章の体力は今の僕にはなく、そして文章を小説とするようなみなぎる何かもありません。
 そうこう言っているうちに、僕も猫も老いていくことを僕はよく知っているのだけれど、猫の彼はただ暑さに伸びて寝ているばかりです。

 この夏は旅に出ようかと、お金をかけて中古の愛車コペンちゃんを整備したのだけれど、僕は僕の身体を旅に連れていくことができませんでした。ああ、だからといって心だけで旅をすればいいじゃないかということで、猫の彼と一緒にたくさんの睡眠をとって夢の旅に出ることにしましょう。
 ほら、こんな風に、僕は彼と旅に出れる――

「あれは? さかな?」
「違うよ。あれは蛍って言うんだ。光る虫だね」
「むし? たべれる?」
「食べたけりゃ食べてもいいが、蛍を食べたらお腹の中でもぴかぴかしてて、次の日はお尻の穴が光っちゃうらしいぞ」
 街灯一つない田舎道の端に停めた車の助手席に座り、猫の彼は鼻先でフロントガラスの向こうの蛍を追っている。闇の空間を飛ぶ蛍を、彼の眼がどう捉えているのだろうかと想像してみたが、僕には彼の眼を体験することができない。
 ドンッ――と背後の山あいで花火があがる。助手席で体をひねり、目を細めた彼が言う。
「あれは? おやぶん?」
「お前は生涯家猫だろ。親分なんかいるのか?」
「おやぶん?」
「その言葉、意味わからずに使ってるだろ。あれは花火だ。食えないぞ」
 花火が食べられない対象だとわかると、彼はフロントガラスの向こうの蛍に顔を戻した。耳だけを後ろに向けて花火の音を時おり聞いている。お尻の穴が光ったとしても、彼にとっては食べれるかどうかは重要なことらしい。

 ――猫にとって旅はストレスだろう。たとえ車で数十分の実家までも連れていくのは憚られる。だから、僕は彼と一緒に眠ることで旅に出ればよいのだ。
 しかし、おそらく、蛍の動画を見せたところで、猫の彼は見向きもしないだろう。

 そのうち彼の毛も、夏用から冬に向けて生え変わる。
 小説を書かない時間も、僕の身体の細胞は入れ替わる。

 おしまい。またね。


僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。