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登場人物は作者に嘘をつくし、私も私に嘘をつく

今ずっと漫画「ONE PIECE」を読んでいる。1997年から連載が始まったらしい。そのときわたしは18歳で(1979年生まれです)、ジャンプを購読していて(もちろん紙で。電子で漫画を読む発想すらない)、ONE PIECEの連載が決まる前のお試しの読み切り短編を読んだことを覚えている。

それが今も続いていて、大人気で、読み切りを読んだときには想像もしなかったたくさんの仲間に囲まれて(←主人公が)、すごいよほんと…と、まあ20年遅れで感動しているわけだけども(今86巻の途中なのでネタバレしちゃダメですよ)。

登場人物がどんどん増えていくのに、それぞれの行動動機がしっかりと書き分けられていて、すごい。こういうとき、この人ならこうするだろうなと想像しちゃうくらいくっきりしていて、でもいつもその想像の斜め上の行動をしてくれて(良い裏切り。これ大事)、だけどそれもすごい納得できて。

この過去とこの性格とこの想いがあったら、こんな行動になるよね…と。ひとつひとつパシッパシッと決まるから気持ちいいんだよなあ。ほんと、すごい。

…って、ONE PEACEの話で何が言いたいかというと、共感できる登場人物じゃなくて、納得できる登場人物が大事だってこと。そんな危険なとこに突っ込むのやめて逃げようぜ…って思うわたしは、ルフィに「共感」できないけど、ルフィならこうするだろうなと「納得」はできる。

そういう「納得」を作り出せたら作者の勝ちなんだと思う。そのためには登場人物たちが本当は何をしたいのかを考えなくてはならない。

でもそれが本当に難しい。登場人物はときどき作者に嘘をつく。本当は何をしたいの?と聞いても教えてくれないこともあるし、嘘の答えを言うこともある。作者が生み出してる登場人物が作者に隠し事したり嘘をついたりするなんて、何言ってんだと思うかもしれない。でも、物語を作ったことがある人はわかると思う。これはスピリチュアルな話ではなく、いや、ある意味スピリチュアルな話なのかもしれないけれど、わたしたちはよく、自分で自分に嘘をつく。だから、自分で生み出した登場人物が自分に嘘をつくことなんて、日常茶飯事だ。

なぜ自分に嘘をつくのか。それは本心を認めたら何か不都合が起こるからだ。周囲に軋轢を生んだり、今まで積み上げてきたことがやり直しになったり、何かを手放さないといけなくなったり、嘘をつきたくなる理由は無数にある。

登場人物の嘘は、隅々までよく考えて物語を育てていけば、どこかに矛盾が発生して、それで発見できる。

自分の嘘も仕組みは同じで、頭の中を書き出して紙の上に並べてみて、矛盾を発見すると、見つけることができる。本当の望みは嘘の影に隠れていることが多いから、なるべくたくさん思いつくだけ望みを書き出す方法が、結構効く。
もう何も出てこないよ…というくらい書き尽くしたときに、ようやくちょっと顔を出してくる。それをすかさず捕まえる。

登場人物の本当の望みを捕まえることができたら、物語はごそっと動く。登場人物が魂を宿して生き生きと躍動し始める。

現実も同じだと思う。わたしの本当の望みを正しく捕まえることができたら、わたしは動き始めることができる。エネルギーを望みを叶えるために正しく使うことができる。

…と、いうわけで、定期的に自分の望みを言語化する作業をやっているわけですが、昨夜、そうやって捕まえたわたしの望みは「小説がもっと上手くなりたい」だった。オレは海賊王になる!…くらいの単純さよ。

小説でしかできないことをやってみたくて、それができるように、小説が上手くなりたい。上手いって何なのか、良い小説とは何なのか。それを考え続けていたい、らしい。

ちょっと探検家に似てるかもしれない。いや、そんな大袈裟なものではない。人類未到の地とか、誰もやったことのない挑戦じゃなくていい。これまで何人もの人が辿り着いている、南極やエベレスト山頂に、自分も挑戦してみたい。つまり、まあ、旅人なんでしょうな。自分の中では大冒険だけど、人類史上に残るわけでもなく、そもそも誰のためになるわけでもなく、お金を儲けられるわけでもなく。

わざわざ自分でやってみたい。誰に頼まれたわけでもないのに。

わたしの旅を見て、いいねって思う人もいるかもしれない。自分も旅に出てみようって思う人もいるかもしれない。旅の記録を読んで楽しんでくれる人もいるかもしれない。だけど、それは付随的なもので。おまけの喜びみたいなもので。

わたしの行動動機は、海賊王にオレはなる!みたいなものなのか…とわかったのでした。

今までわたしは、「小説を楽しむ人を増やしたい」とか「小説家として有名になりたい」とか「たくさんの人に読まれたい」とかが自分の望みだと思っていたけど、よく考えたらツッコミどころが満載だったのです。

小説の良さを広めるためなら自分が書かなくても良くない? とか、有名になったら生きづらくなるし実はあんまり興味がないな、とか。たくさん読まれさえしたら何でもいいわけでもないし、とか。

じゃあ、なんでわたしはわたしに嘘をついていたかというと、小説を上手くなりたいなら書くしかないわけで、書くと自分の下手さと向き合わなきゃいけないから嫌なんですよ!

書かなければ下手な文章を生み出すこともない!だが、書かなければ上手くならない…!当たり前や!

文字にするとアホみたいですな…。

上手くなりたきゃ書くしかないんですよ。自分の下手さと向き合って。思い通りに全然書けないことに七転八倒して。だってそれがわたしのやりたいことにたどり着く唯一の道だから。

小説王…にはならんけど、あのシンプルなキャッチコピーがいいですよねえ。小説が上手くなりたいです。

…というわけで筆名はこのままでいいや。もはやそういう問題ではない。ひとつ前のnoteで書いたことをさっそく撤回してるけど、「褒められたいために活動してるんじゃないはずだ!」と気づけたので、ここに来れたわけですし。

と、突劇金魚さんの公演の始まるのを待ちながらこの日記を書きました。洞窟のような小さな場所で、繰り広げられる演劇。いろいろ耕される。10/31までのロングラン公演なので、よかったらぜひ。おすすめ。大阪の扇町ミュージアムキューブにて。詳細こちら

あと、誕生日前夜にYouTubeライブします。10/13 23時から。よかったら遊びに来てチャットで賑やかしてください。

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