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自分の過去作を見返して楽しむことに罪悪感を覚えるのはなぜなのか

ファイルの整理をしていたら、過去の自分が脚本・出演の朗読劇公演の記録動画が出てきて、ちらりと見始めたら止まらなくなった。いいセリフ書いているなあとか、うまいこと展開しているなあとか、人物造形もなかなかよいぞとか、演技もがんばってるじゃないかとか、ひととおり自分をほめて、さらに他の人のすごさや魅力に改めてほれぼれして、それから一人の観客として物語を楽しんで、満足して見終えた。

公演日は今からちょうど4年前の1月末。コロナが日本でも出現する直前のことで、遠い昔のような気がする。

過去の公演を見返したり、自分の書いた小説や文章を読み返すと、わたしは楽しくて幸せな気持ちになる。楽しくて幸せになるならそれでいいじゃないかと思いつつも、そんなふうに過去の自分を振り返って楽しむことには罪悪感のような敗北感のような情けないような気持ちがつきまとう。してはいけないことなのではないか、とすら感じて、背徳感までセットになる。

成長し続けているのなら、過去作なんて恥ずかしくて粗が見えすぎて、見返したり読み返したりできないものなのかもしれない。それにいくら思い返したところで過去には戻れないのだから、意味のない行為なのかもしれない。時間の無駄かもしれない。どうせ読むなら、自分よりもっとすごい作り手のものを見たり読んだりしたほうがいいのかもしれない。

<そんなことないよ、過去作を振り返ることはとても有意義で表現者としてプラスになることだよ>と誰かに言ってほしくて、ネットで検索してみたら、「過去作が恥ずかしくて読み返せない」という悩み相談ばかり出てきた。ううむ…自分で考えるしかないか…というわけでこの日記を書いている。

今までは過去を振り返るな派だったけど、最近は、過去の記憶を思い返すことは、いいことなのではないかと思うようになってきた。生きているということは連続体であることだから。今の自分は過去の自分の積み重ねなのだけど、覚えていないことは積み重ねられない。編集協力を担当した『思い出せない脳』に書いてあるけれど、わたしたちの無意識の選択はすべて記憶がもとになっている。感情も出来事に対する反応もくせも嗜好も、何もかもが記憶をもとに作られていく。帯には「記憶とは未来を決める『人格』である」と書いてあるのだけど、まさにこれは著者の話を聞きながらわたしが強く感じたことだった。

今わたしは、前ばかり見て生きていて過去を振り返ることは格好悪い情けないことだと思っているせいで、過去の自分=自分自身だとありありと感じることができない。だから過去の自分に嫉妬するし、過去の自分の実績を自分の実績のように思うことに罪悪感を覚えてしまう。あれらをやり遂げたのは間違いなく自分であるという確信がほしい。今のわたしのなかに、あれらをやり遂げた能力がちゃんと備わっているとちゃんと感じたい。

それができないのは、作り上げるときの葛藤や喜びを忘れているからじゃないだろうか。終わってしまうと、創作の苦しかったことは、思い出したくなくて、すぐに忘れてしまう。だから、できあがったものを見たときに、本当にこれは自分が書いたんだろうか、という気持ちになってしまう。それって、とてももったいないことなのではないだろうか。

過去作を見て楽しいことの理由はここにあるのかも。自分が作ったものという気持ちが薄れて無責任な気持ちでいられるからだ。そして、この作品の「次」を考えていないからだ。これが自分の作ったものだと確かに感じられて、しかも「次」も考えなくてはいけないなら、もっと反省点が見つかったりするだろう。

自分の過去作を見て楽しんでいるということは、逆説的に、自分が生み出したものから逃げていることなんじゃないかと思った。これをふまえて「次」を生み出すという責任は負わず、栄光だけ浴びる、都合のよい向き合い方をしている証拠なんじゃないか、と。

次を生み出すという重い重い荷物を常に抱え続けて手放さないでいることが作家であるということだ。荷物というかそれは宝なのだけども。「次」を考えながら過去作に向き合うと、急に、ぎゅんっと心にフックがかかって重苦しいものがぶらさがってくる。

だけど、そうすることで、まごうことなくこれは自分が作ったものだという気持ちに、ようやく、なれた。この作品たちはこれで完成だけども、「次」はもっと、思えて、反省点もたくさん見えてきた。

作家であるという重い荷物を降ろさない間は、自分の作品を心から楽しく見ることはできないのだと思った。完成した直後だけは一瞬降ろして楽しもうと思う。だけど、それは直後だけだ。そうして、もう作家であることをやめたとき、次はもう生み出さないと決めたとき、初めて、自分の過去作を心ゆくまで楽しめるのだと思う。それは書けなくなったときの最後の楽しみだ。

天才のひらめきなんて持っていないのだから、長生きしてさ、たくさん書いてさ、過去をしっかりと積み重ねることでしか、まだ見ぬ先へ届くことはできないんじゃないか。手放してはいけない。連続体であり続けろ。逃げるな。逃げるな。

楽屋のひとこま。2020年1月。姉妹役のふたり。明治初期が舞台のシンデレラ。いつか小説にしたいな。

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