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フリーランスで生きていくために考えていること(しゃべる日記)

ツイッターのスペースで「フリーランスで生きていくために考えていること」というテーマでひとりでしゃべった録音の前半18分をnotttaで文字起こしし、少し修正し、ちょっとだけ文脈を補い、自分で小見出しつけて記事にしてみました。

修正したのはちょっとした漢字間違いくらいで、あまり修正もなかった。nottaが優秀なのか、わたしのしゃべりが優秀なのか。しゃべって録音して記事化できたら、更新のハードルが低くなるなとは思うけれど、でもまとまった中身のある内容をひとりでしゃべるのっていうのは、それはそれで難しい。今回は奇跡的にうまくいった。おしゃれについて喋った回は撃沈した(消した)。

しゃべり言葉なので、じっと見ていると文章を直したくなるけれど、試しにこれで記事になるかどうかやってみようと思います。音声よりも文字で読んだ方がいい人はどうぞ。スペースは1時間しゃべっていて、残りの時間はChatGPTの話や老後のお金の話や出張の話やらしています。

ちなみに小見出しごとにChatGPTに要約してもらうことも試したけれど、ものすごくつまらなくなったので、載せるのはやめました。今回はChatGPT4は活躍していません。

音声で聞きたいひとはこちらをどうぞ。

狙っていない能力がうっかり合体するのが大事なのかも

フリーランスで生きていくために何が必要かっていう話をするわけですが、私は理系ライターに今なってるんだけども、それなぜなれたかっていうと、目指してなったわけじゃなくて、元々小説家になりたいって言って勝手に文章をずっと書き続けていたわけです。

一応ねデビューはしていて、電子書籍とかも含めたら10冊以上長編小説を出しているわけなんですけど、長編小説を1冊書き上げるって結構な力が要るというか、力が最初なくて全然書けなかったんですけど、構成力も必要だし、締め切りに間に合わせる力とか商業的にちゃんと使い物になる文章を書く力とか、相手のニーズに応えるとかも。私の分野はエンタメ小説なので、読者を見ながら、こういう要望に応えてみたいなのに合わせて書く力とか、そういう能力が小説家をやってて培われていたんです。

で、もう一つは、あの大学院が理系だったので。人の精神とかに興味があったので脳科学を専攻してたんですけど、それは単に働きたくないからずっと大学にいただけなんですけれども。その大学院までで、やっぱりプレゼンとか論文の読み方とかデータの処理の仕方とかいろいろ身につけていたことが、何かうっかり合体して理系ライターが生まれたわけですよ。

全然理系ライターという職業も知らなかったし、それがもちろんそれで食べていけるとか少しも想定しなかったんだけど、なんか、思わぬ全然違う二つがくっついたときにすごくいい感じになった。何かこれを将来的にも起こさないといけないんじゃないかって思ったのです。今はいいけども10年後20年後も、同じようにやれるとは限らない。今やってることと全く違うことを、今のうちにやっといて、それが10年後20年後に自分を助けるんじゃないかみたいなことを考えていたりします。

同じことをしていると生き残れない

今は理系ライターの仕事だけでもやっていけるんだけども、10年後とかね、20年後とかそれだけでは多分、生き残れないなっていうふうにすごく思っていて。それは何となく直感みたいな感じなんだけども、今私43歳なので、20年後60歳とか超重鎮みたいな感じになって、そしたら何か「ちょっとライターさん来て」みたいな仕事は呼ばれないような気がしてるのです。「先生」みたいになっちゃったら、使いづらいじゃないですか。

そうすると、仕事がなくなるんじゃないかみたいなことも考えたり。そもそも業界ごとなくなるかもしれない。今は研究内容を文章で紹介する需要があるけれども、20年後とかは、もしかしたらもう、動画でさっさと紹介してそれで終わりとかになったりして。詳しいものを記事にして読むとか、そういうことが自体がなくなる可能性もあるなとか思ったりね。

書くこと以外の道も模索して講師

そういうことも考えて、何か今仕込んでおかなければというか、なるべく違うことをやろうとしていて、その一つが、教えることですね。教えることは好きなので。でも報酬的には割に合わない。理系ライターとか普通のライターとかの仕事に比べたら。大学で教えたとしても、講座を開いたとしても、効率は悪いし、それでは、全然暮らせないような金額なんですけれども。

それでもやっといた方がいいような気がしているのです。今は芸術系の大学の文芸コースに加えて、私立大学の基礎教育というか、文章が苦手な大学生たちにも教えているんですけど。授業が始まっても筆記用具も持ってきてないみたいな、そういう人たちにも、鉛筆を貸して白い紙を渡して、まずは言ってることをメモりなさいみたいな話をしながら、その人たちが大学のレポートがちゃんと書けるようになるまで持っていく、自分の頭で考えて、意見を伝えるってことができるようにどうするか、なんてことを今やっていたりとか。

あと今週の金曜日から始まる講座も、できるだけ敷居が低くして、別に小説家とかライターとかを目指してない人でも文章についてやってみようとか、何か趣味でやってみようかなって思えるような講座を考えたりとか。

そういう講座みたいなのをやって、何につながるのかは、今は全然わからないけど、別のスキルを磨いておいたほうがいいというか、何かそういう予感がしてやっています。

スキルアップのためのブックライティング

あとブックライティングですね。本を1冊、先生の話を聞いて代わりに書くっていう仕事で、すごいめちゃめちゃ大変だし、8万字とか10万字とか書かなきゃいけないし、本がもし重版されて売れなかったら、ライターの仕事よりはよっぽど割が悪いというか、全然お金と労力に見合わないんだけども、何か今、体力のあるうちにやっとかないとなっていうような気がしていて。

本を1冊書き上げるためには、先生の1冊分の知識を私がインプットして調べたりしてやるので、かなり勉強になる。自分の蓄積になるのと、やっぱり1冊書き上げるたびに、技術がアップしていく。あとプロの編集者さんとプロの校閲者さんと仕事ができる機会っていうのが貴重。理系ライターだけやってると、どんどん減っていくんですね。

理系ライターのお仕事のギャラがなぜ高いかっていうと、相手が出版社じゃないから高いんです。出版社はやっぱり相場っていうのがあって、それが理系だろうが文系だろうが、同じように1記事いくらっていうふうに決まってるんですけど。

研究所とか理系の企業が、ライターに依頼するときって、今までは大きな制作会社を通して依頼してたのが、直接個人のホームページや、わたしが所属しているチーム・パスカルのホームページとか、人づてとかで、個人に頼むように最近なってきていて。

そうすると、その間に制作会社が入ってたときって結構な金額を払っていたんだけども、それに比べたら全然安いということで、大体、見積もり出すとすごい喜ばれる感じなんですけども。そういう、とてもありがたいお仕事がたくさんあるんだけども、そればっかりやってると、向こうは編集を専門にやってる人ではないので、文章力っていうのは自分で磨くしかなくなってしまう。

なので、プロの編集者さんと仕事ができるブックライティングっていうのは、将来の自分のスキルのために必要かなと思ってやっています。あと印税もね。著者と印税率を分けるので、あまり期待できないんだけど、もしかして印税とかが入れば、不労所得とかあると、老後に安心かな。そんな感じで宝くじ買ってるみたいなもんなんですけど。

生き残るために効率の良いことをしない

タイトルを回収すると、フリーランスで生きていくために今考えてることっていうのは、目の前の効率の良い仕事をやり続けないことです。効率の良い仕事をやり続けると、とても怖いと思うようになった。

効率がいいので、それだけに特化してしまって他のことができなくなって、もしその仕事のジャンルごとなくなったら、すぐ詰んでしまう。自分の能力にとっても、効率がいいってことは、他の能力が磨かれていないっていうことなわけで。

そうすると、何か将来10年後とかもどんどん今あるものを使っていくだけになってしまって、能力の貯蓄がなくなるなど、そんなことを考えながらいろんなことをしています。そんな感じです。こんなこと考えていました。

以上です!ええい、投稿してしまえ!

…って、そうだ。このトークの後にもいろいろ考えが浮かんだのだけども。人前でしゃべったり、司会したり、MCとして公開インタビューをしたり、「しゃべる」という能力とライターの能力を掛け合わせても、新たな活路が見いだせるかもしれない。

またこういう試みやっていこうと思います。トークだけだと、自分が何をしゃべったのか忘れるので、noteにも記録しつつ。

今日の画像はスピーチする女性でCanvaに生成してもらいました。写真モードだと時々ホラーな人間が生成されるので、レトロアニメモードばかり使ってしまうよ…。

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