月野さんのギターkindle書影_大航海_

小説「月野さんのギター」第3章

 月野さんのギターを初めて聞いたのは、去年の秋だった。


 長い夏休みが明けて、試験が始まり、それが終わると、大学は再び休みとなった。ナナミの大学は私立だからスケジュールが違っていて、俺が休みになったとたん、試験が始まってしまった。することもないし、じゃあ、バイトでもしようかと、俺は重い腰を上げた。夏の暑さがピークに達するまでは、不定期に引越し屋のバイトをしていたが、京都の暑さに耐えきれず休んでいた。もっと楽で、もうかる仕事はないかと探して、家庭教師や塾講師の登録をしたが、いつまでたっても仕事は回ってこなかった。学生の町京都では需要と供給のアンバランスが著しい。教えたい学生はいっぱいいるが、教えられたい生徒はあまりいないのだ。めずらしく登録先から連絡があっても、奈良だとか滋賀だとか大阪の端の方だとか、遠い場所ばかりだった。往復三時間、仕事時間一時間半。そんなことやってる暇があれば、引越しの荷物を運んでいるほうがましだった。


 せめて少しでも労働条件のいい引越し屋を見つけようと、情報誌のページをめくっているうちに、市内の塾が講師を募集しているのを発見して、すぐに応募した。とんとん拍子に採用され、一時間足らずの研修を終えて、俺は塾講師としてバイトをすることが決まった。クーラーの利いた部屋で、筋肉痛と無縁の仕事だ。十月半ばからの出勤になり、勤務地は、京都から電車で乗り継いで片道一時間半かかる、大阪の端にある支店に決まった。


 支店? だまされた。


 大学の授業が午前で終わる木曜日だけという約束で、国語や英語や数学や理科を教えることになった。なんでもありだった。受験がどうというより、むしろ、しつけが必要な中学生ばかりの塾だった。


 初日の授業をなんとか終えて、中学生たちをようやく教室から追い出すと、責任者の講師に戸じまりをまかせて、塾を出た。


 二十二時になっていた。町は、それほど田舎というわけではないのに、住宅ばかりが並んでいるせいか、夜は静かだった。道が分かりやすかったので、商店街を通って帰った。店のシャッターが全部下りていた。人通りもほとんどなかった。制服を着た高校生が、数人でだらだらと歩いていた。ときどき、足早に歩いていくサラリーマンとすれ違った。バイトのために慣れないスーツを着ている俺も、端から見たらサラリーマンに見えただろう。


 ふいに、ギターの音が聞こえてきた。商店街の真ん中、シャッターの前で誰かがアコースティックギターを抱えて弾いている。梅田や四条ではよく見かける光景だったけれど、こんなさみしい場所で弾いているなんて、一体どんな物好きなのだろう。俺は足をゆるめて、店の軒下のスポットライトに照らし出されているギターの持ち主に注目した。


 チューリップを逆さにしたような帽子を深くかぶっている。だぶだぶのコーデュロイパンツを履いて、あぐらをかき、その膝の上にギターをのせていた。ギターの前奏が続いている。それから、歌が始まった。


 耳に飛びこんできたのは、伸びやかな澄んだ歌声だった。小柄な男だと思っていたのに、歌い手は女の子だった。俺はその声にひきつけられて、その場から動けなくなった。


 曲が終わり、彼女は少しだけ帽子を上げて髪の毛を耳にかけた。それから楽譜をめくる。色の白い、整った顔がちらりと見えた。俺は、驚いて、その顔を凝視した。自分の目が信じられなかった。彼女は、同じ大学のクラスメイト、月野さんだった。


 クラスメイトと言っても、俺は月野さんと、まともにしゃべったことはなかった。入学して半年は経つのにだ。向こうは俺の名前も顔も覚えていないだろう。でも、彼女の方は一種の有名人だった。噂になるほどの容姿を持っていたからだ。月野りり子という華やかな名前もまた、彼女にぴったりだった。わざわざほかの学部から、教室をのぞきに来るやつらもいた。上の学年の先輩たちも馬鹿みたいに騒いでいた。


 芸能人でもあるまいし、いや、たとえ芸能人だったとしても、そんなふうに騒ぎ立てるやつらの気がしれなかった。きれいな子だとは思ったけれど、みんなが騒げば騒ぐほど、俺は反発を覚えて、彼女に対して関心をもたないよう努めてきた。ただ、彼女がいつも、ほかの女の子たちとつるんだりせずに一人でいることは気になっていた。にこりともしない整った顔は、近寄りがたい雰囲気をかもしだしていて、ますます彼女を孤独にしているような気がしていた。


 でも、その彼女が、今、俺の目の前で大きな口を開けて歌っている。


 俺は少し離れて、向かい側のシャッターにもたれて立った。聞いているというのが分かる位置。だけど、暗がりになっているので俺の顔は分からないだろう。そのうえ、スーツ姿だ。絶対、誰だかばれない自信があった。


 月野さんが再び顔をあげて、楽譜のページをめくる。別の曲を歌い始める。アコースティックギターは、華奢な月野さんが抱えていると、冗談みたいにでかかった。


 そういえば、月野さんの声を初めて聞いた。優しくて伸びやかで、よく通る澄んだ声だった。


 歌っているのは、オリジナルの曲のようだった。細かい歌詞は聞き取れなかったが、おかえりなさいというフレーズが印象的だった。おかえりなさいだって、なんだそれ。ちょっと笑いそうになったけど、彼女が楽しそうにおかえりなさいと歌うと俺も楽しかった。温かくて、なつかしくて、胸が苦しかった。声が俺の中に直接侵入してくるのが分かった。知ってる子が歌っているからだろうか。歌を聞いて、自分の体の中が変化するような感覚は初めてだった。


 俺は、にやにやしないように、下を向いて耳を澄ました。相変わらず、あたりは人通りもなく、静かだった。キュッという弦が擦れる音と、歌の合間に息を吸いこむ音まで聞こえてきた。俺以外のやつらはみんな、彼女に視線を送ることもしない。せわしなく通り過ぎていく。たまに立ち止まった人がいるかと思えばただの待ち合わせで、目当ての相手が来ると、あっさり去っていった。俺以外、誰も聞いていないのかもしれない。それでも彼女は楽しそうに歌っていた。


 曲が終わると、俺は小さく拍手した。彼女は俺を見て、ぺこりとお辞儀をした。

 
 毎週木曜日、俺はバイト帰りに彼女の歌を聞いて帰るのが日課になった。いまさら俺だと分かってしまうと恥ずかしいので、最初のときと同じように、反対側にもたれて聞いていた。自転車やら塾帰りの中学生やらサラリーマンやらが、俺と彼女の間を何回も通り過ぎていった。ときどき、座りこんで歌を聞こうとするやつもいたけれど、妙な曲ばかり歌っているせいか、すぐに飽きて去っていった。もし、変なやつが近づいてきて彼女に絡んだりしたら、俺が追い払ってやるつもりだった。でも、俺の方こそ変なやつだと思われていたらどうしよう、と、突然思いついて不安になった。客観的に観察したら、どう考えても俺は不審者だった。場所を変えられないか心配になって、しゃべりかけてくる塾の生徒を適当にあしらって早めに行ってみたりもしたけれど、彼女はやっぱり同じ場所にいて歌っていた。そして俺が拍手するたびに、ぺこりとお辞儀を返してくれた。


 いつも彼女が帰る少しだけ前に、その場を去ることにしていた。いつまでもいたら帰りづらいだろうからだ。でも実は、建物の陰に隠れて、後をつけ、彼女が無事電車に乗るまで見届けていた。彼女が駅の改札をくぐったのを確認すると、駅の周りをぶらぶらして、彼女より一本だけ遅い電車で京都に帰る。そうやって家に着いたころには、たいてい零時を過ぎていた。ナナミには木曜日はいつも遅くなると言っておいたから、その日は電話をしないことになっていた。次の日の電話で、塾のバイトも遅くまで大変だね、と労われるたびに、少し胸が痛んだ。でも痛むのは一瞬だけだった。別に俺は、やましいことはしていない。路上で演奏している素人の歌を聞いて、家に帰っているだけだ。


 何度かはバイトのない日もその場所に行ってみたけれど、月野さんはいなかった。どうやら彼女は木曜日だけ来ているようだった。まあ、そりゃそうか。俺と彼女は同じクラスで、ほぼ同じ授業を取っているのだ。ぽっかりと午後からの予定が空く木曜日、俺はバイトに、そして彼女は歌いにこの町にくるのだった。

 バイトの日がやってくるのが、楽しみになった。大学も月野さんの顔を見ることができるから、授業をさぼらなくなった。


 俺は月野さんに近づくためなら何でもした。たいていの場合、彼女は一人でいたから、話しかけるチャンスは、たくさんあった。教室の場所を訊いたり、消しゴムを借りたり、こじつけに近い理由を見つけては話しかけた。最初は驚いたような顔をしていた月野さんは、案外、気軽に話してくれた。


 読んでいる本のタイトルを盗み見て同じものを買って読んだり、朝何時に家を出て、どんなふうに大学へ向かうかも調べ、おはようとあいさつをする絶妙なタイミングですれ違うこともした。彼女が昼休みにときどき行くカフェに先回りして、偶然こんなところで出会った記念に一緒にランチを食べたりもした。授業のノートを貸し借りするために、携帯のアドレスも交換した。


 授業で「たまたま」隣になったときに、本の話をした。本の趣味が似てる人ってなかなか出会えないよ、文学部だっていうのにね。彼女はそう言って、うれしそうに好きな作家の話をした。俺に恋人がいるという気安さからか、よくしゃべってくれた。


 当然、俺は、ほかの男どもの嫉妬の視線を浴びつづけた。だが、それも長くは続かなかった。ほかのやつらもぞろぞろ便乗して、月野さんに話しかけるようになってしまったからだ。そんなときは、俺はきちんと身を引く。やがて、野郎どもを押しのけて、女の子たちが彼女を取り囲む光景のほうが増えてきた。いつも一人でいて、冷たい印象だった月野さんが、クラスメイトのたわいもない冗談に、くすくすと笑っている。その笑顔を見るだけで、うれしかった。離れたところから盗み見ながら、俺は満足だった。


 もちろん、月野さんが、ほかのやつらとしゃべっているのを見ると、嫉妬で胸が騒いだが、歌っている彼女を知っているのは俺だけなのだという優越感が、嫉妬よりも勝っていた。


 月野さんには、ギターの話はしなかった。毎回聞いていたのが俺だと分かれば、気持悪いに決まっている。場所を変えられてしまうかもしれない。もしかしたら、歌いに行くのをやめてしまうかもしれない。そんな事態は、絶対に避けたかった。

 秋も終わりに近づいたころ、俺は電気屋に行って、手のひらに納まる大きさのテープレコーダーを買った。再生も録音もできて、乾電池で動くやつだ。ほかにも電子録音の小さな機器があったけれど、このためだけに買うには値段が高すぎた。さらにカセットテープというものを久しぶりに購入した。プラスチックのちゃちな本体が、妙になつかしかった。テープをセットして、電池を入れる。ためしに自分の声を録音してみようとして、ボタンを押す。カチャンと大きな音がしてテープが回り始める。ええっと、俺は、と言いかけ、恥ずかしくなって停止した。巻き戻して聞いてみる。くぐもった情けない声が、俺は、と言った。確かに俺の声だった。もう一度巻き戻して、録音ボタンを押す。そして無言のまま、テープが回るのを見つめる。俺の声は無音に上書きされる。


 これで月野さんの歌を録音するつもりだった。勝手に録音するのは、後ろめたかったが、話しかけて許可をとる勇気はなかった。俺だとばれるのもいやだったし、たとえ、ばれなくても、見知らぬ男に録音したいなんて言われたら、やっぱり気持悪いだろう。


 月野さんが、いつもどおりギターのセッティングをしているのを確認して、俺は向かい側のシャッターにもたれる。こっそりカバンからレコーダーを取り出して、後ろ手に隠し持つ。機械の音が響かないように、彼女が歌い始めてから録音ボタンを押した。曲が終わったとき、手でレコーダーを持っていたから、あやうく拍手ができないところだった。とっさに、俺は尻をシャッターに押し当てて、尻との間にレコーダーを挟んだ。いつもより数秒遅れてから拍手をした。そして、そのままテープが終わるまで録音しつづけた。


 帰りの電車の中でレコーダーを取り出した。巻き戻す。きゅるきゅるという原始的な音がして、横に立っていた女子高校生が、いったいなんだろうという顔をした。構わずイヤホンを耳に入れて、再生する。音量を調整する。いきなり月野さんの歌声が聞こえてきた。雑音が多かったが、月野さんのギターと声は、俺の耳には何の障害もなく、するすると滑りこんでくる。一曲目が終わったそのとき、ぐしゃりと耳障りなノイズが入って、思わずイヤホンを耳から引っこぬいた。シャッターに押しつけたときの音だった。妙な動きをしたせいで、隣の女子高生は、怪訝な顔でこちらを見て、さりげなく俺から距離を取った。外れたイヤホンから二曲目の歌が、かすかに聞こえていた。

 次こそは、もっとちゃんと録音しよう、そう思ってポケットの付いたカバンを買っていった。だけど、いつもの場所に彼女はいなかった。あやしまれて避けられたのだろうか、それとももう、やめたのだろうか。それだけならいいけれど、彼女に何か悪いことが起きたのだったらどうしよう、と考えてみて、そういや今日昼に授業で見たし、あいさつもしたのだと思い出した。
 俺はそわそわとその辺をうろついて、彼女が座っていた場所に自分も座ってみた。そのまま、地べたに座りこんだ。いったん座ってしまうと、立ち上がる気がしなくなった。地面は氷のように冷たくて、尻から体温を奪っていく。一人で盛り上がっていた気持もあっというまに冷えていった。


 アーケードの屋根のすきま越しに、夜空を見上げた。商店街の光に負けない明るい星が一つ、瞬いていた。座ったまま見上げていると、歩きすぎていく人間は妙にでかかった。一人の若い女が俺を見て顔をそむけると、足を速めて去っていった。硬質なヒールの音が遠ざかっていく。馬鹿みたいに見上げていたので、酔っ払いに見えたのかもしれない。風が吹いて、寒気がした。マフラーをきつく巻きなおした。


 もしかしたら、来る時間を間違えたのだろうか。時間を確認しようとして携帯電話を取り出したが、指がかじかんで、うまくボタンが押せなかった。息を吐くと白かった。ああ、そうか。ようやく俺は気がついた。寒いからだ。これじゃあ、ギターは弾けないだろう。いつの間にか、もう冬が来ていたのだ。


 そうか、と落ちこんだ。が、まあいいかと、俺は立ち上がる。ここで会えなくても、大学で毎日会えるのだから。
 会えるといっても、俺は、月野さんをただ見つめているクラスメイトの一人にすぎなかったけれど。

 クリスマスはナナミが京都にやってきた。二人でクーポン雑誌とにらめっこして、何とか手の出る値段のレストランを見つけて予約をし、ディナーの真似事をした。ナナミは、俺が塾の冬期講習をこなしている間、部屋に泊まって、一人で京都観光を楽しんだり、晩御飯を作って待ってくれていた。それから二人で一緒に地元に帰り、正月は実家でだらだらと過ごした。


 休みが明けた。正月ボケが抜けないまま、久しぶりに月野さんに会えると浮かれた気分で大学に行った。浮かれているのは、ほかのやつらも同じで、教室全体が妙に浮き足立っていた。俺は、いつものように月野さんの位置を目で確認する。彼女は、遅刻をすることも浮かれた様子もなく、教室の端に一人で座り本を広げて読んでいた。


 近くに座るか、離れた場所から眺めるか迷ったすえに、離れて座った。席の後ろでは、男たちが集まって騒いでいた。何を騒いでいるのか知らないが、俺には関係ない。授業が始まる時間だったので、携帯電話の着信音をオフにしていると、背中をつつかれて話しかけられた。振り返ると、普段ろくに話したこともないやつだった。


 そいつは興奮した口調で、
「お前、知ってた? 月野さん彼氏いたんだって」
 と言った。
「へえ」と、俺はとっさに答えた。一瞬、こんなやつにも俺が密かに抱いてる想いがばれていたのかと焦った。でも、そうじゃなかった。そいつがしゃべる相手は誰でもよかったのだ。お互いの目の中にある失望を確認しあいたかった、それだけだった。


「そりゃいるだろ。彼女、美人だし」
 俺は、自分に言い聞かせるように、冷静に言った。
「まあそうだけど。でも、ショックだよなあ。ちなみに相手は年上の社会人だって」
 そいつは、さらに聞いてもない情報まで教えてくれた。
 ふうん、とうなずいて、やつらに背を向ける。男たちは、勝手なことを言って騒ぎつづけている。前の扉から教授が入ってきて準備を始めても、やめる気配がない。


 なぜ、そんな騒ぎになっているのだろう。誰かが告白して玉砕したのかもしれない。休みの間に、彼氏と歩いているところを誰かが目撃したのかもしれない。


 あんなにきれいなんだから、彼氏の一人くらいいるだろう、と、俺はもう一度自分に言い聞かせた。それに、恋人がいるのは、むしろ朗報だ。年上の社会人も上等だ。もし、恋人がいなくて、うっかりクラスの誰かとくっつかれて、目の前でいちゃつかれたらたまらないし、俺だって彼女はいるし、俺は月野さんと仲良くなりたいと思っていたけれど、別にそういう意味でどうこうしようと思っていたわけじゃないからだ。


 でも、その日の夜は、一睡もできなかった。顔も知らない「年上の社会人」が、月野さんと笑いあっている光景を想像しては、ベッドの上で身悶えた。大学以外で月野さんと親しく話したこともないくせに、俺は彼女の恋人に嫉妬をしていた。それは、俺が恋をしてしまっている証拠だった。
 
 大学に行くのがつらくなって、少しずつ授業もさぼるようになってきた。塾のバイトも、月野さんのいない商店街を通るのが苦しかったから、別の道を歩いて帰った。


 これでよかったのだ、と俺は何度も自分に言い聞かせた。俺にだってナナミという恋人がいる。ナナミと、ちゃんとやっていく、いい機会だった。


 でも、ナナミと電話で話していても、気がつけば月野さんのことばかり考えている。もう忘れようと思うのに、毎晩ベッドの上で、録音した月野さんの歌を聞きつづけるのをやめられない。聞いている間は、波立っていた心が少しだけ満たされた。


 月野さんに恋しても、どうしようもないことは分かっていた。でも、頭では分かっていても、体は納得してくれなかった。やがて、ずうずうしくなった俺は、今までどおり大学で月野さんに話しかけるようになった。彼氏がいたって、クラスメイトとしてしゃべったり、笑い合うくらい許されるだろう。でも、近づけば近づくほど、苦しくなった。かといって、遠ざかることもできなかった。
 
 電気を消して、ベッドに寝転がる。目をつむると、ナナミといるときの西山のにやけた顔が浮かんできた。俺も月野さんとしゃべっているときは、あんな顔をしているのだろうか。西山の顔が歪んで、情けない声で、ナナミはお前のことだけが好きだ、と言った。西山にもたれかかってナナミがうれしそうに笑った。そして、好きだよ、真と言った。月野さんが年上の社会人と手をつないで、遠くから冷ややかに俺を眺めている。ばっかじゃねえの、と俺は西山に言ったが、本当は自分に言いたかった。


 テープレコーダーの再生ボタンを押す。質の悪いスピーカーからひび割れた月野さんのギターが流れ出し、いつものように部屋を満たしていった。

(つづく)

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