月野さんのギターkindle書影_大航海_

小説「月野さんのギター」第11章

 携帯メールの着信音で目が覚めた。シオリからのメールで、先に店に着いたから中に入っておくね、とあった。時計を確認する。待ち合わせ時間を過ぎていた。あわてて顔を洗う。ジーンズを履き、適当なシャツをはおると飛び出した。


 三十分の遅刻だった。シオリは雑誌を広げて、カフェのソファー席でのんびりとくつろいでいた。外で見るシオリは、ますます若かった。ゆったりとしたワンピースを重ね着し、じゃらじゃらとアクセサリーをつけ、頭には幅の広いコットンのヘアバンドが巻かれていた。少年のような髪はほとんど隠れてしまって、ずいぶんと印象が違って見えた。


 向かい側のソファーに座る。しゃれたカフェレストランだった。真っ白な壁に大きな窓があった。カラフルな天井照明がいくつもぶらさがっている。店の中は、小さなブースに分かれていて、西洋のアンティーク調のソファーやテーブルが、こぢんまりと配置されていた。ほぼ満席で、客は落ち着いた年代の女性同士が多かった。俺は寝ぐせだらけの頭に手をやる。汗もかいているし、格好も適当すぎる。肩身が狭かったが、シオリはまったく気にしていないようだった。


 俺の分の水を持ってきた店員に、シオリがパスタランチを二つ頼んだ。
「さて、」
 と、シオリは言って微笑んだ。
 いきなり本題かよ。俺は水を飲み干すと、えっと、と咳ばらいをする。こんな場所で話すようなことでもないけれど、と前置きして、俺はすべてをシオリに話し始めた。俺が月野りり子を好きなこと。彼女が両方好きだと言って、俺とも会ってくれていること。でも、シオリの家に泊まったあと、それを正直に言ってしまったら二度と顔を見せるなと激怒されて追い出されたこと。


 いったんしゃべり始めると、俺の口は止まらなくなった。美容室で髪を切ってもらったときと同じだった。シオリの黒い澄んだ瞳が、俺からしゃべることをどんどん引き出していく。


 シオリは、アイスコーヒーのグラスを両手で持って、ストローを噛みながら、黙って話を聞いている。驚いているようだが、なんだか楽しそうだった。二十七歳のシオリから見たら、こんなのはたいしたことのない出来事なのかもしれない。


「あらー」
 全部聞き終わったシオリは、間の抜けた声を出した。
「わたしはてっきり、君が一方的にりり子ちゃんを好きなだけかと思ってた」
「一方的に好きだという可能性を否定できないけどね」
「怒られたんでしょ? すごい剣幕で。それは悪いことをした」
 そうかそうか、とシオリは一人で納得している。悪かった悪かった、と言いながら、空になったグラスの氷をストローでつついて、うなずいている。


 サラダとパスタとパンが一気に運ばれてきた。シュガートマトを使った冷製パスタ。シオリと俺は、黙ってパスタを巻きつけて口に運び続ける。シオリをちらりと盗み見たが、彼女の頭の中で俺の問題が引き続き考察されているのかどうか、分からなかった。おいしい、とシオリは言った。俺の頭だって考えるのをやめていた。おいしい、と俺も応えた。二人はそのまま、黙々とパスタを食べ、そして食べ終わった。


 店員に皿をさげてもらっている間に、俺は気合を入れ直す。本題はこれからだった。俺はシオリに恋の悩みの相談を聞いてもらうつもりで呼び出したわけじゃない。俺はなんとしても向こうの情報を得たかった。シオリはすでにあちらのカップルの友達だし、俺の味方になってくれるとは考えにくかったが、ほかに相談できる相手もいなかった。俺の話したことは北川浩二に筒抜けになるのかもしれなかった。でもそれでいいや、と思った。北川浩二に知れたら月野さんは困るだろう。いっそのこと、俺のことで彼らの間に不和が起こればいいのだ。何が起こったとしても、俺が絶対月野さんをあきらめなければいいし、何としてでも幸せにすればいい。


「あのね、ここからが本題なんだけど。俺は月野さんを独り占めしたい」
「すればいいじゃない」
 ああ、するさ。簡単に言うなよ。むっとしながら続ける。
「でも、月野さんには北川浩二という恋人がいる。別にシオリさんにどうしろって言ってるわけじゃなくて、何か、教えてくれないかな。二人がうまくいってるのかどうか、そんな感じの情報を」
 シオリはにっこりと笑った。いや、にやりと言うべきか。


「うまくいってるのかどうかなんて当人たちにしか分からないわ。いや、当人にも分からないのかもしれない。二人のうち、どちらか一方だけがうまくいってないと思い続けている場合だってあるしね」
 確かに、そのとおりだった。シオリに聞けば何か道が開けると単純に思っていた俺は、がっかりしながら、うなずいた。


「でも客観的な情報を提供しましょうか。カレーのお礼に」
 キャッカンテキなんて言葉、シオリに似合わない。笑いかけたそのとき、シオリが目で合図をした。振り返ると一人の男が立っていた。すらりと背が高い。えりもとが丸く開いた麻のシャツを着ていて、今から店を出るところなのか、やわらかくこなれた革のカバンを肩から掛けていた。


「お、偶然。何してるの?」
 僕はそこでコーヒー飲んでたんだけど、と言いながら、人懐っこい笑顔をシオリと俺にも交互に向ける。シオリの知り合いだろうか。
「恋愛相談。この子は相手のことを本当に好きかどうか分からないんだって」
 俺はシオリをにらみつける。そんなことをぺらぺらとしゃべらなくてもいいじゃないか。さらに、シオリは男を俺に紹介した。


「こちら、北川浩二」
 そして、北川浩二に向かって、こちらはわたしの友達、と俺を紹介した。とても不釣合いな紹介だったが、北川浩二は気にする様子もなく、にこにこと笑って、どうも、と言った。かなり動揺しながら、俺も、どうもと頭を下げた。


 北川浩二は俺を見て、それから親しみの目を向けた。俺はその目に、さらにとまどう。
「でもその悩み分かるなあ。相手のことを本当に好きかどうかなんて、分からないよ」
 瞬間的に頭に血が上った。お前が言うな。まるで月野さんが乗り移ったかのようだった。帰れ、と俺は大きな声で、やつに言いたかった。帰れ、もう二度と顔を見せるな、頬に何かが当たって我にかえった。シオリが人さし指で俺の頬をつついていた。


「こんなところでケンカしないでよ?」
 北川浩二が不思議そうにシオリを見る。意見に同意しているのにケンカなんかするわけないだろう? というように。俺は、ゆっくりと息を吐いた。そのとおりだ、北川浩二。俺たちは同意見なんだからケンカする理由なんて、まったくないじゃないか。


 北川浩二は、シオリといくつか言葉を交わすと去っていった。まるで俺らの邪魔はしないよとでもいうような、あざやかな去り方だった。ああ、違う。今日は土曜日だった。用事があるのだ。ガラス張りの壁から外を見る。降り注ぐ陽光の中、遠ざかっていく北川浩二の背中が見えた。まさにデート日和。そこまで考えて、自分の思考の卑屈さにうんざりした。


「彼はシオリの友達なの?」
「友達じゃないわ」
 と、シオリは言った。きっぱりとした口調に、俺はまたしても動揺する。
「客観的な情報、知りたい?」
 俺は、動揺したままうなずいた


「まず、りり子ちゃんは君と毎日のように部屋で会って、しかも君にも好きと言っている、ということだったよね。一方、」
 イッポウ、と俺は頭の中でくり返す。シオリが使うと、言葉がいちいちうさんくさい。
「北川浩二は週に三回はわたしの部屋に泊まっていく。そして、二人はそのことをお互いに知らない」
 客観的にはうまくいってるとは言えないかも? シオリは首をかしげながら言った。俺は、言葉が出ないまま口を開けて、シオリを見つめた。「かも?」どころの話ではない。


「あのさ、北川浩二ってシオリの何?」
「夫」
 シオリはカバンから革のサイフを取り出すと、中から免許証を引き抜いた。そこには、北川詩織という名が記してあった。
「コーヒーでも飲む?」
 俺は、うなずいた。シオリは店員を呼ぶと、アイスコーヒーを二つ注文した。


 シオリが、それきり黙ったので、俺も黙って、テーブルの上の免許証を見つめていた。免許証の写真のシオリの髪は長く、軽くウェーブがかかっていた。青白い生真面目な顔でこちらをにらんでいる。北川詩織、と、俺はつぶやいた。


 コーヒーがやってきた。シオリは、シロップもミルクも入れないまま、ストローを指でつまんで、音をたてて氷をかき回している。ひとくち飲むと、コーヒーは苦かった。シロップを入れる。今度は入れすぎて、甘ったるくなる。俺も、シオリの真似をして、ぐるぐるとコーヒーをかき回した。シオリの指が止まった。目が合う。シオリは、にっこりと笑って、しゃべりはじめた。


「浩二と付き合い始めたのは、高校一年のときだった。わたしたちは、同じ高校の同級生だったのよ。わたしは、そのときから美容師になるって決めてたの。ほかの人たちが、受験だ進路だ偏差値だって騒いでいる間、わたしはせっせとバイトしていた。将来の資金を貯められて、しかも接客の基本を学べるから一石二鳥だったのね。浩二は普通に受験をして、大阪の大学に合格した。だから、わたしも大阪の専門学校を選んで入学した。二人別々に住んで家賃も家具も二倍いるのはもったいないから、わたしたちは大阪で、一緒に住み始めた。


 浩二が大学二年生のときに、わたしは専門学校を卒業した。大阪では、けっこう有名な美容室に就職できて、アシスタントとして働き始めた。浩二が大学を卒業するころには髪を切らせてもらえるようにもなってた。仕事がすごく楽しい時期だった。でも忙しくて休みがほとんどなかったし、夜は遅くまで帰ってこれなかった。


 大学を卒業した浩二は、わたしに合わせて大阪の会社に就職してくれた。でも、サラリーマンの浩二とは休みも生活時間もまったく違う生活をしていたから、一緒に住んでるのに、お互い寝顔しか見られない状態が続いていた。二人とも疲れてるから、たまにしゃべってもぴりぴりしてて、ケンカばかりするし、どうして一緒に住んでるんだろうって、何度も思った。


 そのときのわたしの頭の中は、仕事のことばっかりだった。ただでさえ、浩二とうまくいってないのに、さらに美容師として独立しようとして焦っていた。働いていた店の方針がどうしても許せなかったの。有名なお店だったんだけど、工場のように次から次へとお客さんを扱うやり方がどうしてもいやだった。美容師って髪を切るだけが仕事じゃないって、何度も抗議したんだけれど、新人の言うことなんか聞いてくれなかった。わたしがやりたいのはこういうことじゃない、と思いつめていた。それで自分で店を出そうと思った。もともとね、いつか自分で店を出すってことは決めてたし、高校のときからずっとアルバイトして貯金しつづけた資金が少しはあった。同棲してたから、生活費も貯金できていた。でも、こんなに早く独立するのは、とっても無謀なことだって分かってはいたんだけどね。


 そのうち、浩二の勤務地が京都になった。ちょうどいい機会だった。わたしは京都に店を出したいって、浩二に話した。ますます忙しくなるのは目に見えてたから、そんなことして大丈夫なわけがない、と反対された。けれど、どうしてもやりたいと、わたしはゆずらなかった。


『じゃあ、店を出してもいいから俺と結婚しよう』
 そんなことを浩二は言い出した。
『このままじゃ、詩織がどんどん俺から離れていく気がして、不安でしょうがないんだ』


 わたしは仕事をいったん辞めた。そして入籍した。式も挙げた。いろいろな人にお祝いしてもらって、京都に新居を構えて家具や食器をそろえて、新婚生活を始めたの。


 最初は、とてもうまくいっていた。浩二の仕事は少し暇になっていたし、わたしも店を出す場所を探したり準備を整えたりしている間は、そんなに忙しくはなかった。結婚して二人の関係が安定した。これでよかったんだと思った。


 でも、いざ店を始めだしたら、そうはいかなくなった。貯金をはたいたけれどマイナスから始まって、借金を返すために必死で働いて、人を雇ったり経営したり、慣れないことをいろいろやって、新婚生活どころじゃなくなった。休みももちろんなかったし、今まで以上に夜中に帰ってくることも多くなった。余裕のないわたしを見て、浩二は、結婚したんだから二人のお金だし使ってくれと言ってくれたのに、わたしはそれを拒みつづけた。浩二からお金をもらうのは、絶対いやだった。自分の力で何とかしなきゃ意味がないと、頑なに思いこんでいた。


 自分も仕事で疲れているのに、浩二が家事を全部引き受けてくれていた。夜中に家に帰ると、浩二は先に寝ていて、テーブルには一人分の晩御飯が置いてあった。わたしはそれを食べて、寝て、浩二が会社に行ったあとに起きて、シャワーを浴びて出勤する。そんな毎日だった。平日は浩二の姿を見る暇がなかった。でも、気がつけば休みの日も、同じになっていた。土日の出勤は、わたしが朝が早かった。浩二は寝ているし、たまに起きていても、わたしのほうに余裕がなくて何も話せなかった。


 そのうちにね、本当にひどいことだと思うんだけど、彼が見えなくなっていったの。物理的によ。夜中に疲れて帰ってきたらテーブルの上にごはんがある。風呂場が濡れている。ベッドが暖かい。どこかで声がしている。でも浩二の姿が見えないの。感じている余裕がなかったのよ。


 いながらにして透明人間にされてしまう、そんな生活耐えられないよね。店がようやく軌道に乗り始めて、やっと思い描いていた形が実現しそうになって、余裕が出てきて家の中を見回したとき、浩二は本当にいなくなっていた。夜遅く帰ってきてもテーブルの上にごはんはなかったし、風呂もベッドも冷たいままだった」


 シオリは言葉を切った。初めて出会ったときの悲しい目で、ぼんやりとカフェを眺めている。その目を見ていると、騒がしかったカフェから人の気配がなくなっていく気がした。シオリは今、広々とした部屋の真ん中に座って、たった一人で夜が明けるのを待っているんだと思った。


「浩二が悪いわけじゃない。わたしが仕事を選んだ結果なんだから、仕方ないんだと自分に言い聞かせた。そして、ますます仕事に没頭していった。
 りり子ちゃんがお店に現れたのは、去年の春のことだった。目の光が強くて、とっても美人なのに、どこかぼんやりとした雰囲気をまとっていて、髪を切るのが楽しみだなと思ったのが第一印象だった。話してみると、彼女は恋人に紹介してもらってここへ来たのだと言った。男性客が少ないお店だったから、一体誰のことだろうと思ってよくよく聞いてみたら、りり子ちゃんにわたしのお店を紹介した『恋人』とは、浩二のことだった。


 りり子ちゃんは浩二の話を本当にうれしそうにしゃべっていた。鏡ごしに見るりり子ちゃんの笑った顔は、とても幸せそうだった。嫉妬するよりも、彼は、こんなにかわいらしい恋人を手に入れたんだと思って、心からほっとした。浩二に悪いことをしたと、わたしはいつも思っていたから。


 それがきっかけで、わたしは浩二と友人として連絡を取り合うようになった。友人といっても、籍はまだ入れたままだった。しかもそのことを、浩二は、りり子ちゃんに言っていなかった。結婚とかそういう話、若い子に言ったら逃げられそうで、なんて笑ってた。わたしはそれを責めて、ちゃんとしようよと言ったけど、いつもなあなあにされてごまかされた」


 いいかげんな男だよね、とシオリは俺に同意を求めた。俺が力をこめてうなずくと、なのにどうしてあんなのを好きになるんだろうなあと、つぶやいた。
「月野さんが?」
「そうね、りり子ちゃんもね」
「も?」
「そう、わたしもね」
 そうか、と俺はうなった。どうしてそんなやつを好きになるのか、俺は真剣に問いただしたい。でも本当は少しだけ分かった。北川浩二は優しい。どちらも傷つけることができなくて、いいかげんなやつになってしまうくらい、優しい。


「わたしが仕事できなくなったのを、浩二に打ち明けたのが悪かったんだけど、それ以来……」
 シオリは言いにくそうに口ごもった。そういう態度のはっきりしないシオリを見るのは初めてだった。
「りり子ちゃんに悪くて何度もやめようって言ったんだけど。もう気づいてるよね、きっと。この間もお店に来てくれなかったし。電話もしてくれないし。今まではプライベートでも、けっこうしゃべってたのに。シオリさんって呼んでくれて慕ってくれてたのにね。もちろん、わたしが全部悪いんだけど」


 シオリは叱られた小さな子供のように、うなだれていた。そのまま消えてなくなってしまいそうなほど、はかなかった。シオリが全部悪いわけではない。でも、月野さんのことを思うと胸が痛んだ。
「で、どうするんだろう。北川浩二は」
 シオリは、視線を揺らしてテーブルに落とした。
「もう一度やり直そうって」
「じゃあ、月野さんはどうなるの?」
 シオリは俺の質問に答えず、うつむいて黙った。


 俺は、月野さんがうれしそうに北川浩二と電話で話しているのを毎日のように聞いてきたのだ。あの少しだけトーンが上がって、幸せでたまらない様子の声の調子を。それなのに、こんなことってあまりに残酷じゃないか。でも、その次に浮かんできたのは、夜中にトイレに向かって吐き続けているシオリの姿だった。それから、妻から存在を無視されているにもかかわらず、毎日二人分の食事を作り、一人で夕飯を食べて冷たいベッドで眠る北川浩二の姿だった。


「そんなのあまりにひどいよ」
 そうね、とシオリは沈痛な面持ちで、つぶやいた。違う、俺は、シオリを責めているのじゃない。月野さんのことだけを言ってるのではなかった。もっと、どう説明していいのか分からないけれど、何だかいろいろなことがどうしようもなかった。


 いいことを思いついたというように、シオリはにっこりと笑った。
「いっそね、わたしがいなくなれば全部解決するでしょ」
 シオリは本気で言っている。もう、どうしたらいいんだろう。動揺する気持を抑えて、俺も笑って応える。
「それはダメ。シオリさんがいなくなったら、俺が月野さんとつきあうチャンスが減る」
 なるほど、とシオリは、うなずいた。


「だからシオリさんは頑張って、北川浩二とよりを戻してよ」
「そうね、そうしよっか。それで専業主婦でもしよっか。子供とか産んでさ」
「もしよりを戻すのに失敗したら、俺とつきあおうよ」
「あ、それいいね」
 そうしようそうしよう、と、俺たちは笑いあった。でも二人とも、そうしようなんて、まったく思っていなかった。シオリは仕事を忘れて専業主婦にはなれないし、月野さんにそんな事実を突きつけるなんて、俺には耐えられない。シオリは北川浩二を好きだし、俺は月野さんを好きだから、シオリと俺がつきあうなんてできっこない。


「どうしようかな、本当に」
 シオリが泣き笑いの顔で言った。
 なんとかなるよー、なんとかなるよー、と俺は歌った。
「何それ?」
 シオリがふきだした。
「月野さんの作った歌」
 変な歌、と言ってシオリはくすくす笑った。俺も笑った。


「シオリはさ、美容師絶対やめないんでしょ」
 シオリがにやりと笑った。
「ばれた?」
「俺も月野さん、あきらめないよ」
 うん、とシオリがうなずいた。あきらめたら終わりだ。まだまだ、と俺は自分に気合を入れる。若いっていいよね、と、シオリが適当な合いの手を入れる。自分だって若いくせに。まだまだだって。そうね、まだまだだよね。人生長いもんね。

(つづく)

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