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コロナワクチンを打つか打たないか、難しい選択だったーその③

私は医師として働きながら、コロナワクチンは打たない選択をしました。もちろん同僚の医師から勧められはしましたが、きちんとお話しして、嫌な雰囲気になることなく打たない選択を周りも尊重してくれました。

本ブログでは私の選択の一部始終をお伝えしようと思います。3回に分けて詳細を残しておきます。
これが最終回です。

前の内容をご覧になっていない方は、まずはその①、その②の内容からご覧下さい。

ワクチンを打たない選択をした結果どうだったか

入職後暫くして、部長や同僚の先生から優しく接種を勧められました。「強制にはなっていませんが」という前置きもちゃんと加えてくだって配慮も感じました。わたしも、先生方が推奨されることも十分理解しておりましたし、唯一の正解はないと思っていましたので、その配慮に感謝しつつ、「自分なりに色々とメリットデメリットを計算した上で、今のところ接種は控えています。」とお伝えしました。

それ以降接種するしないという事が話題になったり問題となったりすることはありませんでした。

コロナに感染する。。

では実際にコロナ感染はどうだったかですが、2022年7月に家族で1回感染しました。インフルエンザにかかったような感覚でした。数日で改善し、自宅待機が10日間ありましたので、十分休養出来ました。体調が戻っても出勤が出来なかったので、長めの夏休みのような感じで家族で沢山映画を見たりして過ごしました。

コロナは東洋医学的に脾胃失調(胃腸機能の低下)が起こることは中国の中医学の専門家の見解で知っており、無理して食事を取ろうとすると、かえって拗らせて、それが一つLong  Covidに繋がる要因だと自分は考えていたので、日々舌の所見を見ながら、消化に負担がかかっていないか確認しながら、食欲に合わせて日々に食事内容と食事量を調整していました。

家族全員問題なく回復して、重症化やコロナ後遺症になる事もなく、日常生活を取り戻しました。

ワクチンを接種していた同僚の先生方や他の病院の先生方も普通に感染しており、私がワクチンを打ってなかったから感染したのか、打っていても感染していたのかは分かりません。

ワクチン接種をしない選択をして、今はどう感じているか

ワクチン接種をしない選択をしましたが、それが正解だったかどうかは、正直言ってまだ分かりません。しかし、自分の選択は自分の選択であり、良い選択だったと思っています。

今後長期的な影響についても色々と挙げられていますし、わたしの父(接種を勧めなかったのですが自分の判断で接種することを選択しました)もワクチン接種後に帯状疱疹になったり、親戚や従兄弟もワクチン接種を行ったあとで、自己免疫性の病気を発症しています。それがワクチンとどう関連するか、関連しないかは分かりませんが、関連があったとしても少なくとも因果関係を証明することは極めて困難です。

わたしが当初から懸念しているスパイクタンパクの影響についても結論は出ていませんが、比較的長く体内にとどまり蓄積していると言う報告も出ています。

しかし、ワクチンを打ったからこそコロナ感染や発症を防げたり重症化予防に役に立った方が多数いる事もそうだと思います。一方でワクチンを打ったことによって家族を突然死で亡くした方もいます。

そう言う意味では、唯一の正解はないと言うことが言えると思います。このコロナという時代の大きな節目の中で、ワクチンを打つか打たないかという事が全ての人に迫られ、それに一人一人が向き合うことになりました。

人生全ては選択の積み重ねとは思いますが、今私たちが生きているこの時代は、わたしたちの思考や感情を揺さぶって、わたしたちの価値観を大きく変化させているように感じています。

人生は答えのない問題を常に突きつけられている

ワクチンを打つか打たないかと言うのは、世界中で大きな議論を巻き起こしました。単純にエビデンスとして論文にあるような内容だけで、功利主義的な視点だけを考えれば接種を推奨するという政府の方針はそうならざるを得なかっただろうなと思います。

しかし、個人の問題となると、これは功利主義的に単純に答えを出せる問題ではないと思います。単純にエビデンスがあるから合理的にこうだと主張するのは、本気で生きていない証拠なのではないかと感じてしまいます。

わたしのイメージの中では、ワクチンを打つか打たないかは、車の運転において事故による身体障害や事故死を防ぐために、運転手がさらにヘルメットや障壁に強いボディースーツを着て運転するようなものだと思っています。多くの人が一度は軽い接触事故など生涯の中で経験するのではないかと思いますし、交通事故死も依然として多いです。その装備を着けることで、ある程度は事故による障害や事故死をより防げるかもしれませんが、そのヘルメットやボディースーツの中にごく稀にトゲや爆弾が潜んでて、装着した直後にひどい痛みや最悪死んでしまうリスクを伴うことがあると言うような設定と似ているのではないかと感じています。

生成AIで作成したわたしのコロナワクチンのイメージ


本気で生きるとは、トロッコ問題に簡単に答えを出さないこと

トロッコ問題とは、下記のような問題です。

制御不能となったトロッコ(電車)が進んでいます。
このままだとトロッコの先にいる5人の人が轢かれて死んでしまいますが、あなたはレバーを使いトロッコのレールを切り替えることができます。しかし、レールを切り替えると5人は死なずにすみますが、代わりに1人の人が轢かれて死んでしまいます。

あなたはレールを切り替えますか?切り替えませんか?

トロッコ問題(トローリー問題とも言う)

この地球で生きるとは、常にこのような問題を突きつけられているようなものだと思います。

「5人と1人なら、1人でしょ」と即答する人もいます。「正解は何ですか?」とか、「哲学者ならどう答えますか?」と聞く人もいます。

いずれにしても、そうやって安易に答えを求める姿勢は、本気で生きていない証拠です。このような問題は単純に答えられる問題ではないのです。

人生とは常に渦中です。渦中にいるとは、本気で生きることです。本気で生きなくてどうするのですか?と思います。

もはやワクチンの評価が出来なくなった今

2022年9月以降、厚労省はワクチン接種歴別の新規陽性者数を公表しなくなりました。厚労省は、2022年4月上旬まで接種日未記載または接種歴不明者を未接種者に入れてカウントしていたことが明らかになって、データの改ざんではないかと大きな問題となりました。

2022年4月上旬以降から8月までカウントの仕方を修正してみると、年代によっては10万人あたりの新規陽性者数はワクチン未接種の方が接種2回や3回済みの陽性者数より低い年代があり、ワクチンを打っていない方が感染が少なかったということが現実のデータで示されていました。

そんな中、ワクチン接種歴別の新規陽性者数を9月以降公表しなくなり、もはや日本はワクチンの効果を客観的に評価する手段を大きく失いました。

それ以降も、ワクチン接種を国は推奨し、小児の接種までも行っていますが、何を根拠に国民は接種の判断をすれば良いのか、かなり難しくなったと思います。国民が論文を読んだりするわけではないでしょうから、メディアや国、周りの人からの情報の雰囲気だけで決めざるを得ない状況にあるのではないかと思います。

SNSでは意見が大きく分かれて、冷静な議論を失い、感情に任せたやり取りが今も続いています。唯一の正解はない中で、主義主張が違うだけで、お互いがお互いを批判し合っています。

その感情に任せた状況では、それぞれ全く違う立場をとっている人同士が理解し合って、和合するのは難しくなってきていると感じています。

それも含めて時代の流れと感じていますが、わたしは打つか打たないかというのは、今でも非常に難しい問題だったと感じています。(1回目を今から打つことはできないので、過去形にしてしまいますが。。)

しかし、渦中にいる自分自身がこの時代に向き合って、それぞれが自分なりに答えを出していかざるを得なかったことは間違いないことだと感じています。

このワクチンを打つか打たないか問題というのは、とてもこの時代を反映していると思います。こうした日々の選択の中で、わたしたち1人1人が自分自身と向き合い、本気で今を生きるということを突き付けられているのではないかと感じています。

かなり長編となってしまいましたが、一個人の経験と思考の歩みを包み隠さず記録しておきました。

最後までお読みくださいまして、誠にありがとうございます。

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