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Chapter.0 少女と少女


それは目標と呼ぶにはあまりにも距離がありすぎて、
話せば聞いた人々が皆、嘲笑する

誰かが言っていた
どんな目標も実現するまでは不可能に見えるものだから、
責任のない人の言葉に意味などないと

それでも私は私に迷う
いつだって自分を信じていられるような、
天下無双の強さなんてもの
私、持ち合わせていない

私だけじゃない
きっとみんなそうなんじゃない?

だから人は誰かと夢をみるのかもしれない
人の夢に自分がみた夢の欠片を重ねて、
あるいは共に夢の中を駆け抜けて

ーー私は、いつか私がみた夢の中にいる

世界は夢に溢れている

ただの一度も口にされることなく、
消えてゆく夢に溢れている
言葉では形容し得ない努力の果てに、
無常に零れ落ちる儚さに溢れている

だから夢を追うものには責任がある
少しでもその夢に届くように
だから夢を駆けるものには飛び続ける責任がある
少しでも長くその夢の中で羽ばたき続けられるように

どんな努力の過程も、
どれだけ沢山の栄光を掴んだとしても

夢の終わりは一瞬

だから、足掻くんだ

終わってなんかない、ここはゴールなんかじゃない
私はまだ夢の中にいる、私はまだ手を伸ばしてる
だから、足掻くんだ

昨日までの栄光なんてただの過去、
明日どうなるかなんて明日にならなきゃわからない

だから今日は今日のことを今日のためだけに
今を全力で駆け抜けたんだって、私はただそう胸を張りたいんだ

そして、そのまま一直線にキミの腕に飛び込んで……
だから、ほら――

あと少しの刹那でいい

瞬間だけでいい

――届け――!


* * * *



――その冬の1日は、少女と少女のはじまりになった。

ーー少女は雑踏の中にいた。彼女の目の前に広がっているのはこれまでに見た事がないほどの人の波。無限に続くようにも感じられるその人の流れは、規則正しく流れているのではなく、ある程度周囲の空気に合わせるようにして自然と流れができているだけの不安定なうねりであった。時折流れに逆らって進む数人が現れては小刻みに停止、進行を繰り返す雑踏がそれだ。

いくら私がクラスでは後ろの方の身長だとしても所詮は小学生。その背丈ではどうしたって目の前の視界はひらけず、足と足の隙間を縫うようにしてなんとかその先を見極める。一瞬でも気を抜けば人の波に流されそうになる中、それでも気を抜く事なく少しずつ前へ前へと進んでいった。

「――大丈夫?」

そんな中で、私の少し先を行く親友は振り返ると私に声をかけた。こちらへと振り返る動作に合わせて、左右の三つ編みがふわりと揺れる。彼女の眼鏡に会場を照らす光の粒が弾かれて輝き、そのため彼女の表情までは見てとれない。だが、彼女が私を心配してくれている事は声のトーンからも伝わってきた。
「うん、大丈夫だよ。ごめんね」
私が答えると彼女は安心した、といった様子で笑みを浮かべる。
「通路は人は多いけどさ、席はちゃんと1人1人指定席だから。試合ももう始まっちゃってるし、とにかくそこまで急いで行こう!」
そう言うと彼女は再び人ごみの中を進み始める。
私も彼女の後姿を視界から外さないようになんとかその背中を追いかける。寒さが頬をほんのり紅色に染める年末、太陽は早々に地平線の向こうへと消えていた。
こんなにも遅い時間に友達と2人だけで外出しているのは初めてだ。なんとなく悪い事をしている自覚もあって、だけど私の知らない世界の扉に手をかけている、そんな感覚が胸の鼓動をより一層強めていく。会場内、私たちが進む通路の先では様々な声が飛び交っているのがわかる。

――歓声、いや罵声だろうか。

しかしまだその中心点からは距離があって、わずかに届いてくるそれらの歓声は、すぐに左右から響いてくる客寄せらしき声に掻き消されていった。値段を示しているのだろう数字や、聞くだけでもお腹が空きそうな美味な単語が次々と聞こえてくる。とにかく様々なショップがサイドに並ぶコンコースと呼ばれる広い通路を進んでいく。多くの人が行き交う事を想定して作られた広い道幅の通路ではあるのだが、ショップに並ぶ列などが双方の進路を狭めてしまっていて、それらが渋滞をつくりだす要因の一つとなっている。もちろん誰もかれもがルールを守っていない、などという無法地帯が原因でごった返しているわけではない。周りを見てもそこにいる人たちのマナーが極端に悪いという風でもなく、あくまでもこの会場に入場許容範囲ギリギリの人が集まっているのが最大の理由であった。

――こんな風に前に進めないほどの混在が生じるのは年に数回もないのだと、後日教えてもらった。

ようやくショップが並ぶエリアを抜けて、周囲を気にせず普通に歩けるくらいの人の密度となった。観戦エリアに近づいているのだろう、皆チケットと会場の壁や通路の上に掲示されている座席記号を見ながら進む。コンコースと観戦エリアを区切るように設置された柵の向こうに、観客席となっている傾斜のエリアが見えてきた。柵に手をかけてその先の景色を見下ろすように眺めると、想像以上に鋭角な下り斜面に沢山の椅子が張り付いている景色が見えた。その景観を目の前に今居るコンコースが意外に高い場所にあった事に気が付く。
「こっちだよ」
おさげの少女の声がしてその出所を探す。ちょうど観客席全体の中腹辺り、階段状になっている通路に、こちらへ向けて大きく手を振っている少女の姿を見つけた。その近くに私たちの指定席があるのだろう、私も急いでその場へと階段を下りていく。野球やサッカーといったスポーツの試合が行われる競技場・スタジアムをイメージすれば大体この景色と一致する、そんな場所ではあった。

それもそのはず、ここも「スタジアム」の名を冠する施設なのだ。
だがスタジアムというカテゴリであっても、サッカーや野球といった球技が行われているワケではなく、無論トラック種目など陸上競技が開催されるワケでもない。
――ここは他の競技と比べればその歴史は浅く、だが各地に競技場が指定されるほどの人気を誇る競技〈スポーツ〉を行うための「専用スタジアム」
皆の視線の先で、そして観客席のポイントポイントに数多く設置されているモニタースクリーンにその競技がまさに展開されていた。グランドレベルからはかなり高い位置にある観客席、競技エリアをグルリと大体270度程度囲うようにして建設されたその観客席から試合を観戦する。その席から観客達は中央のグランドエリアを見下ろしてみているのか、と思いそうだが、実際は逆で肉眼で試合を追う多くの感覚は自分たちの頭の上を見上げるように視線を宵闇の方へと向けている。肉眼ではせいぜい人の形をしたシルエットが確認できる程度。状況を理解するためには実況のモニターで何が起こっているかを確認するしかない。そのモニターの方を見ると様々な角度・エリアの様子が画面を分割するようにして表示されていた。
観客達が見上げている先にいたのは、空を舞う少女達。いや、空を舞うという表現では少し生ぬるい。彼女たちは様々な武器を手に、宵闇の中を翔け巡る。シアン系の光の粒が彼女たちの足元で煌めいて夜に青白い軌跡を描いていた。翼をもたない人間が、なぜこんなにも自由に空を飛ぶ事が出来るのか。その姿は1世紀ほどさかのぼればSFかVFX映画の世界と思う人もいるのではないだろうか。

――スピーカーから流れる実況が一層大きくなった。

〈さぁ最強の称号を目指した学生達のバトルトーナメント、第16回エアリアルソニック学生全国大会・ヴィーナスエースの行方がまもなく決しようとしています。決勝も大詰め、佳境を迎えています。決勝戦はタイムアップなし、完全決着となっています〉

空を舞う少女達の飛行舞踏劇(エアロサバイバルゲーム)・それがエアリアルソニック。ライダーとも呼ばれる女子校生たちの少女らしい可憐さからはおおよそ不釣り合いな銃火器を用いて射撃・格闘戦を行う。
ルールは簡単、相手を飛行不能(リタイア)させたら勝利、それがこの空中ハイスピードバトルロワイヤル。その光景は幾度となくメディアを通じて目にはした事があった。高額な賞金が飛び交うプロリーグも存在するし、雑誌やスポーツニュースのトップを彼女たちライダーが飾る事もしばしばある。
だが、実際に目の前で繰り広げられるそれは、これまでメディアを通じて感じていものとは全く別の競技のように感じられた。

刹那、空が熱を帯びる。撃鉄が起こり、次の瞬間には炸裂音。

雷鳴と爆風と。甲高い電磁兵器の発射音が閃光と同時に観客席にいる私の体をも貫いた。発せられた激しい閃光にモニターが一瞬白飛びし、回復した次の瞬間には対峙するライダーの姿がモニター上から消えている。彼女たちの一挙手一投足に呼応するように周囲から歓声が上がる、圧倒されていた。
私の隣にいたおさげの少女がその間、私のために色々と解説らしい話をしてくれていた事は記憶している。だけどどんな内容を話してくれていたのか、それらについては一切記憶がない。目の前の光景に呑まれていた私の耳に、彼女の言葉は届いていなかったのだと思う。
〈さぁ鬼怒川高校と熊野第一、両チームとも1人ずつ行動不能となっていて、残るライダーは4VS4。一進一退の攻防ですが、鬼怒川の狙撃手・鷹野選手の牽制が効いていて熊野のライダーがなかなか前に出れない様子ですが解説のメグミさん〉
〈そうですね、彼女の狙撃の精度は非常に高く、迂闊な行動をとれば即リタイアに追い込まれる可能性が高いので、熊野第一のライダーは慎重にならざるを得ません〉
戦場を駆る8人の少女と、周囲には浮遊する岩や三角柱、円柱など様々な形状の白色人工物。障害物として無作為に浮遊するそれらをお互いに障壁としながら、牽制と攻撃を繰り返す。両チームとも攻撃の頻度が下がっている。先ほどの近接攻防戦で決定打を撃てなかった事から、次の一手を探っているのだろう。障害物を利用した両チームの鬩ぎ合いがややこう着状態になっている。
そう誰もが感じ始めた、その一瞬――純白のリボンが大きく揺れた。何の前触れもなくそれまで盾にしていたのであろう浮遊物体の陰から鬼怒川の選手の1人飛び出す。
〈ここで鬼怒川のエース、金剛あかね選手が動いた! 一気に加速していきます〉
動いた、だが浮上したわけではなく、敵陣へ向けて水平移動を開始したわけでもなく、金剛と呼ばれた彼女はその物影から一気に地面へ向けて降下を始めた。自由落下などではない、明らかに全速力で真下へ向けて突き進む。遮蔽物のない所に相手選手が飛び出した事で、敵チームの砲撃が一気にその影へと向けられる。炸裂音、風切音、大きな音を立てて光が飛び出した先週めがけて降り注ぐ。
だが当たらない、途中途中に浮遊している遮蔽物の裏を通過するなど上手く利用している事もあるが、それにしても敵は彼女が通過した残り香を砲撃しているようにしかみえない。
彼女の影だけを延々撃ち抜いているかのように、熊野第一の攻撃は降下するライダーを捉える事ができず――
突如、空気を切り裂くような鋭い炸裂音が、下に流れていた観客達の意識を上空へと引き戻した。一閃、攻め手であったはずの熊野第一のライダーが、逆に鬼怒川の狙撃手に撃ち抜かれる。
視線を上空に戻した時には、すでに煙をあげて降下していく人影がそこにあった。降下してくるその影はしかし自由落下よりも明らかに緩やかな下降。パラシュートもない状態での不自然なその落下速度は何らかの上昇エネルギーが働いている事を物語っていた。
〈ここで、熊野第一の青野選手が戦闘不能! エース金剛選手を狙うために障壁から顔を出した一瞬の隙を鬼怒川の狙撃手・鷹野選手見逃しませんでした、見事な狙撃。一撃でリタイアさせるとは!〉
〈はい、見事なヘッドショットでしたね。エースをおとりにして、あえて隙をみせての狙撃というリスクをとった連携作戦、これで鬼怒川が数的有利となりましたね、ここで鬼怒川は一気に勝負をかけるんじゃないでしょうか?〉
解説がいい終わると同時か、その言葉通り鬼怒川のライダーが一気に攻勢に出た。狙撃手と下降したエースの陰で、それまで遮蔽物に身を隠していた2人が一気に前に飛び出す。もちろん遮蔽物を利用しながら、ハンドガンタイプだろうか、銃撃と共に敵が身をひそめるエリアへと距離を詰める。熊野第一も近づけまいと銃撃による牽制を試みるが、同時に先ほど仲間を沈めた狙撃に阻まれてなかなか身動きがとれていない。
推しているのは数的優位にも立っている鬼怒川で間違いない状況だった。とはいえ飛び出した鬼怒川サイドも前に出るリスクを伴っている。あっという間に乱戦となった、閃光と爆炎に包まれて――大きな衝撃音と共に、2機が崩れ落ちる。
〈おっと! ここで鬼怒川の浅木選手と……熊野第一の山田選手が煙に包まれながら降下、これは再起不能か!?〉
〈これは近接での相打ちでしょうかね、スローで見てみたいところですが〉
最前線の状況とその動向にモニターと実況の注意が引きつけられている。
だけど観客の一部、そして私は最前線ではなく、そこから大きく外れた1人の少女の姿から目が離せないでいた。
上空から一気に下降してきたポニーテールの彼女はなぜか減速する様子がない。
そのままでは全速力で地面へと激突してしまいそうな勢いなのだ、その事に気が付いた観客の一部がざわつき始めていた。如何にフィールド装置が優れているとしても、もし全力で地面へと落下したらそれはもう大けがでは済まない事態に違いない。その最悪の結末が容易に予想できる所まで迫ってきていた所で、私もその未来に震えて目を逸らしかけた。
――だが、その未来が目前に迫った所で、それまで頭から地面へ向かっていた彼女は前宙をするように下半身を頭の方に引き抜いて足を振り下ろすと、スタジアム上空の比較的低い所に浮遊していた岩状の障害物へと着地する。
着地、といってもその勢いはもはや激突と同義である。

着地の動作から遅れて、凄まじい爆裂音が会場中に広がった。

彼女と着地と共に岩が一気に地面へ向けて勢いのままスタジアムの底へとまとめて降下してくる。それはまるでトランポリンが沈みこむように岩自身が上空へと戻ろうとする上昇力と彼女の落下のエネルギーが相殺され、徐々にその勢いを殺していく。あれだけあった勢いは徐々に減衰していき、ちょうど私の視線――スタジアム観客席の水平あたりに来たところで岩が制止した。

地面へと激突するギリギリの位置だと言って差し支えないだろう。わずか数秒前に予感した未来と、目の前の現実のズレに一瞬頭が真っ白になる。観客も呆気にとられていたのだろう、スタジアム中央に落下してきたそれを目の前に、それまでの歓声が静寂へと変わった。
時間が止まったようなその一瞬、私は岩に着地している女の子の姿を見た。ポニーテールとそれを作る白いリボンがまるで海中を泳いでいるかのように重力に逆らって宙を泳ぐ。彼女は凛とした表情で、遥か真上の夜空へまっすぐその視線を向けていた。
周囲の様子なんてまるで気にも留めていない。
そして、いつの間に手にしていたのか、おそらく彼女の身長よりも長さのある細身の大太刀が煌めく。

――次の瞬間には視界から消える。

その浮遊岩礁が元の高度に戻ろうとする力によって一気に上空へと跳ね上がったのだ。一瞬遅れて観客達は同時に上空へと視線を向ける。皆がロケットの打ち上げでも眺めているような。浮上加速度は想像を遥かに超えていた。そうして浮遊岩が元の位置か、それよりも上空へ到達したところで、小さな光がさらに上空へと駆け上がる。岩から蹴りだすようにして、少女が夜空へと飛び出した青白い光の線が主戦場へと一瞬で迫り……

――勝負はその直後に決した。

前線に気をとられていた熊野第一の面々は、足元からの一撃に呑みこまれた。上空へと突き抜けた閃光の直後に、煙をあげて2機すべてがその高度を保つ事ができず、地面へと沈んでいく。あまりに一瞬の出来事に、まだ何が起こったのか整理ができていない。

それから少しして、地響きが沸き起こるかのように観客席が轟く。

〈え、エースが決めたああああああああああああああ! 見事に一閃! 真下から想像を超えるスピードで跳ね上がった金剛選手がその一撃で試合を決めました! 前線から遠く離れた位置からの信じられないカウンター、これぞヴィーナスの一撃!〉

スピーカーから割れるような叫び声が響いたのも決着からワンテンポ遅れての事だった。範囲外から飛び込んできた影を整理するために、会場で見守っていた誰もがいくらかの時間を必要としていた。
〈いや、先ほどの下降はおとりかと思ったんですが、本命はステージ最下層という死角からの奇襲だったわけですね。見事な攻撃でした〉
〈そうですね。今の一撃は予想していませんでした。さぁ今年のラストを飾る若き女神たちの祭典・冬のヴィーナスエース、その栄冠は鬼怒川高校・スカイライド部に決まりました!〉
解説者の声がスピーカーから会場内に響く。
だけど果たしてそれがその場にいた観客の耳に届いていたかと言われたら、おそらく届いていなかった。勝利を決めた鬼怒川のチーム、撃破された2人を除く3人が私たち観客席の高さまで降りてきていた。私たちの目の前で手を振る優勝チームに対して、歓声と賞賛の拍手が鳴りやむ気配がない。
――観客席を大きく360度ぐるりと旋回しながら彼女たちはその声援に手を振り続ける。

「あかねさーん!」
隣に座っていたはずの友達はいつの間にか立ちあがって、おさげ髪を振り乱しながら上空へ向けて大きく手を振っている。そういえば私もいつの間に立ちあがっていたんだろう。友達の姿に我にかえると両手をぐっと握りしめて、上空の――白いリボンの彼女を見つめていた。
大きく笑う――無垢で可愛らしい、宝石のような輝きがそこにはあった。照明やカメラのフラッシュに包まれながら、夜空を舞うその少女の輝きに心を奪われていた。

不意に、空を舞う少女は少し上空へと高度をあげると左手でリボンを外す。左手を前に差し出すと、リボンはするりと指先から滑り落ちるようにして宙に舞った。
わぁぁぁっ、と歓声が大きくなる。
総立ちとなっている人々が、空に舞うそのリボンの行方を追う。上空に舞う風に流されて純白のそれは大きく流れる。落下地点だと思われる箇所に立つ人々が色めき立つも、あまりにも不規則に押しだす風に一刻一刻予測地点が変わる。宵闇を流れる白いリボンの行方。
「こっちこっち!」
友達も私の隣の席でピョンピョンと跳ねる。
しかしリボンの位置と私たちの席にはかなりの距離があって、どう考えても手に届きそうにない。

――瞬きをした。

次の瞬間、大きく横殴りに吹いた風に押し出されたリボンが私たちの頭上にあった。

――えっ?

「きゃああああ来てるよ! こっち! えい! うわぁ!」

にわかに色めき立つ周囲、友達は座席の上に立って距離を稼ぐ。大人達も必死にその手を伸ばしていた。私も、無意識に夜空へと手を伸ばす。揺らめく白を目で追いながら――頭上、それまで風に流されていたリボンがストンと空から滑り落ちた。

――手に柔らかな感触を覚える。

だがあまりにも軽い感覚に、手にしている事を実感出来ない。先ほどまで宙を泳いでいた白いリボンは私の手に収まっていた。

あれ?

わぁっ、と周囲から拍手が起こった。
「ああ! ウソすごい! やったじゃん、いいな~!」
左耳から友達の飛び跳ねるような声がして、我に帰る。
「えっ、あっ……あれ?」
目と鼻の先で恨めしそうにリボンを見ている友達を目にして、私は慌ててそれを差し出す。
――私よりも友達の方が好きなはずだし、何より今日ここに来れたのは彼女が誘ってくれたからだし。
だけど、差し出した私の手を胸元に押し返す様にして友達は笑う。
「アハハ、いいよいいよ。せっかくアンタがキャッチしたんだから。二度とないよこんな事。今日の思い出にさ、持ってて」
行き場を無くした私は、迷いながらも手に持ったリボンを胸のところでギュッと握りしめる。
そうしてスタジアム中央、その上空にいるリボンの主の方へと視線を向けた。

――上空の彼女と目があった。


ドクン、と体の奥で大きな音が響く。
リボンを受け取った私に向けて、彼女は小さく手を振って微笑んだ。


――私は、私の未来を見つけた。

「……ねぇ」
視線を上空のそれから外す事なく、私は友達に向けて呼びかける。おさげの少女はその声に反応して視線を私へと向けたが、私の視線は上空に奪われたままだ。
「ん? どうかした?」
「決めたよ、私」

――決めた。

声が震えていたのは、怖かったからとか緊張していたからとかじゃない。

その瞬間の想いをどうしても抑えきれなかった。

「私、絶対にヴィーナスになる!」

chapter 0 (終)

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